出兵(四)
王都は、取り戻された。
ただ、すべての軍勢がそのまま王都に入ることはできない。
崩れた外壁の修復も済んでいないし、これだけの軍勢が一度に入れば、ただでさえ混乱している都の民をさらに不安にさせてしまう。入城して治安の回復にあたるのは、ひとまず諸領主から選ばれた少数の精鋭だけと決まった。
ウォーレンさまの軍は、戦った丘の麓に野営地を築いて待機することになった。
(戦の勝敗を決定づけたのはウォーレンさまなのに、ずいぶんと外れた場所なのよね)
割り当てられた野営地は、王都の城門からかなり離れた一角だった。
都に近い貴族たちが城門のすぐそばに陣を敷くのに比べて、辺境からやってきたウォーレンさまの軍は、明らかに一段低い扱いを受けている。実力で勝利を呼び込んでも、生粋の都の貴族たちにとって辺境伯はあくまで『よそ者』なのだろう。
でも、ウォーレンさまは気にする様子もなかった。
もちろん、ウォーレンさまは……そしておまけで私も、王都の中に屋敷をあてがわれて休んでもいい立場のはずだった。けれど私たちは二人とも、王都には入らず、麓の野営地で兵たちと一緒に夜を過ごすことを選んだ。
「王都の屋敷のベッドなど、俺にはあわないだろう」
大人姿のウォーレンさまはそう言って笑っていた。
こういうところが、この人が兵たちに慕われる理由なのだと思う。
日が暮れて、麓の野営地には焚き火がいくつも灯った。
その焚き火を囲んで、今夜は少しだけ豪華な食事が振る舞われていた。
炎の上で炙られているのは、昼間の戦で使った家畜たちの肉だ。
戦が終わってすぐ、私は自ら指揮を執って、この宴の支度を進めていた。
「山羊や豚を買ったからには……。戦のために犠牲になってくれたことに感謝しつつ、ありがたくいただきましょう」
巨大な猪に見せかけて敵に魔力を使わせた牛や山羊や豚。役目を終えて変化を解いた後、何頭かは結界の魔法をまともに浴びて命を落としていた。
(ごめんなさい。そして、ありがとう)
戦の道具として使ってしまった。けれど、ただ捨ててしまうのは、もっと申し訳ない。
だから、きちんと料理して、みんなでいただくことにした。命を無駄にしないように。
「サディアさま、こいつぁうまいですぜ!」
「夫人の魔法のおかげで、久しぶりに腹一杯食えまさあ!」
兵士たちが嬉しそうに肉を頬張っている。
戦の前は私を『都の令嬢』と遠巻きにしていた人たちが、今はかなり打ち解けてくれている気がした。
(いえ、まだ夫人ではないのですけれど……)
「サディアさまも、食べないと」
兵士の一人が、湯気の立つスープの椀を差し出してくれた。
骨から丁寧に出汁を取った、素朴だけれど滋味深い味だった。
「……美味しい」
思わず声に出してしまった。
魔力を使い果たした体に、温かいスープが染み渡っていく。
「でしょう! もっとお食べください!」
兵士たちが嬉しそうに笑った。
「しかし、サディアさまの魔法は本当に大したもんだ」
「あんな手を思いつくとは……」
食事の合間にも、兵士たちは口々に昼間の魔法を褒めてくれた。
「変化の魔法でここまでできるとは知らなかったなあ」
「あんな群れを作れるなんて、すごい魔力なんですね」
「へ、変化は、マイナーな魔法ですからね」
私は少し照れながら答えた。
「攻撃魔法のように派手ではありませんし、極めようとする人もほとんどいませんので、あまり知られておらず。ただ……色々とうまくやると効率よく成果をあげられるなとは思ってまして……」
謙遜のつもりだったのだけれど、兵士たちはますます尊敬の眼差しで私を見てくる。
「効率よく、ねえ。あれだけのことをさらっと言うんだから、やっぱり都の才女さまは違うや」
(そんな大層なものでは……)
居心地が悪くて、私はスープに口をつけて誤魔化した。
「お嬢様」
その時、焚き火の向こうからガルシアさんが声をかけてきた。
お嬢様。昔の呼び方だ。なんだか改まった雰囲気に、私は首をかしげた。
「それにしても、いささか効率が良すぎませんか?」
「えっ」
思わず声が裏返ってしまった。
「な、何のことでしょう」
冷や汗が背中を伝う。
「あの手際、今日思いついたにしては慣れすぎておられる。シェティ領の森が、謎の生き物の群れにひと晩でなぎ倒されるという奇妙な事件がありましたな。お嬢様が魔法学院に通われていた頃のことで……」
「う……」
やはりばれていた……。
完全にとぼけられる雰囲気ではなかった。
ガルシアさんの目は、優しいけれど確信に満ちている。
「……その、学生の頃に、ちょっと試してみたくて……夏休みとかにちょっと……ですね」
私はとうとう白状した。
顔から火が出そうだった。
一瞬の沈黙の後、焚き火を囲んでいた兵士たちが、どっと笑った。
「なあんだ、やっぱりお手のものだったか!」
「自分の領地の森なら、ちょっとくらい構わんでしょう!」
「研究熱心なのはさすがですな」
からかうような、でも温かい笑い声が野営地に広がった。
ガルシアさんも、もう追及はせずに、ただ一言だけ言った。
「いやいや、この度の活躍。マーティン卿が見たら、本当に泣いて喜ぶことでしょう」
お転婆な『お嬢様』のことを嘆いているようにも聞こえたけれど、そこについては私も何も言わずに微笑で応じていた。
周囲の兵士たちも、それぞれに笑ったり声をあげたりして、場の空気はいっそう和やかに賑わっていった。本当のところどこまで分かっているのかは分からないけれど、その夜の焚き火は明るい笑い声に包まれていた。
(私の変化の魔法が役にたってよかった。この人たちがこんな戦いの犠牲にならずによかった)
魔法学院やシェティ領にいた頃には、想像もしなかった。
変化の魔法は地味で実用性が低いと言われていた。攻撃魔法のように派手な成果は出せない、と。
(そういえば……)
ふと、思い出す。
(魔法学院の同級生たちは、どうしたのだろう?)
カルガン族は、結界を見ても高度な魔法を使う人が多そうだった。でも、王宮付きの魔法使いたちが本気で守っていたなら、そんな簡単に王都が落ちるわけがないと思う。
(ヴィクトル。レナーテ。フェリクス。あの三人が王宮にいたはずなのに)
私は特に優秀だった三人の同級生の顔を思い出していた。特にヴィクトルの攻撃魔法は、学院始まって以来の才能と言われていた。炎も風も氷も思うままに操れた。彼が戦えていたら、カルガン族の結界だってあっさり打ち破り撃退できていただろうと思う。
(それなのに、王都はあっさり落ちた)
私は、焚き火の周りで賑やかに笑い合うガルシアさんたちから目を離し、遠く王都の崩れた外壁へと視線を移した。
あまりにもひどい有様で、とても魔法で守られた形跡は見られなかった。
(魔法使いはどうしても奇襲に弱い……)
自分たちも魔法に詳しいカルガン族なら、対策して真っ先に王宮付きの魔法使いを倒そうとしたというのはありそうだった。
(巻き込まれてしまったのかな……)
嫌な想像が頭をよぎって、慌てて振り払った。
疲れているせいだ。変なことを考えるのはよそう。
(三人とも、どうか無事でいて)
きっとどこかで無事に避難できているはずだ、と私は心の中で強く祈った。
だが、勝利の余韻は長くは続かなかった。
王都は取り戻したものの、外壁は大きく破壊されていた。
街の中の建物はそれほど被害は大きくなかった。馴染みの店なども商品が盗られたりということはあったけれど、建物も知っている人も軒並み無事だった。
ただ、外壁の修復には膨大な時間と資金が必要で、このままでは防衛拠点としての機能を果たせない。
さらに厄介なことに、西方──シェティ家の旧領付近──にはカルガン族の本隊がまだ残っていた。
今回撃退した部隊も本隊に合流し、依然として脅威であり続けている。
戦いは、終わっていなかった。
脱出した王家の逃亡先も、王都に入ってすぐにおおよその目星はついていた。王都からほど近い領地に身を寄せているらしい。
ところが、貴族たちはその王家を巡って、早くも主導権争いを始めていた。
「王家をお迎えに上がるのは、当然この私の役目であろう」
「いや、まだカルガン族は近くにいるのだぞ。取り戻した王都を守らずしてどうする」
「守ると言って居座り、王都を私物化するつもりではあるまいな」
誰が王家を迎えるか、誰が王都に残るか。手柄と発言力を巡って牽制し合う声が、軍議のたびに飛び交う。
その日も、うんざりした顔でウォーレンさまが野営地に戻ってきた。
「とりあえず、王家を匿っている領主への使いの者は出しておいた」
大人の姿のまま、疲れたように言う。
貴族たちが言い争っている間に、さっさと手を打ってしまうあたりが、この人らしい。
「それと……」
ウォーレンさまは私の方を見た。
「カルガン族の本隊の動きを探りたい。シェティ領と、売却された旧シェティ領の地理に詳しい者がいい。ガルシアの部下を何人か、斥候に出したいんだが、いいか?」
「別に、私の許可なんていりませんのに」
どうしてそんなことを私に尋ねるのか、首をかしげてしまう。
でも、シェティ領という言葉に、胸の奥がきゅっとなる。
(ああ、そうか。父も妹夫婦もいないのなら、シェティ領を仕切るのも私なのか……)
その事実に両肩が急に重くなったような気さえしてしまう。
あの途切れた手紙以来、実家からの連絡は途絶えたままだ。
攻撃を受けたシェティ領で、家族は無事に逃げられたのだろうか。
せめて捕虜になって生きていてくれないだろうか。
考えると、落ち着かない。
「……すまない。気を遣わせたか」
私の表情の変化に気づいたのか、ウォーレンさまの声が柔らかくなった。
「いいえ。斥候の件、ぜひお願いします。私にできることがあれば、なんでも」
「ああ。……お前も、あまり根を詰めるな。あの魔法のあと、まだ顔色が悪い」
(人のことを言えないと思いますけれど)
毎日、貴族たちの相手で消耗しきっているのは、この人の方なのに。
でも、そう言ってくれることが嬉しくて、『お互いさまです』とだけ答えた。
そんな慌ただしい日々の中で、明るい知らせが届いた。
使いを出していた王家の所在が、正式に確認されたのだ。
王都からほど近い領地に無事身を寄せていることがはっきりし、連合軍が王家のために戦う大義名分も、改めて形を持った。
兵士たちの間に安堵が広がり、野営地の空気が少しだけ軽くなった。
そして、その知らせには、続きがあった。
「サディアさま」
ガルシアさんが、珍しく表情を和らげて馬車に近づいてきた。
「王家とともに避難していた方々の中に、シェティ家のご家族がいらっしゃるとのことです」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……お父さまと妹が、無事……?」
「はい。逃げた先で、王家の一行に加わって合流されたようです。ご無事です」
安堵が、津波のように押し寄せてきた。
最悪の想像を何度もしていた自分が、急に馬鹿らしくなった。
「よかった……」
声が震えた。
両手で顔を覆って、しばらくの間、何も言えなかった。
無事だった。
やらかしたとはいえ、家族だ。無事だったことは、素直に嬉しい。
でも、同時に、複雑な感情も湧き上がってくる。
(怒った方がいいのだろうか……)
実家の失態が王国を揺るがす大事件になった今、素直に笑顔で再会できるかと言われると少し悩んでしまう。
それがなければ今頃は、ウォーレンさまと結婚式をあげてフォシア領で穏やかな生活ができていたのかもしれないのにと妄想してしまう。
(考えても仕方ない。会ってから考えよう)
私はそう自分に言い聞かせて、馬車の中で小さく息を吐いた。
窓の外には、奪還されたばかりの王都の外壁が見えている。
崩れた外壁。焦げた石。
あの華やかだった都は、もう元の姿ではなかった。
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