出兵(二)
ウォーレンさまにとっては、この出兵は久しぶりに公の場で堂々と大人の姿を見せる機会でもあった。
呪いをかけられてから十年。その間、幻覚の魔法で何とか誤魔化してきたけれど、実体のある大人の姿で大勢の人前に出られるのは、私の変化の魔法があるからこそだ。
進軍中、街道沿いの村を通るたびに、領民たちがウォーレンさまの姿を見て歓声を上げていた。
「ウォーレン伯爵だ!」
「お元気そうでよかった!」
その歓声は、ウォーレンさまだけでなく。
「あの方が、伯爵の嫁候補の魔法使いさまだろう?」
「サディアさまだ! 道の大岩を壊してもらったっていう」
私にまで飛んでくるのだった。
馬車から手を振ると、さらに大きな声援が返ってくる。
(遠出してまで依頼をこなしたが、よかったのかな)
ほんの少しでも、私やウォーレン伯爵の評判が良くなっているのなら、頑張った甲斐があると嬉しくなってしまう。そう思いながら、自然と笑顔になり、私は手を振り続けた。
先頭のウォーレンさまが、ちらりとこちらを振り返った。
口ひげの下で何か呟いている。近くにいたガルシアさんが、声を殺して笑っていた。
後で聞いたところによると……。
「伯爵が仰っていましたよ。『サディアは……俺より人気があるんじゃないか』と」
ガルシアさんはそう教えてくれた後、にやりと笑った。
「嫉妬ですかな」
(少年の姿なら、きっと耳まで真っ赤にして『そ、そんなことはない』と言い張るんでしょうね)
想像すると、少しだけ笑ってしまった。
ドーラン領に入り、さらに南下すると、南方の貴族たちの軍勢が見えてきた。
合流地点に定められた平野には、色とりどりの紋章旗が立ち並んでいる。
どの旗にも誇り高い家紋が描かれていて、さすが都に近い貴族たちは華やかだった。
(フォシア家の旗と比べると、ずいぶん派手ね)
フォシア辺境伯の旗は質素で、黒地に銀の剣が一本。飾り気のない意匠だけれど、この旗が戦場に立つと敵は退くと聞いたことがある。実力で得た伯爵位の誇り、そういう旗だった。
合流後、すぐに軍議が始まった。
ウォーレンさまは、私の魔法で大人の姿になったまま、堂々とした足取りで議場へと入っていかれた。
私は議場の隅に控えていた。魔法使いとして、いつでもウォーレンさまの変化を維持できるように。
貴族たちの思惑は、見ているだけで複雑に絡み合っているのが分かった。
「まずは我が領に王家の方を迎え入れるべきだろう」
「王都奪還は急務だ。東に向かい王国騎士団と合流してついていくべきだろう」
「王国騎士団の後ろを追いかけてどうする。主力と戦っている間に、我々は王都の奪還に向かうべきだ」
「ま、まずは攻撃を受けている我が領地の防衛を考えるべきだろう」
「ドーラン領への攻撃は見せかけだ。もうドーラン領になど興味はないだろう」
王家への忠誠心がどれほどのものか、発言を聞くだけでおおよそ見当がついた。
真剣に王都を取り戻そうとしている者は少数で、多くは自領の被害を最小限に抑えつつ、戦後の発言力を確保したい、そういう顔をしている。
(都の貴族って、どこでもこうなのかしら)
都の貴族出身の私がこんなことを思うのもおかしいかもしれないが、正直、彼らのやり取りにはうんざりしてしまう。
そんな中で、ウォーレンさまは見事に場を仕切っていた。
声を荒らげることなく、冷静に、だが確実に議論の方向を定めていく。各領主の兵力と立地を把握した上で、それぞれの面子を立てながら役割を配分する。
二十年以上、辺境で異民族との交渉と戦を繰り返してきた経験が、こういうところに出るのだと思った。
ウォーレンさまの名声は、貴族たちの間でも別格だった。
辺境の野蛮人と見下す者もいたかもしれないが、少なくともこの場では、彼の言葉に正面から反論できる者はいなかった。
実際に戦ったことのある貴族なんてこの場にはほとんどいないのだから。
果てしなく続いた軍議がようやく終わり、私たちはほっとしながら馬車へと戻った。
本当は町に住居を用意してくれるという申し出もあったけれど、余計な移動で時間を浪費したくなくて、それを丁重に断り、郊外に馬車を拠点に留まることにしていた。
「……貴族というのは」
ウォーレン伯爵は深くため息をついた。
「敵より味方の方が疲れる」
(あ、やっぱり、ウォーレンさまでもうんざりしてたのね)
いつもは完璧に見えるウォーレンさまが、こんなふうに弱音をこぼしてくれると、逆に人間らしさを感じて、少し安心してしまう。
こんなふうにぐったりとして座るのも私にしか見せない姿だった。
「お疲れさまでした。……お茶、淹れましょうか」
「頼む。……濃いやつで」
携帯用の茶器でお茶を入れて、兵士さんたちが焚き火で沸かしていたお湯をもらいお茶を淹れてあげる。
しかし、お茶を注いであげているその間に、ウォーレンさまは少年の姿に戻ってしまっていた。
軍服がぶかぶかになり。袖からのぞいた少年の手が、疲れたようにこめかみを押さえていた。
「お茶淹れましたけれど……いりますか?」
「大丈夫だ。飲める」
少年の姿になると、どうやら少し味覚も違ってしまうらしいと私も最近気がついた。
私は促されるままに茶碗をウォーレン少年に手渡した。彼はそれを両手でしっかりと受け取り、そのまま一息に口をつける。熱いお茶にふっと息を漏らしながらも、ごくごくと飲み干すが、やはり少し苦かったのか、思わず顔をしかめた。その様子が、まるでウォリスちゃんやマーシャちゃんとそっくりで、思わず私も微笑んでしまった。
「……何か言いたそうな顔だな」
「いいえ、何も」
ウォーレン少年は疑わしげに私を見たけれど、追及する気力もないようで、お茶をすすることに専念していた。
(大人の姿では完璧な指揮官なのに、少年に戻ると子どもみたいにぐったりするの、本当にずるい)
でも、こうして疲れた姿を見せてくれるのは私の前だけだ。
それが少し、嬉しかった。
私たちの間には、言葉にしなくても通じるものがある。
変化の魔法という秘密を共有する『共犯者』。その絆は、この遠征を通じて確かに深まっていた。
王都奪還の決戦は、合流から数日後に始まった。
郊外の丘に陣取った時、私は初めて都を外から見た。
見慣れた外壁の天辺が、丘の向こうにわずかに見える。
でも、それだけでもはっきりわかった。外壁の一部が大きく崩れ、焼け焦げた跡が残っている。
生まれ育った都の変わり果てた姿に、胸が痛んだ。
(王都の内側ではまだ人が暮らしているはず。そこに攻め込まれた側は、どれほど怖かっただろう)
そして、丘の下に目を落として……息が、詰まった。
人が、多すぎる。
黒い塊にしか見えない敵の軍勢が、地平を埋めるように広がっている。旗の数も、槍の穂先の数も、数えようという気すら起きない。
時折こちらへ流れてくる風には、鉄と、馬と、それから嗅いだことのない匂いが混じっていた。
(……怖い)
儀礼用や模擬戦とは違う相手を殺す目的の武器たちが並んでいるのを見て、膝の裏が、勝手に震えた。
魔法学院の演習場も、アミオットの村の暗殺者も、こんなものではなかった。あれは『事件』だった。
「サディア」
ウォーレンさまの声で、我に返った。
大丈夫です、と笑ってみせたつもりだったけれど、うまく笑えていたかどうかは自信がない。
深呼吸をして、なんとか頭を働かせる。
そうしていると、敵側の狙いも見えた気がした。
外壁を壊した王都の内部で守りを固めるよりも、そこから出てきた連合軍をこの郊外で食い止める。そうすれば、王都の民が反乱を起こす余地も与えない。
だから、敵はここで待ち受けているのだ。
合流した連合軍の軍議で、ウォーレンさまはそう説明した。
「正面の敵はカルガン族だ」
大人の姿で腕を組み、ウォーレンさまは静かに言った。
「私が長年、幾度も戦ってきた相手だ。正直、厄介だ」
その慎重な口ぶりに、私は少し意外な気がした。
「北方の民族って、みんなもっと、こう……。馬に乗ってわーっと突撃してくるような戦い方をするのだと思っていました」
口に出してから、少し言い方がよくなかったかと気になったけれど、ウォーレンさまは苦笑した。
「確かにそういう部族は多い」
ウォーレンさまは、ちらりと横を見ながらそう答えた。
隣でイマノルさんがそわそわしていた。
明らかに早く突撃に行きたそうな顔をしている。
「イマノル」
「わ、分かってる。待つよ」
ガルシアさんに先に名前を呼ばれて、イマノルさんはぶすっとした顔で腕を組んだ。
「魔法使いの多い部族は少し戦い方が違うものなのだ」
カルガン族の戦い方は、このあたりの誰もが思い描く野蛮な突撃とは程遠い。
しっかりと結界を張り、前線を固める。そこに突撃してきた相手を魔法で迎え撃つ。それが彼らの戦い方だとウォーレンさまは言った。
辺境での長い戦いの歴史の中で、ウォーレンさまとカルガン族はそうして幾度も矛を交えてきたのだという。
「まずは様子を見る」
ウォーレンさまの慎重な指示が下り、睨み合いからの手探りの小競り合いが行われた程度だった。
けれど、その翌日、問題が起きた。
貴族の一つブライス家の軍勢が、カルガン族の挑発に乗って独断で攻撃を仕掛けたのだ。
結果は散々だった。
中央から突撃して敵陣まで攻め込んだものの、結界に阻まれている間に、放たれた魔法の反撃が降り注ぎ、前線の兵の多くが倒れた。
生き残った兵士たちが引き上げてくる知らせを聞いて、軍議の天幕の中の空気が重くなった。
天幕へ向かう途中、運ばれてくる負傷兵とすれ違った。
焼け焦げた鎧。腕を押さえてうめく声。担架から垂れた手が、揺れるたびに力なく地面をこすっていた。
昨日まで、私に「サディアさま」と手を振ってくれた人たちと、同じ辺境の兵の顔だった。
(こんなの……)
膝が笑いそうになるのを、必死でこらえた。
泉を掘って、岩を砕いて、雨を降らせてきた私の魔法は、この人たちを助けられるだろうか。
「このまま攻撃を続けますか」
兵士がウォーレンさまに問いかけた。
「……それくらいの備えはしてあるだろう」
ウォーレンさまの声は静かだったが、その横顔は悔しそうだった。
慎重にいけと言ったばかりなのに。
残念ながら、ウォーレンさまはこの軍の全権を握っているわけではないのだ。
沈黙が重くなりかけた。
さっき見た、担架の上の手が頭から離れない。
(もう、誰も、あんなふうに運ばれてほしくない)
気がつけば、私は口を開いていた。
「あの」
ウォーレンさまと側近の兵たちの視線が集まった。
「もう少し、相手に魔法を使わせればいいんですよね?」
「……何か手があるのか?」
ウォーレンさまが真っ直ぐに私を見た。
「ええ。お任せください。ただ、この周辺の家畜を何匹か、買っていただきたいのですが」
「家畜?」
ウォーレンさまだけでなく、軍議の場にいた全員が首を傾げた。
私は微笑みを作りながら答えた。
「詳しくは、まだ明かせません。軍事機密ですので」
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