8【クリームメロンソーダ、コーヒー、水】
日曜日。俺は幸徳池の待つ喫茶店へ、瓮爽羽と共に向かっていた。覆轍を踏んだような気分で。
というのも、瓮の格好が制服だったのだ。きっとこの先では、何食わぬ顔で制服を着込んだヤツが待っているに違いない。また俺だけ私服、呑気な見た目。
しかし、わりとシリアスな話を設けるかもしれないことを踏まえれば、むしろ俺が制服を着てくるべきだったのか?
このとき、俺は酷い顔をしていたようで、瓮がこんなことを言ってきた。
「そんな顔しなくて良いよ」
「え……?」
「別にウチ、剣見のこと信じてないとか、これから会う人のこと訝しく考えてるとか、そういうの無いし」
「いろいろ話した甲斐もあるってもんだな」
「剣見が信じてる人なんだもんね、頼りにしてる」
爽やかな笑みは青空に引けを取らず。そうやって今まで自分や周囲を騙し騙しやってきたのかもしれない。瓮の性格を多少なりとも踏み込んで知ることとなった俺は、そう思わなくもない。
「なんだか面映いぜ」
瓮は、ハハッと軽快に笑った。
「それで、待ってる人っていうのはタメの女の子って聞いたけど」
「そうだよ」
「その人とは、こういう変なのでお世話になって関わり始めたって言ってたじゃん。まるで漫画みたいなシチュエーションなのに、助けてもらったことでちょっと気持ちが芽生えたりとかなかったの?」
さすが恋愛脳。
「それは無いぜ。前に言ったじゃんか、越後先輩が好きだって」
「あーんん。それはね、まぁそうなんだけど……越後先輩、ね」
なんだか歯切れが悪い言い方をするか、瓮は矢継ぎ早に話題を切り替えてきた。
「そうだ、今から行くとこ、カフェじゃなくって古めかしい喫茶店なんだよね? 剣見が好きなメニューとかってあんの?」
「コーヒーしか頼んだことないんだよなぁ。でもレアチーズケーキ、美味しいらしいぜ」
「コーヒー飲めるんだ。剣見って」
「まぁ、飲めるけど」
「ブラックのほう?」
ほうってなんだ? ホワイトがあるのか?
「ブラックのほう、だけど?」
「そうなんだ。ウチ、飲めないんだ」
「ああそゆこと。何か入れたりする感じか? つまりは、ラテとかミルクコーヒーとか」
「いや、カフェインあるもの取らないようにしてて。水分を逆に出しちゃう作用があるから。利尿作用ってやつ。だから基本、水ばっか。代謝も良いからウチ、カフェインなんて取ったらあっという間に干からびちゃうかもな」
「なら、ほかには普段なにを?」
「白湯かな」
水じゃねーか。水素と酸素の化合物、温度の違うだけのエイチツーオー。
「ジュースとかは?」
「100%のやつならたまに。でもウチ少し苦手なんだ」
おもしれーこいつ。逆に何が好きなんだろうかと、そこで俺は興味を持った。
「じゃあ好きな飲みものとか、無いの?」
「え? そりゃあ、水が好きだけど」
聞いた俺がバカだった。否、聞き方がバカだった。
「水のほか、白湯のほかによく飲むものは?」
「スポドリかな。効率よく吸収できて、アミノ酸とか電解質も補えるから。水だけだと、まぁ塩も舐めてるけど。やっぱり吸収効率良くないみたいで、合わせて使ってんの。とは言いつつも、甘すぎるやつは苦手」
「へーえ。アスリートって感じだ。いろいろ気を遣ってるわけな」
「お菓子とか市販品は、身体に良くない。食事も栄養バランスを考える。これはもうクセ。そういう意味では、好き嫌いが激しいのかもしれない」
「健康的な好き嫌いだ」
「友達とファストフード寄るとか、だからできないし。購買でみんな買ってるジュースとかお菓子も買ったことないんだ」
「食べてみたいとか思ってんのか?」
「どうかなぁ……もう興味の埒外かもね。大袈裟に言っちゃえば、自分が食べる想像がまずできないんだ。ドッグフード、食べようと思わないじゃん? そんな感じ」
「俺たちはお前から見て、そんなものに手を出してるわけか」
ジャンクフード、炭酸飲料、スナック菓子……それらは一般的に少なくとも良い印象ではないし、健康的とは言えないカテゴリーのものたちなわけで、言わんやアスリートにとってをや。部活なんかではきっと、キチッとそこらへんは指導されているのだろうが、ストイックな性格を持ち合わせる彼女なら尚のことだ。
そんな真面目な人間が損をするのはおかしいと、少しこの世界を嫌悪した――
⭐︎
喫茶店へ到着すると、なぜかその日に限って幸徳池は私服だった。清潔感漂う女子っぽい服を着て、ちょっと洒落た感じの編み込みをしたサイドテールの幸徳池に、だから俺は突っ込まずにはいられなかった。
「なぜッッ!」
と、思わず大きな声が出てしまったので、周りを気にしながら改めて小声で問いかける。
「どうして今日に限ってガッツリ私服なんだ。ちょっと垢抜けたカーディガンなんて羽織ってるんだよ。オシャレで綺麗めな編み込みなんてやっちゃってるんだよ。休日に会ったときだって制服だったのに、そういうスタンスなんじゃなかったのかよお前」
「何のことかしら。記憶に無いし、心当たりもやっぱり無いけれど。頭でも打った?」
「そんな訳無いだろ。むしろ驚きすぎて、いま頭打ちそうになったわ。だって土曜……」
そこまで言いかけてやめる。まさか二人で、内密に瓮の競技を見に行っていたとは言えまい。
自身のした経験と似てるかもしれないと注視していたところ、たまさかあの本屋で会って、堪らずにとうとう俺は真実に迫った。そういう設定なのだから。
「……いやま、いいや」
と、一旦引くことを余儀なくされた。
瓮は何か思い出そうとしているような顔つきで、幸徳池を見下ろしている。
「どっかで……あっウチの高校じゃない、ひょっとして」
「まぁ座れよ。驚くのも無理ないかもだけど、まずは説明するから。幸徳池のことも、瓮に起こってる事のいろいろも――」
幸徳池のことや狗神について、そして解決するために行う儀式のことを聞いた瓮は、驚く表情くらい見せても別段おかしくは無いはずなのたが、そんなことは全く無かった。むしろ終始、甚だ落ち着き払ったものだった。まるで他人事として捉えているように。
「要は幸徳池が、ウチのことも治してくれるってことなんだ」
「そうね。私の言った通りに儀式に臨んでもらえれば、それは何事も無く。いや、あったのだろうけれど無かったようにサッパリできるわ。折り紙つきよ」
犬の形に折り込まれた紙ナプキンがそこに。こいついったい、いつこんなモノ折ってやがったんだ。全く気づかなかった。
「そっか。いやま正直ウチね……幸徳池のことは、こう言っちゃアレだけど、いろいろ噂とかで風変わりなのを聞いちゃいたんだ。驚くことに、ミステリアスキャラは作りモンじゃなかったんだね」
「あら。ミステリアスにキャラクタライズした覚えなんてないけれどね、わたしは一度も」
「はは、まーそっか」
「そうなのよ」
「現に、ウチには傷がある。奇妙で不可思議なそれが。だからそう言われちゃお願いするしか、やっぱないのかなと思ってるよ」
「ただ、自分に向き合ってもらわないといけない。そのとき、私達も立ち会うのだけど、だから私達もあなたの心を聞かざるを得ないかもしれないのだけど、その意味では覚悟をしてもらう必要があるかもしれないわ」
「……向き合う、か。ウチの心に潜む強い感情。その原因ってやつ?」
「そうね。瓮さんが抱える、有り体に言えば心の闇。たぶん、見られたくないかもしれない、心の裏側。その表裏一体の何か」
それを聞いた瓮はただ一口、水を含む。
「……そっか」
ふと息を吐いたような一言。コップの縁をなぞる瓮の指先は、それと同時にスッと離れていった。
「心の闇……ウチの中に、あるんだ」
「尋常じゃないものがね。自分では気付いていないのかもしれないけど、確かにあるはずよ。でないと、狗神にそう簡単に行き合うものではないわ」
瓮の視線は、ふと窓の外へ向くのだが、そこで幸徳池はその視線を戻させるように言った。
「それでなんだけれど。
一応確認もしたいから、まずその隠してるもの取って見せてくれないかしら。手だけで、いいので」
「え? まぁ、そうだよね。分かった」
白いテーピングが巻かれた手の本当の姿を、俺たちはここで知る。流血こそしていないが確かに痛々しい、獣に噛まれたような痕が、その両手にはいくつかあった。
「結構ひどそうな見た目だな」
「剣見は、こんな酷くなかったの?」
「あ、いや……まぁ」
「そっか」
「その傷は、どこまであるんだ?」
「今は太腿のところまで。腕はこっから始まって、手首の少し上らへんまで。他には無いよ。剣見に言われた通り、毎日確認してる。背中も見てるんだ、鏡で」
「悪いな、なんかデリケートなことなのに、俺まで聞いちまって。この先のこと含めて」
「別に。事情が事情だし、むしろ謝られても困るって」
「じゃあ瓮さん、今後について話すわね――」
怪異祓いの儀式はゴールデンウィーク手前の木曜日。場所は河川敷にある、第七陸上競技場。待ち合わせ時刻は夜の八時。そこへ、瓮は特に思い入れのある物を一つ持参する。儀式の日までは数日間あるが、瓮がすべきは『傷が消えたあとの自分を考えること』、というものだった――




