5【五十四忘草 中】
「――ということでね。密かに女の子たちの間で流行ってるのが、体育館の桜の木に願掛けをするというものなの」
んなもんあったっけか……まぁでも、あると言うのならそうなのだろう。
「なんでそんな願掛け……うまくいっただの、やっぱりあったわけ?」
「成功例みたいな話がまことしやかに。
その桜の樹皮って言うのかしら、そこがハートに見える部分があって。シミュラクラみたいなものね。そこで強く願った人の中で選ばれた人は、春に恋愛成就するって」
「はーん……そんな噂がいかにも出そうだ」
「これが噂になったのは、私達が入学する少し前くらいかららしいのよ」
今の三年生から俺たちに。噂というのは良くも悪くも、伝播してしまうものらしい。
「でも、見つけるのは至難じゃないか? だって選ばれた人しか見えないし、触れたらすぐに消えてしまうんだろ?」
「だから、咲く前に見つけるのよ。
もし五十四忘草が生えてるのなら、たしかに花自体は特定の人しか干渉できない。でもその前なら、あなたにも見えるはず。毒々しい色をした、心臓のような形の蕾がね」
「怖過ぎだろ。あれか、蟻地獄とウスバカゲロウみたいな。ともあれまぁ、理解はしたよ」
「開花する手前までは隠れているから、どうやら精通した人でも見つけることは困難らしいの。だから開花直前を狙うわ」
精通した人……
「お前の家って陰陽師みたいなやつなの?」
「今の家族っていう意味では、別にそんなことはないけど。写真家の叔母と二人暮らしよ。
でも、前の……つまりは死んだ父のことを言うならば、たぶんそういうのに近い存在だったのかもしれないわ」
「悪い、そうだったんだな」
「え。なんで謝るの?」
「いや、デリケートっていうか個人的な事情に土足で足を踏み入れるような真似をしてしまったから」
「別に話したくなきゃ話さないし、聞かれたくなきゃ聞かないで欲しいと言うけれど。気遣ってくれたのなら受け取っておくわ」
幸徳池はそんなことを、さも平然と言うやつだった。
「話は戻るけれど。去年ももしかしたら、誰かが行き合っていたのかもしれないわけよ。私は当然、見つけられなかったけど。
でも今年は違うでしょ、剣見君がいるから」
「具体的には、どうするわけだ?」
「力が極大になるのは次の満月、木曜日ね。だから、金曜日の朝から夕方にかけてが花を咲かせるために、蕾も大きくなっていて見つけやすいはず。決着は、その日のうちになるでしょう。
剣見君はそれを見つけたら、私が渡す札を言う通りの手順で貼ってくれればいいわ」
俺はこのとき、決して安請け合いをしたつもりは無かったのだけれど、楽観視をしていなかったかと問われると、それを全否定できるほどシビアにも考えておらず。あたかも、代わりにプリント届けといてという頼み事に返事をするかのように、こう口にしてしまったのだった。
「任せとけ。それくらいならまぁ、俺でもできるだろうさ」
⭐︎
金曜日。結論から言えば、俺はそれができた。が、出来ただけであって、出来た後のことを俺は加味していなかった。
朝練をする生徒がいる時間帯のことだ。
蕾を焼き払ってから俺は、目にゴミが入ったかと何気ない気持ちで手で拭ったのだったが、その手は見たことが無いほど真っ赤になっていた。
目と鼻からすーっと流れてくるそれは、全部が血だったことをそこで初めて気付く。
「っえ……どうして。剣見君、剣見君ッ……!」
その声は、彼女らしくもなく取り乱したもので、頭痛や目眩に流血という、こんな異常事態に陥ってるにも関わらず、俺はちょっとその姿を面白おかしく感じてしまったりしていた。人間、異常すぎる事態に陥った時は、存外ものごとを俯瞰的に冷静に、見つめられるものなのかもしれない。
目を覚ましたのは、病院のベッドの上。
危うく死ぬかと思ったが、そんな気持ちを抱くのは、子供の頃の事故以来だろうか。本当に、俺は九死に一生をいくつ重ねるのだろうと思ってしまう。
さて、目覚めてからは何もおかしい所はなく、むしろ元気だったわけだけれど、母親が強く言うので念のため精密検査をやったりしたわけなんだけれど、当然どこも悪いところは無いとなり即日退院。
まぁ、言ってしまえば当たり前。だって、あれは恐らく怪異によるもの。病院で解決するわけも無い。食欲不振の九官鳥を、接骨院に連れていくようなものだ。御門違い、思い違い。
ともあれこうして、安堵した母が運転する車で俺は帰途へついたのだった。
家には、大学から姉が既に帰っていた。ぐうたらとソファで寝そべって雑誌片手に菓子を食ってる姿は、さしずめ怠惰の王と言ったところか。なんでこんな食い方してんのに、菓子クズとかおちねーんだろうな。ともあれ、喜べ姉ちゃん。お前にベルフェゴルの称号を与えよう。
しかし、スタイルも顔立ちも良く、現役モデルなんかをやっちゃって、それで得た収入もわりとまともで甲斐甲斐しく家にお金を入れてたりしちゃってるわけだから、やはり非を言える立場に俺はないのだった。
「雛太、ちょうどい! 冷蔵庫からコーラ取って」
起き上がりもせずに。んなもん自分で取れよ、こっちは元病人だぞ。そう思いながら、冷蔵庫からコーラを取ってテーブルに置いた。俺も喉が渇いて飲みたかったから、そのついでである。
ひとまず向かいのソファに腰掛けると、やっと何かから解放されたような安堵が生まれるわけだ。家に帰る、というのはある意味セーブポイントみたいなものであろう、心と身体の。
「姉ちゃんさ、そう言えば茜高校卒業してたよな?」
「え? そうだけど。あぁ、おんなじなんだっけ? まさかあんたの頭で入れるとは思ってなかったけどね」
「一言余計なんだよ。そんでさ、恋が叶うおまじない的なのって流行ってたりした?」
「ああ、あったね。桜の木でお願いすると上手くいくみたいな」
「やっぱあったのか。それで叶ったとか、変なことが起こったとか、そういうのは無かったの?」
「あーあー思い出した。そう、付き合ったんだよね、おまじないに夢中になってた一人がさ。でも結局、病気か何かでそのあと休学して、相手も別のとくっついちゃったんだったかな。
だからやっぱり嘘なんだよ。あんたもやめときなよ。そんなんに頼るんじゃなくって、男なら自分の言葉でなんとかしろ」
「いや俺は別に恋煩っちゃいないんだよ。で、その人はどうなったんだ?」
「知らない。そのへんからあたしも仕事忙しかったし」
元高校生モデル。現女子大生モデル。ご苦労なことである。
まぁ、それが本当に五十四忘草だったのかは分からないけれど、だったとしたらそんな悲劇をこれで将来的に防げたのなら、俺の行動にも意味があったと言えよう。
役に立ったと自惚れる気は無いが、何かを成し遂げるというのは、そんな悪い気はしないものだ。
そこでリビングに入ってきた母。誰かと親しげに話していたわけなのだが、その話し相手を見て俺は思わず奇声を上げた。
「ひゃああっ!! っ幸徳家なんでここに……」
母はこともなげに言った。
「そこで会ったのよね。せっかくだから会ってけばーって言って。ここまで連れてきちゃった」
連れてくんなそんなもん。
「剣見君、体はもう平気なの?」
「え……まぁ」
興味を示した姉が割り込んでくるのは、既にわかっていた。
「雛太なに!? あんたもしかして……」
なんだその裏切られたような顔は。いっそほら吹いて、そのまま裏切られていて欲しいが、そんな嘘ついたとこですぐバレるからやめておいてやろう。
「ただの友達だよ、ったく」
「健気よね。りっちゃん、すごい心配してくれてるのよ。自分がいたのに、みたいなこと言ってね? ほんと良い子。お母さん、こういう子と結婚してほしいかな」
本人を前にそんな言葉を、安易に口に出すんじゃねえ。
「なんでもうあだ名呼びになってんだよ。っていうか、幸徳池もなんで俺の家知ってんだお前」
「先生に聞いたから。だって、先生呼んで通報したの私よ?」
「そうか、面倒かけたな……じゃなくて! 感謝はしてるんだけど、いきなり過ぎやしないか」
「だって携帯もないし」
「え凄っ! めっちゃ古風じゃん。ねーね、りっちゃんさぁ――」
こうして姉までもが、あだ名で呼び始める始末。
「――ちょ待った! もういいから、姉ちゃんもやめろって。おい、幸徳池。俺の部屋で話そ」
えーだのなんだのとブーイングを背に、俺は幸徳池を部屋へと連れ込んだ――




