35【豆腐イモリ】
沖縄の定番土産——食品であれば紅芋タルト、ちんすこう。雑貨であれば琉球ガラス、島ぞうり……などが挙げられることだろう。しかし、幸徳池のお土産はその性分と同様、ひと癖あった。
喫茶店で俺は、まじまじと目を見開く。コルク栓のついた小さな小瓶。中には水(たぶん海水)と星の砂と貝殻が入っていて、ジオラマまでいかないが小さな自然といった具合。
「――珊瑚は持って帰れないけれど、これは持ち帰れるから。海水を汲んで、星の砂とか入れて作ってみたの。どうかしら」
「どうもこうもビックリだよ(あると思ってなかったお前のセンスと女子力に)。なんなら売り物に見えるくらいだ。小粋なことしてくれたもんだぜ。
こういうプライスレスっていうの? 存外、感動するもんなんだなって思ったわけだけれど、そんな自分にもいま感動しちゃってるよ。綺麗なものを綺麗だと感じる心が、俺にはどうやら残っていたらしい」
「そんなに心が汚かったのね。でも確かに、目に見えない汚れって案外ついてるものだって言うし」
「ドアノブかリモコンみたいに言うな」
「これで多少は沖縄を感じることができるでしょ。私の見た景色のミニチュアが、そこにあるのだから」
「ああ、ありがとう本当に」
「それとね、他にもあるのよ実は。というより、こっちが本当なんだけれど……はい、どうぞ」
いかにもギフト感なショッパーが差し出される。
「これもまさか土産なの? てか本当のってなんだよ」
「さっきのはどちらかというと、思いつきでやっただけだから。こっちが本命」
正直なところ、これで十分感動したというのに、本命としてこれ見よがしに既視感のある紅芋タルトなんかをでーんと出されても反応に困るな、と思いながら開けてみると。
「お前……ほんとに幸徳池かっ!?」
「まぁ、不忍池ではないわね」
中には、可愛らしいパッケージのアイマスク? が数枚と小洒落た小さめの箱が入っていて、開けると四角いものが二つ。それは海と夕日を思わせる綺麗な色だった。恐らくこれは石鹸か。なんとハイセンスな土産だろう。
「そっちは、ボタニカルの手作り石鹸ね。もう片方は見てわかる通り、シートマスクよ。沖縄の素材が使われていて、シークヮーサーの香りとか入ってるわ。結構SNSでは、これ話題なのよ? みんな買ってたわ」
と、少し前までスマホすら持っていなかった女子がドヤ顔で。なんという成長ぶりだろう。これは喜ぶべきか、憐れむべきか。
「へえ……というかすごい女子的な土産だけど。お前はなんだ、俺の女子力を上げようとしてんのか」
「何を言ってるの? 無いものは上げられないわよ。ゼロには何かけてもゼロなのだから」
「いや、そらごもっともだけど」
「剣見君、お姉さんいるでしょ。あとはお母さんにも。要するにご家族向けに、扱いやすいものにしてみたの。みんなで使ってちょうだい」
「家族への土産って意味もあったのか、わざわざありがとな。しかしまー土産っていうのは、人によってこうも違ってくるもんなんだなぁ」
「え……嘘でしょ、他に誰かに貰ってたの?」
「そんなひょっとこみたいな顔して驚くんじゃない、失礼だぞ。
けさ学校で、大江戸からは沖縄限定ちんすこう(わざわざご丁寧にもマジックで二文字消していた)を貰って、瓮からはミニシーサー(手作り教室で作ったものらしく、見た目はミニチュアダックスフントみたいだった)を貰ったんだ」
「大事にしなさいよ」
「誰だお前」
「ところで剣見君。休み中に、というかズル休み中にどこかへ出歩いていたみたいね?」
「む……なんで知ってんだ、お前が」
莉音から幸徳池にどう伝わった。なんなんだ、このオレを取り巻くネットワークは。
「すぐに治って良かったけれど。こういうことしてるから、体に負担がやっぱりかかっているのかもしれないわ」
「……いや、まぁそんなのは平気だって」
「くれぐれも無理はしないでね」
なんて言いながら、いつの間にかナプキンで魚が折られていた。オレはまさかと思って問いかける。
「それさ……なんで魚折ったの?」
「なんでって。別に、理由なんて必要ないわ。逆に、なんでだと思う?」
「なんでってもそんな……なんとなく聞いただけだけどさ」
「私もなんとなく折っただけよ」
「ああ、へえ……そうなの」
アレの詳細を知っているのは俺と五月女だけ。なら偶然こいつは、魚を……ヒラメなんだかナマズなんだかエイなんだかわからんが——折っているだけなのか。しかし偶然が過ぎて、それはそれで怖い。
「あのさ、それ見てちょっと思い出したことがあって。過去に、白くてデカいナマズの怪異を見たことがあるんだよ。何か心当たりあったりするか?」
「具体的にはどのくらいの大きさで、どこにいて、いつそれを見たのかしら」
「子供一人を飲み込めるくらいの大きさで、昼下がりに河川敷のせせらぎ緑地ってとこの小川で」
「どんなふうに見えたの?」
「どんなふうってまぁ、魚に見えた」
「そうじゃなくて。魚らしい動きをしていたとか、特徴的に動いていたとか」
「ああ、そういうことな。あれは、ほとんど動いちゃいなかった気はする。だから、泳ぐってふうより沈んでるというか。獲物を狙って待つ魚的な」
「時期は?」
「ちょうど、今みたいな頃かな」
「一度だけ見たの?」
「いや、何度か見た。そのうちの一度だけ、近くにいた子供が川に引き摺り込まれる状況になったことがあって、爬虫類の腕みたいなのが巻き付いてたんだ。結局、大人たちが来たことで怪異は姿を消したけど」
「剣見君は、特に何もなかったの?」
「ああ。その子が襲われるのを見て、初めて危険なふうに感じた。まさか、そういうものだとは当時思わなかったんだ」
「なるほどね。その魚の姿のほかには、何か見なかったかしら?」
「いや、何も」
「その襲われた子っていうのは、それからどうなったの?」
「助かりはしたけど、まぁ同じ小学校のやつだったんだけれど、足が動かなくなって車椅子になっちまった」
「そうなのね。ふむ……たぶんそれは、豆腐イモリじゃないかしら」
「とーふいもり?」
「食べ物の豆腐に、両生類のイモリを掛け合わせた名前ね」
「え。待って、魚はどこにいったんだよ」
「それは魚じゃないのよ、だから」
「はい?」
「魚のような形に見えていただけ。白い大きなナマズに見えていたのは、豆腐イモリの出す瘴気よ。その瘴気が豆腐のように白いことから、そういう名前がついてるとか。輪郭が妙にぼやけていなかった?」
「言われるとたしかに……水中だからと思ってたけど、あそこはそんな波立つようなとこじゃないしな……」
「本体となるイモリは、水辺の木陰やなんかに潜んでいて、瘴気を通して襲うらしいの。あとは、イモリという名前をとっているだけあって、その性質はイモリのそれを受け継いでいるようね。豆腐イモリは、何をやってもすぐに再生して復活する。
だから、あまり有効打となる手段は存在しなくて、そういう意味では祓うことが出来ないといっても過言じゃない。要するにお手上げね。なんとしても退治するのであれば、それは無理でもないようだけれど、割に合わないみたいよ」
「そんなヤバい怪異なの、アレって」
「ヤバいというか。そもそも祓う必要もないというか。
さっき私は襲うと言ったけれど、正確に言うと襲うのは人間ではなくて、人間の『不幸』なのよ。だから、目に見えて直接的に不利益を与えるような、それこそ死に至らせるようなことは起こらないわ。瘴気を受けたことで、仮死状態になってしまうことがあるらしいけれど、それはすぐに元に戻るみたい」
「だからあのとき……それで不幸を襲うってのは?」
「不幸を溜め込んだ人間を、彼らは好んで待っている。そういう人は、人生に迷いながらも最後に行き着く先は川であることが多かったらしいのよね、昔は。つまり入水。海は、神聖な場所という認識が強かったから、川になったんでしょ。人の目も掻い潜れるし。
そんな水辺で、豆腐イモリは不幸を襲って食べてしまう。だからと言って幸福になれるかというと、それはまた別の話だけれどね。不幸が解消されるだけで、イコールしてそれは幸福を意味しないわ。普通に戻るだけ。不幸という帽子を脱いだだけに過ぎない」
「なるほどな……でも、益虫みたいなことになんのかじゃあ?」
「平たく言ってしまうと、そうなるかもしれないわね。
ただし、不幸と幸福は表裏一体なのよ。不幸をよく知る人は、幸福をもよく知っているし、その逆もまた然り。豆腐イモリの襲う対象は、幸福に貪欲で執着している人間とされているわ。まだ人生経験の浅い子供ながらに、その怪異に襲われるというのは、だからちょっと珍しいかもしれないわね」
五月女はたしかに経験浅い子供だが、普通の家庭環境ではしない経験をした。彼女は『普通の家庭』を友人を通して知りすぎたがために、自身の『普通じゃない家庭』もまた同じように知ることとなったのだ。言い換えれば、不幸を知った。そんな過程から、とりわけ幸福に固執していてもなんらおかしくはないだろう。
豆腐イモリが不幸を喰って、五月女はああなったのだろうか。いや、もう約束したんだ。少なくとも彼女は前を向いていた——それでいい。
「しっかし……ほんと折り紙うまいな。もしかして、カブトムシとかもいけんのか?」
「もちろん、できるわよ」
「できんのかい!」
「トンボとかイルカでも。というか、こんなの誰でも出来るものでしょ」
「や、できないぞ。少なくとも俺が折れる動物は、鶴までだし」
「そうなの? 誰でもできるとばかり思ってたわ。出来るか聞くような相手もいないし。仮にいたとして、そんな無意味なやり取りは必要ないけれど」
おいおい悲しいこと言うなよ幸徳池。表情がもう少し柔らかく、言葉がもう少しマイルドで、考えがもう少し突っ走ってなければ、たぶんその容姿だ。いくらでも友人なんてできるだろう。
「もったいねえんだよなぁ」
「なにが?」
「いやなんでも。すげーよ、その才能」
「そうかしらね。本で学べば、誰でもできると思うけれど……あ。本って言えば、こんなウワサがあるらしいのだけれど、剣見君は知ってるかしら」
そう言って、またぞろ何かを折り始める幸徳池から語られたのは、『茜高校三不思議』——七じゃねーのかよ。




