28【笹野目姉妹】
公園にやって来た紫苑によって、莉音があのあとどこに行ったのかは判明した。普通に下校していた。くそ……今度、首輪でもつけておいてやろうか。
「――すみません本当に。せっかく協力してもらっているというのに」
「いいよ気にすんな。ところで紫苑は、これから予備校なんだったよな。時間は平気か?」
「お気遣い痛み入ります。私は大丈夫です。金曜日は遅めで、いつも自習室で潰してますし」
「そっか。莉音も同じ予備校だったりするの?」
「いえ、莉音は予備校に通ってませんよ」
「え? 頭が良いって話を、確かしてたよな。それは地頭が良い、みたいなことか」
「そうですね。というより、莉音はご存知の通り、ああいう子なので。中学の時から、ずっと独学で。それで十分成績が取れていますので、たぶん莉音に予備校は不要なのだと思います。私などは、それが羨ましい限りで」
「確かに羨ましいこった。でも勉強できるだけが、この世の中の全てってわけじゃないしな」
「なるほど! 人には人の道があるということですね。大学に行く人ばかりが、社会を動かしているわけではないですもんね。剣見先輩は、達観されていて立派です」
潮干狩りくらいの浅はかな考えが、芦ノ湖ほどまで掘り下げられるとは。
余談のあと、今日のことや莉音が関わっているだろう付喪神の存在についてを話し、付喪神に繋がりそうなものの心当たりが無いかを問うてみると、驚くことに紫苑はすぐに思い当たったらしい。
「それは……ちゃんとしたお守りでなくても、良いんでしょうか?」
「ていうと?」
「神社で授けて頂くような霊験あらたかな御守りなどではなくて、私が莉音のために自作したものなんです。
サルボボってご存知でしょうか?」
「いや、よく分からん」
「私たち、小学生のときまで岐阜にいたんですが、飛騨では有名な土産物にもなっていまして、お守りや身代わり、縁起物として広く売られていたりするんですよ」
「へえ、白川郷とか鵜飼いとかで有名なあそこか」
「ボボというのは赤ちゃんという意味ですから、直訳すると猿の赤ちゃんです。見た目はというと、顔の無いまん丸い頭、四方へツンと伸びた手足を特徴にした人形です」
「……それってまさか」
なぜ気づかなかった。あの神社で莉音が、あの人形のことをたしかそう呼んでたじゃないか。
「莉音のアレ御守りだったのか。しかも紫苑が作ったとは」
「ご存知だったのですね。いつも人前で見せることなんてないのに」
「倒れた時に落っことして、それを見たってだけだけどな」
「そうでしたか。
家庭科で余ったものを利用して作ったので、へんてこりんじゃなかったですか?」
なんて照れ笑いする。
「いやまさか。売り物に、俺は思っちゃったけれどな」
「えへへ、ありがとうございます。それで、私がそれを作ったいきさつなんですけど……当時は、本当にいろいろありまして。
人生の愁嘆場と言ってしまったら、たかが十五歳でと笑われてしまいそうですが、それほど重大な出来事でした。そういうのを踏まえると、付喪神の宿りそうな御守りとしては、十分因果のありそうな気はしてくるのです。
でも、それが怪異になってしまうなんて……」
「まだ分からないけれどな。でも、もしそうだとしても紫苑が気に病む点なんてない。怪異なんて、理不尽の権化みたいなもんなんだから」
モノに宿っているからこその付喪神。対象が壊れれば、それはもはや付喪神ではなくなる。物同様に力と役目を失うわけだ。だから祓うのは容易になる。
しかし、幸徳池はこのようにモノを壊す事を前提とせず神として相手取り、なるだけ穏便に鎮静化を図ろうと考えているらしい。
「サルボボに因果があるって思ったその理由、その重大な出来事ってやうは……話せるか?」
「はい……当時、莉音はよく喋って笑う天真爛漫な人で、思いやりのあるデキた姉でした。
反対に、私はといえばその対極。姉の陰にいつも隠れている子、という印象をたぶん周囲の人は持っていたことでしょう。
でも、そんなひっつき虫みたいな私を、姉は鬱陶しがらずにちゃんと面倒を見てくれたんです。遊びの輪の中に入れてくれましたし、揶揄われてそうなら真っ先に守ってくれました。もとより、莉音は正義感も強く、誰かがイジメられてたら割って入るような人ではあったのですけれど。
ところが……そんな姉は、ある日を境に不可解な行動をとるようになっていきました。
タガが外れたみたいに急に笑ったり、かと思えば授業中にいきなり飛び出していってしまったり……要するに、みんなが理解のできない変な行動を起こすようになったんです。
その後も、徐々に増えていき、それが原因でトラブルもあったりしました。一時期は不登校にもなってしまって。
真夏の太陽のように明るかった姉は、五年生の時にはもうすっかり変貌してしまい、かつての面影を微塵も感じられないほど。
だけど本人に聞いても、『構わないで』なんて言ってくるだけでした。だから私は、覚悟を決めたんです。自分が変われば良い。今度は私が莉音みたいになって、お姉ちゃんを守らないとって。かつて、莉音がそうしてくれたように……そうやって、曲がりなりにも嫌いだった自分と決別した結果が、剣見先輩の前にいる私……というわけなのです」
あの奇病のせいで散々な思いをしてきたふうに、莉音は言っていたが……そういうことか。
「――そして、とうとう起こってしまったんです。私たち家族にとって亀裂となる出来事が」
「それが、サルボボにも繋がってくると」
「そうです。私たちの家には、チャロという犬がいました。もうだいぶ歳をとってたので、六年生の頃にとうとう息を引き取ってしまって。
特に可愛がっていた母、もちろん私も、そして義理の父であった人もみんな悲しんで……ただ、そんなときです。
死んだ姿を前に、莉音だけはお腹を抱えて笑い転げてたんです。それはもう、悪魔か何かに憑かれたんじゃないか……と思えるほどに。あの時の母の目は、今でも忘れられないですね。
こういうことがあってからは、父も気味悪がって莉音とは距離を置くようになりましたし、いさかいも絶えなくなりました。
おとぎ話みたいに、笑顔が絶えず一家団欒、円満具足と言えるような家庭じゃ別になかったとは思いますけれど、それでも一般的な家庭だったと思いますが、そんなことがあってからは中身のない伽藍堂のようなお家になりました。
そうやって莉音は、家でも外でも居場所がなくなって。だから私は、御守りという意味だけでなく、私を信じて頼ってほしいという意味でも、あのサルボボを手渡したんです。
莉音は、私が作ったそれを素直に受け取ってくれました。そのとき、ただ一言……ごめんねと。今思えばそれは、『迷惑かけて』ではなくて、『何も言うことができなくて』だったのかなと思ったりします」
「……なるほどな。抱え込む性格だって言っていたけれど、そういう頑なに口を噤む莉音を受けて、背負い込んでいるものを肌に感じていたってことか」
「学校生活もそうですけど、チャロが死んだ時に笑っているだなんて私には信じ難い事実で。そこに、どんなものとは皆目見当つかないことでしたけれど、きっと何かあるふうに感じてはいました。
ともあれ、卒業を間近に控えたある日。私たちは母から、こう告げられました――この家を出ていくからね。
そしてやってきたのがこの街です。
中学は、爽羽先輩と同じ第三中学に私たちは揃って入学したのですが……そこでも、莉音は一人が多くて。誰かと交友関係が生まれることは、ついぞ無かったようでした。消極的というよりは、排他的な性格にすっかり変わってしまった感じで。私もどこか、距離を置かれたような感じになって。
それでも、変えた自分をもってして私は自分なりに友達作りに励み、莉音がイジメの対象にならないように人気者であろうとしました。姉の真似をしたんです。
ところがそんな私の姿は、姉にとってあまり良い気分のするものではなかったようで。考えてもみれば、無理もないことですけれど。だって、私ばっかり楽しんでいるように映ってしまっていたでしょうから。
今度は自分が莉音を守る、なんて頼まれてもいないことを勝手にして、挙句変われた自分に全く陶酔していなかったかと言うと、そうではなかった私は、莉音をかまっていたみぎり……一年の夏頃、とうとう取っ組み合いの喧嘩をしました」
俺は思わず耳を疑った。
「えっ?」
「驚きますよね。私自身も、その時はビックリでした。あんな喧嘩になるなんて思ってもなかったですし、それまで口喧嘩ですらろくにしてこなかったくらいなのに。たぶん、はじめての喧嘩です」
「いやでも、取っ組み合いは例えだろ?」
そんなことするイメージが無い。しかし、紫苑は平然とこう言う。
「いえ、殴り合いでした、パーで。あと、本とか筆箱とかぶつけ合って、もうドタバタでした」
「マジか……」
「あのときはお互い、全然引かなくって。私は泣きながら、莉音は笑いながら。本当に異様な光景だったと思います。
でもそのおかげで、莉音が抱えているものを知りました。というか、気付かされました。だって、こんな大げんかしているときに笑うなんておかしいじゃないですか。それはだから、きっと笑いたくてそうしているわけではないと。チャロが死んだ時もやっぱりそういうことなんだと、気付かされました。
とは言っても莉音の口からは結局、ほとんど説明らしい説明は出てこなかったですが。放っておいて欲しい……そう、笑い終えた後に涙ながらに莉音は口にしました。
例のサルボボは、その喧嘩の時のキッカケだったのです」




