25【笑】
莉音が目を覚ましたのは結局、日暮れとなった。
「莉音、大丈夫か?」
記憶を辿ったか、少し間をおいてから現状を理解したようだった。
「そっか。わたし……眠って」
「一時間半くらいな。急に眠りこけちゃって、ビックリしたよ」
「すいません……」
そう言って、居ずまいを静かに正した。
「いや別に、謝ることじゃ無いだろうけれど」
「そうだ、あの鳥……何かの原因だったんですよね?」
「そのことなんだけれど。実は、幸徳池っていう専門知識を持ってる奴の話じゃ――」
内容を聞いた莉音の眉間は開くことはなかった。
「じゃあ倒れた人たちは、どうして……」
「それが分からないから、いま調べてる。差し当たっては、オシエドリを見つけに行こう。話はそれからだ。と言っても、もう今日は遅いから。明日だな」
最終下校時刻に穴掘りしてたら目立ちすぎるし。万が一、教師にバレたら生活指導送りになってしまう。
「鳥が原因ってだけじゃ、ないんだ……」
その顔は、不安そうだ。
「できることは、惜しみなく協力する。怪異ってのは行き合う人間の方に、引き寄せる因果が認められたりするらしいから。もし他の人に言えないようなことでも、小さい引っ掛かりみたいなものでも言ってくれ」
莉音は特に何も言わなかったが、ふと思い立ったようにスカートのポケットを探し始める。だから俺は、さっき預かっていた物を差し出してみた。
「もしかしてこれ? 倒れた時に落っこちてたから、拾っといた」
「……っ!」
俺の手中から奪い取れば、ものすごい形相を見せてくる。
「見たの勝手に……!?」
「えっ……いや、見たってまぁ見えてしまったし、触ってしまいはしたけれど。大事なものだったなら、なんか悪かったな」
莉音は俯いて、どうしてかそれをしきりに触り始める。肩で呼吸をしながらひたすらに。直後、走り出そうと立ち上がるが……もたついた足はうまく回らず。
「……っ、う!」
「何やって……おい大丈夫か」
手を差し伸べたが、莉音は構わず逃げ出そうとするので、無意識に俺はその手を掴んで止めてしまった。止めなければ、傷つけずに済んだのに。
「待てよ、どうしたんだいきなり!」
「っ……嫌だ。やめ、離してーッ……!」
無理やり振りほどいた莉音だったが、その弾みでまたぞろ倒れてしまう。
「あ、ごめ……」
「くっ……どっか……行って」
なぜこんないきなり掌を返したようになるのか、俺には全く理解できるはずもない。
「そんなこと言ったって……調子も戻り切ってないのにどうして――」
ところが俺はここに至って、彼女の異変に。逃げようとした真相に、とうとう直面することとなるのだった。
小刻みに身体を震わせた莉音は、次の瞬間——堰を切ったように、それは大きく笑い声を上げる。
「ク……ッハハ、アッハハハ、アハハハハッ!!」
抱腹絶倒。否、すでに倒れているわけだから、それは抱腹既倒、と言うべきかもしれなかった。
ワライダケでも食べたのかと思わせる状況は異様だったが、しかしもっと異様だと思わされたのは、やがて笑いが収まった後に見せた、その絶望的な表情と静かに落とす涙の方だった。
「んでよ……見られたくなかったのに、こんな姿。どうして……なんで私ばっかり――」
打ちひしがれたような姿に、俺はそっと声をかける。
「莉音……大丈夫か」
「……大丈夫なわけないでしょ、こんなの」
ごもっともだ。
「だから誰かと関わるのは……嫌だったのにっ! 結局、こんな思いする……」
苦渋を滲ませた物言い。内面的なトラブルが、やはり彼女にはあるらしい。
「なあ……莉音。教えてくれよ、お前のこと。いま抱えてるものを解決するには、お前のことも知らないといけないんだ」
すると、斜に構えた態度を今度は見せてくるのだった。
「別に……教えるようなことなんてないです。というか、あなたは何もどうとも思わないんですか。こんな姿見て、気持ち悪いとか気味が悪いとか。そういうの、これっぽっちも思わないほど変人だったんですか。それとも鈍感なんですかね。もしくは、どうせ適当に済ませるつもりだったんですか。私のことなんて」
ツンとした語気は、なんだか別人のようだ。これが莉音の真の姿なのか。
「思わなかったよ。でも別に、鈍感でもなおざりに臨んでいたわけでもないから、そこは心外だな」
「ふん、変なの……でももし、あなたが私に嫌悪的な感情を持ったなら、きっと声が聞こえていたはずだし。まぁ……本当なんですね」
悪意を教える怪異のおかげで、悪意がないという本当の気持ちが伝わるとは、なんだか妙な気分だ。
「嘘偽りはない。現実的に言うなら、その怪異に誓って」
あんな態度を取られれば、気持ち悪いだとか気味が悪いだとか思ってしまう人は少なくないだろう。それはたぶん、自然なことである。黒い羊効果だ。俺がそう思わなかった、つまり黒い羊のように見えていなかった理由というのは、単純明快に説明できるものだった。それは――他人として莉音を見ていなかったからだ。事情も知らないどこかの一般人ではなく、莉音であったからに他ならなかった。
「わたしはこのせいで……小学校からずっと散々な思いをさせられてきた。友達も先生も家族も、頼るなんてもちろんできなくて、むしろ理解なんてされようものでもなくって、私はずっと隠してきた。馬鹿みたいに、一人で足掻いてきた。この……勝手に笑ってしまう奇病の中で」
「勝手に笑う……」
「緊張とか興奮とか、そういう過度なストレス状態に晒されるとたぶん、私は勝手に笑ってしまう……さっきみたいに。一度出たら止まらないんです」
つまり純粋な身体的特徴、もしくは個性であって、怪異的なものではないということになるのか。
「家族にも、とかさっき言ってたけれど。このことを紫苑は知ってるのか?」
「この姿は知られてるけど。病的な、自分でコントロールできないものだってことは、多分知らない」
「ひた隠しにてきたってことか、小学生の頃からずっと」
「笑ってしまうこの病気こそ、笑っちゃいますよ……アホくさい。そう思わないですか」
盛大な皮肉。
「いやちょっとうまいけど。ちっとも笑えねーよ」
「もちろん、隠しきれなかった時もある……けど、ほとんどの時はその場から逃げて、見せることこそ回避してきた」
「だからさっき……」
そこで大きく溜息を挟んで続けた。
「トドのつまり……もう、バレちゃったし、今はどうでもいい。それより、このこと言わないでくださいよ誰にも。もちろん紫苑にも」
「分かってる」
「……あと、アレを見て何か、思ったりしましたか」
「あれって?」
なんで分らないの、というような顔をされてしまった。
「はぁ……さっきの。サルボボ、人形」
「あぁはいはい。いや、別に」
「ふうん……」
このあと、紫苑が俺に莉音の身を案じて電話をかけてきたのだが、そこで俺は今は大丈夫そうだと伝えた。しかし紫苑は、それでも心配だからと、結局神社まで迎えに来る運びとなった。
それまでをしばし、俺たちは二人きりでまた過ごす。月明かりを臨む境内では、電灯に羽虫がいくらか。涼しい風が吹くなか、先に口を開いたのは莉音だった。
「さっきは、すみません……わたしに落ち度があったというか、言い訳も無いです」
まさかここで省みる言葉が出てくるとは。どうやら、少しは落ち着いてくれたようだった。
「いや、いいよ。俺にも落ち度はあったんだろうから」
「……なんで、先輩はそんなに、大人ぶっていられるんですか?」
「大人ぶっちゃいないよ、別に。
だいたい、莉音やどっかの誰かが思ってる絵空事のような『大人』っていう概念には、警鐘を鳴らしたいとこだ。そんな都合の良い大人なんて、いったいこの世にどれだけいるか。達観して清濁合わせのみ、聖人君子然とした振る舞いを見せてくる大人なんて、少なくとも俺の人生の中では一人もいなかったぜ?
なら俺は、大人ぶりたくなんてむしろこれっぽっちもないと、だから思ったりするんだよな」
「はい……? よく分かんないこと言わないでもらっていいですか」
「え……」
めちゃくちゃズバッと言いよる。なんだろう、ちょっとベクトルは違うけれど、幸徳池に似て非なる何かを感じてしまう。赤い炎か青い炎かみたいな。
「先輩のことは嫌いです。でも、それと同じくらい信じたい人でも、今はあります」
「そりゃどうも」
なんてことがあってまもなく、紫苑が来たことで俺はようやく帰途へ着くことができた。
⭐︎
その夜、瓮からの電話を取った俺は、話せる範囲で報告をしてやった。
「そっか、ありがとね。でも変な話だな、その鳥」
「オシエドリのこと?」
「四月初旬でしょ。そんな時期に、ここらで孵化するような野鳥はいないもん」
そうだ、そういえば瓮は野鳥に詳しいんだった。
「早くても五月頭が普通だからさ。姿を見せるにしても、現実に合わせなかったのは何か理由があんのかなって思っちゃった」
「瓮は本当に詳しいんだな。日本書紀に出てくるってのも知ってたのか?」
「いや、さすがに知らないよ。ウチが知ってるのは、そういう逸話じみたものじゃなくって生態だから」
「博士だな。いったいどんな生態を知ってるんだ、瓮博士は」
おちゃらけて言ってみると、向こうから軽快な笑い。
「やめてよ。でもなに、聞いちゃう?
セキレイにはいろいろあって、ハクセキレイって結構懐っこい面もあって皆知ってるけれど、他にもキセキレイとかもいてさ。渓流とかが生息域でね、地鳴きがちょっと高めで。飛翔時にそれが……あ、ごめん。そもそも地鳴きっていうのは――」
自らが発した適当な一言によって小一時間ばかし、聞きたいでもないセキレイの話を真面目に聞かされるハメになったのだった――




