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  作者: 左猫右雛
第一章
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2【イヌガミ】

 さて、約束は交わしたものの……あの日から、なしのつぶてだ。廊下でバッタリしても視線すら合わせやしないので、何か気に触ることでもしたのか? と、こちらが不安になってしまったりしたが……不本意というか腹に据えかねるので、気にしないという意味で腹を括った。

 しかし、嵐の前の静けさか。一週間以上経つ木曜日の夜。知らない固定電話からの着信に出てみれば……

「――幸徳池だけど、起きてる?」

「……起きてるよ。ていうか、まだ八時半だぞ。老人扱いすんな」

「老人? なぜ?」

「え。いや……まーいいや。それより、何か用があってかけてきたんだろ」

「ええ。話の続きというか、要するに怪異のお話なんだけど。あれから、私なりに優先順位をつけてみたの」

 いろいろ考える期間だったのか? なら、そうと言ってくれりゃいいのに。

「こんな話があるんだけど、知ってる?」

 狗神(いぬがみ)。インガミなどとも言われ、古くは平安時代からその存在、いや事象というべきか――は確認されているらしい。

 他の憑き物同様、極めて強い感情に惹かれて現れるとされる。噛み付かれれば、次第にその原因たる感情を失ってしまうそうだ。生々しい噛み跡と引き換えに。

 強い感情に苛まれて苦しむことを考えれば、ある意味では救われたと言っていいのかもしれないが、強い感情を無くすというのは、心の一部を消失してしまうのと同義。であるからして、少なくとも救いの神というわけでは、やはり無さそうである。

 さて一番の問題は……本校の生徒において、それらしきが存在してしまっている事態であり、奇しくも俺と同じクラスの女子生徒であるということだ。

 (もたい)爽羽(そうは)

 同じクラスとはいえ、話したことは無い。名前を聞いてまず思い浮かべるものと言えば、陸上部くらい。

 幸徳池曰く、彼女は女子の間じゃ評判良く人望も厚く、陸上部短距離エースであるそうだが、なるほどたしかに壮行会で名前が上がっていたような気もする。

 そんな彼女はとてもストイック。部活動以外での練習も毎日のようにこなしている。休みの日や放課後も関係なく、河川敷で走り込んだりトレーニングジムへ通っていたりするらしい。部内では、練習の鬼と称されているとか。

 しかし幸徳池は、この話をもちろん本人から聞いたわけじゃない。周囲が話しているのを聞いて知ってたようだ。つまり、幸徳池もまた瓮との面識は俺と同じで全くか、ほぼ無い。

 次になぜ、幸徳池は彼女が狗神に取り憑かれていると考えるに至ったのかだが、それについては俺も少し気付かされるところがあった。

 というのも始業式の日、クラスで瓮を中心に少し騒ぎがあったのだ。瓮は手に絆創膏を、それも俺たちがよく使うような長細いのではなくって、四角い大きいやつを確かそのとき貼っていて、インターハイ前に大丈夫か? みたいなことを言われていた。

 そして今、絆創膏はテーピングに変わっただけのはず。ゆえに、幸徳池の話を聞く前後じゃ、瓮に対する印象は変わらざるを得ない。

 狗神の噛み跡を隠しているのではないか? ということだ。

「――だから、ちょっと様子を見てほしくって。あなたから見て、おかしいところが無いか教えて欲しいのよね。というかまずは接点を、持って欲しいところなのだけど」

「様子を見るのは分かった。でも話しかけて聞き出すってのは、ちょっとばかしハードルがあるな。すぐに聞き出すのはもちろん難しいはずだ。ろくに話してもない、まして異性とだぞ。相手が警戒するだろまず。そんでもって警戒されたら、何を聞く以前の問題じゃねーの」

「ふむ……そうね。でも」

「……ん? どした」

「ううん、何でもないわ」

 急に切れる電話口。ここで『もしもし、おい!』なんて言わないのが俺だ。

 アニメとかで、まだ呼びかけるような真似をするシーンがあるが、アレは何なのだろうか。プープー言ってんのに、呼びかけて反応があるわけなかろう。

 もしかすると家人に聞かれると困るから、不意に切ったのかもしれないな。

「ま……いいか。ほっとこ」


⭐︎


 瓮爽羽はやはりそのスポーティな髪型の通り、名前にある字の通り、凛として爽やかな女子だ。

 手に目立つテーピングがあるが、それを除けばいたって普通。

 幸徳池曰く、狗神の噛み跡が手足の末端から現れて、最終的に首などに出てくるまでは個人差があるらしい。首まで出てくると、精神バランスを欠いて自我を崩壊させてしまうのだとか。そうなるまでの期間は概ね半年から一年。まだ猶予はあるだろうということだったがしかし、そんな危険があるならば早めに対処してあげたくもなる。

 だが、本人になんて言う。馬鹿正直に言ったところで……待てよ、俺が話しかけるより幸徳池が話しかけた方が、同じ女子同士なのだし、警戒心も解けるのでは? 

 そう思い至った俺は、さっそく五組に赴いた。

「さて……来たはいいけど」

 アウェイ感。同じ間取りなのに、こうも違く見えるのは不思議なものだ。

 勝手に入って声をかけるのは気まずいだろうか、などといろいろ考えているうちに、向こうから近寄ってきてくれた。野良猫が来てくれた時みたいな気分である。

「よ、幸徳池」

「おどり場の方に来て」

 そう言って颯爽と歩いていく幸徳池。そして、そのすぐ脇を通る瓮。まさかのニアミスに、一瞬声をかけるべきかとも思ったが……まぁ無理だった。どうやら五組の陸部に、話があったようだ。


⭐︎


「――どうしたのいきなり。私のクラスまで来るなんて。あんまり校内で二人っきりで会話しない方がいいとは思うけど。ましてこんな人が多い時間帯に」

「そうなんだが、ちょっと提案が」

「なに?」

「俺じゃなくて幸徳池が話しかけた方が良くないか? 女子同士のほうが、そういうのはさ」

「どうして?」

「いや……お前だって、知らない男子から身の回りのこと聞かれたらちょっと構えるだろ? それが女子だったらどうだって話」

「無理よ。私は悪評が一年の時に既についてしまったし。それに、きっと気に触ることを言ってしまいかねないから」

「自覚あんのかい」

「男子だろうが女子だろうが、私に言わせてみれば、あまり差はない気がするけれど。

 むしろ同じクラスなのだから、あなたの方が近づく要素は持っているでしょ」

「……たしかに」

「じゃあ、よろしくね」

「はい……」

 説得失敗。仕方ない腹を括れ。


⭐︎


 放課後、部活へ行こうとする瓮を呼び止めた。

「おい、瓮! さっきこれ落とさなかったか?」

 拾い上げて差し出したのは、自分で用意したペン。古典的な手法に落ち着いたもんだ。

「え? うそ、見して」

「はい」

「あーこれ似てるけど、ウチのじゃないよ」

「そっか、呼び止めて悪かったな」

「別に、じゃね」

「あっ、ちょっと待ってくれない」

「ん?」

「その手、どうしたんだ? 始業式のときに怪我してたみたいじゃん。なんか、悪いのか?」

 スッと反対の手で覆う瓮。

「え? あ……いや、別に。そんな大したことじゃ、全然なくって。まぁ見た目気になるからさ、あれなんだよ、痕になっちゃってて。隠してるみたいな感じ」

 みたいな感じ、ねぇ。

「平気か? 大会も近いみたいだし」

「大会ね……んでも、なんで?」

「なにが?」

「いや。なんで、急にそんな気さくに話しかけてくれんのかなって思っただけ。だって、今まで静かに隅っこで傍観に徹するキャラだったよね?」

「えっいやそりゃ、だって心配するだろ。クラスのヒロインだし、席近いし」

 取ってつけたような回答。不安が一気に押し寄せる。しかし瓮は、乾いた笑いをこぼした。

「ははっ。そんなこと言われるなんてビックリだな。でも平気だから。別に気にされるほどのことじゃない」

「そっか。なんかあったら言えよ。俺でもできること、あるかもしれないし。身近じゃない奴になら言えることってあるだろ。

 それに河川敷にある第七競技場で、練習してんの見たことあるんだよ(大江戸に聞いただけで、俺は見てない)。ほんと、頑張ってるもんな」

「そっか。どこで見られてるか分かったもんじゃないね。でもやめてよ。だってウチ、別に頑張ってないんだ……全然ね」

 含みを残した瓮は、スタスタと向こうへ行ってしまった。背中に大きなエナメルバッグをぶら下げて。

 頑張ってない――努力家はそんなふうに、謙遜というよりは自戒の意味で自分に厳しい見方を押し並べてしてしまいがちなのだろう。

 ところで、今はネットで何でも出てくる時代だ。こうして瓮と会う前に俺は一応、いろいろと調べていた。

 ローカルニュースなんかでは当然のように陸上競技に瓮の名前がある。それによれば瓮は中学二年から活躍し始めたようだった。数々の大会で優勝を、高校一年になってからは全国大会六位入賞。周囲の多大な期待を想像するのは、さほど難しく無い。

 そんな彼女の背負うものは、あんなエナメルバッグに、まして年頃の少女の背におさめられるほどのものでは、たぶん無いのだ。期待からくる重責・使命感なるものが、あの身軽そうな若干十七歳の身体に、それは重く重くのしかかっていることだろう。

 そう考えてみれば、瓮にあるかもしれない強い感情の根源は、皆目見当がつかないものでもないのかもしれない。

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