17【丹虎 然鳩】
叔母の名前は、丹虎然鳩――銀髪、高身長、切れ長の目。三十前半。第一印象は、カタギに見えない。
ノースリーブにスウェットパンツという身軽な装いの然鳩は、慣れた手つきでジッポを鳴らし、机上に携帯灰皿を置いて話し始めた。
「……さて、でははじめよっか。大事なお話だ、ヒナ」
「あのそれ……定着する感じなんですかね」
「は、なにが?」
「いや、雛太の『た』をとる感じなんだなと」
「どう呼ぼうが、あたしの勝手だろ」
「まぁ、ごもっとも。なら、大事にしていた雛を取られなかっただけマシってことにしておきます」
「はは、そう思っとけ。ところで、そんな気構えるなよ。正座で構えられちゃ、まるで説教やってるみたいじゃないか」
ということで、俺は正座から胡座に。
「ヒナ。あんたは律が、普通なら頭がおかしいと思われてもおかしくない、妙なことをやってるのを理解して、それでいて付き合ってる。そういう、たしか話だったよな」
「そんな感じです」
「ほーん」
鋭利な視線が刺さる。
「……えーと、だからまぁ信じてるんですよね。俺自身はそういうのが見えないけれど、あるって」
「そういうのとは?」
「その、怪異的な。子供の頃、親には先祖の霊が見ているなんて言われていたもんですから、霊的なものはあるって信じる派で――」
このあと俺は心にもないことを、散々並べ立てるのだったが、終えてみれば然鳩は気怠そうにひとこと。
「いいよ、そういうのは」
「はい……?」
「あんたのそれは嘘。分かってんだよこっちは」
心臓の鼓動が机に伝わりそうで、手をすっこめた。
「え……どうしてそう思うんです」
片側の口角が嫌味ったらしく上がる。
「いいこと教えてやろうか。負い目があるとき、ハッタリをかましているときに追及されると、みんなこう言いがちになるんだよ――どうしてそう思った、ってな。理由を問いたがんのさ」
「っ……」
ぐうの音もでねえ。
「旗色も顔色も悪そうだぞ。図星か?」
「いや勘弁してくださいって。そんなかまをかけられてもな、と思っただけです。信じてもらうにはどうしたらいいのかと、純粋な心を悩ませてしまっただけで」
「にしちゃあ、付き合ってんのに苗字呼びなんておかしくないか、そもそも」
「いやあ、そんなことは……ないと思います」
「まぁでも名前で呼びたがる奴ばかりでも、或いはないってだけの話かね」
「まぁ……」
「恋仲ってんなら、ついでに聞いとくけど。聞いとかにゃいけないわけだが。まさかお前、カラダ目当てじゃないよな?」
「……ブーッ!」
手持ち無沙汰でドクペを飲んだのが誤りだった。
「げほ、げほ、なにを言って……」
「おっぱい、さわりてーなとか思ったのが恋のつまになってんじゃないよな?」
「ちょ……いやそりゃ、触りたくないか触りたいかで言えば、誰だって触りたいでしょ男なら。でも、そういうのは別の話だと思うんです。
最近、知り合いにもそう言われて。おっぱいが大きかったからどうのこうのみたいな。正直、その偏見うんざりですよ」
「ハハッ。ま、そらそうだ。正直な点、嫌いじゃねーな」
「然鳩さんはどうして俺を……なんかこう、疑ってるんです?」
「疑われてるように感じんなら、あんたがその原因を自覚してるってことなんじゃあ、ないのかね」
「いや、揚げ足取られてましても」
「ところで、あんたがあいつと親密っていう点においちゃ信じてる。その上で、そういう関係になってれば当然分かっちゃいるだろうけれど、律は友達ろくにいないんだぜ」
「はい……知ってます」
というか俺もだ。俺たちの友達を足しても片手で済む。
「そんな奴に仲良くなれる奴が、やっと生まれたんだ。どんなもんだろうかって興味を持ってしまうことだって、あるとは思わないか?」
「はぁ……」
親心的な?
「律は親戚の家をたらい回しにされ、ここにやってきた。人との関わり方がめっぽう下手でな。まぁ、あたしが言えたもんじゃないが。
あいつは、距離感を掴めなくて、周囲からは突き放されちまう。でも人が嫌いってわけじゃないみたいで、むしろ好きなんだとは思うんだ。でも、嘘で身を固める人間は好きじゃない。取り繕った笑みを浮かべるような奴を、あいつは好まない。
だから、空気を読んで合わせるとか、みんながこうだからこうしなきゃいけないとか。おべんちゃらみたいなのもまた好まない」
「だからこそ、毛色が違うというか。そんな人に思いますよ、個性っていうんですかね」
「毛色か、言い得て妙だ。あいつの父のことは聞いたか?」
「はい、一応」
「あいつの父親、要するにあたしの兄であるところの丹虎由遠は、専門家だった。ひと口にはなかなかどうして表せない仕事だが、まぁ噛み砕いてしまえば怪異退治の仕事に従事してたって言えば早いか」
「へぇ……やっぱあるんですか。そういうの」
「ああ。あたしもそうさ。表は写真家、裏は専門家。二足の草鞋、ボロッボロのな。現代じゃ支援や支持の手も薄いし。半分ボランティアだ。誰にも褒められないボランティア。
ともあれ、そういうことやってっから命の危険とも常に隣り合っている。由遠もそれは心得ていたはずだ。だからいろいろ生前に用意をしていた。全ては律のため。でも怪異現象なんてなんも関係ない、ごくシンプルな交通事故によって落命しちまった」
「交通事故……ですか」
「呆気ないだろ。あたしは子供があまり、いやむしろ嫌いでな。とは言え、面倒は見てやらにゃならんから、必要最低限はやってたさ。ガキの頃の律は、父親の遺した専門書なんかをまぁよくよく目を爛々とさせて読み耽っていたよ。
そういうものを遺したのは、たぶん律がもしかすると見える側になるかもしれないため、だったんだろう」
「もしかすると……ていうことは、今後見える人になるかもしれないということですか?」
「いいや。見えるか否かは、幼少にその兆候が出る。そうでない場合でも、十五あたりにはだいたい決まる。それが通例だ。
だからあいつは生涯変わらんだろ。具体的にどこまで見えてるのかは知らんが、それでも道具を作る力量はやっぱり血縁だけあって備わってる。備わってしまった、と言った方が正しいのかもな。まったく中途半端だ。
あたしなんかは、見えないならそれで良いだろうにと思っちまう。それこそ何の不便も無いはずだし、その方が幸せとも言える」
「たしかに、その方が良いでしょうね」
「深淵を覗くとき云々、なんてニーチェの言葉じゃあないが、見てしまうというのは関わりを持つのと同義。怪異の中には、それこそ見えただけで影響を受けちまう場合なんてのも少なくない。
つまるとこ……神や神秘、あるいはこの世ならざるものっていうは、基本的に見ちゃいけないお約束なんだ」
「なんで、怪異現象って起こるんですかね。怪異って、何の理由があっているんですかね……」
「そりゃ簡単な話。そのままそっくり返してやるよ。ヒナは、何故そこに生きてる?」
「え……そっか、そういうことになりますか」
この世界は、なにも人間のためだけに作られたわけではないのだ。そんな考えは改めるべきただの高慢であり、ならば都合よく作られる道理は一切ない。もとより不都合込みの世界というまでの話であった。
「充足理由律なんてあったとして、結局それは後付けでしかないか、若しくは人が到底理解できない領域にあるかのいずれかだろ。畢竟、なぜいるのか理由を探すこと自体が不毛。なぜいるかでなく、いるが故を理解した方が有意義だ。
例えば、なぜヒナがいるのか? ではなく。ヒナがいるが故に、律は前とちょっぴり変わった。その意味を考えた方が、よっぽど充実しないか?」
「変わった……そうなんですか?」
「ちっとはな。もちろん悪い方にじゃない。人間味が出たというか、別に前から暗かったわけじゃないが、変わったところはちらほらと、それでもあるってもんさ。
そりゃ、理解者が生まれるのはデカい。中高生で盛んな奴らにとっちゃことさらに」
「そうだったんですか。まぁなら、よかったかな」
「ところで……まるで、見える人間のような物言いだったな」
いっぱい食わされたかもしれない。しかし、この人に上辺の誤魔化しは有効じゃない。それどころか、逆効果になるかもしれない。だから打って出ることにした。
「……あの、質問しても良いですか。然鳩さん」
「なんだ?」
「俺は、そんなふうにちゃんと幸徳池を見ている然鳩さんが、彼女の大切な遺品を安易にというか、考えも無しに処分するとは思えないんです。どういう目的があるんですか。
それに分かってたんですよね、幸徳池の嘘を。その上で俺が見える人間で協力してたら、何がまずいんですか?」
「質問攻めだな。まいいか、あんたがこれに答えるなら、あたしも教えてやるよ」
「何ですか?」
「まず、あんたは怪異が見える人間だ。違わないな?」
「はい……見えます。すみません、嘘をついてしまって。幸徳池の大事なものが俺のせいで失われるのは、看過できなかったので」
「……次に。あんたが律に協力する理由は、いったいなんだ?」
「俺にできる事があるなら、やりたいと思ったから。それがたぶん、自己肯定にも繋がりそうな気がしたんだと思ってます。だから見かけ上は協力だけれど、実際の向きとしては俺のため……なのかもしれないです」
「ほう、そうかい」
二、三回タバコを吸った然鳩は、再び話を始める。
「あんたを呼んだのは、なりを見極めるためとでも言っとこうか。で、もう済んだ。あとは、あいつの問題さ。どちらかと言えばね」
「幸徳池の?」
「話は終いだ。お前たち二人に、確かめておかなきゃならんことがある。悪いが律を呼んできてくれないか、答えはそれから話す」
俺は部屋を出る際、危うく畳縁を踏みそうになったのでスッと歩幅を開き、そのまま廊下へ退出した――




