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  作者: 左猫右雛
第一章
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12/40

12【瓮 爽羽 下】

 俺たちは定刻まで時間を潰し、それから第七陸上競技場へと向かった。

 河川敷の夜空には半月、土と芝の香りがあたりに立ち込める。幸徳池はプレハブの前に、白を基調とした服で立っていた。

「剣見君、それは?」

 俺の手に視線が落ちる。そこで、俺はこれまでのことを説明するのだった。

 帽子を取った瓮を確認した幸徳家は、見えているのかいないのか、やはりどこか不自然なものは感じている様子。

「それで、瓮さん。これから行う儀式というのは、あなた自身に向き合うものになるけれど、念のため聞いておくわ……平気?」

「大丈夫、覚悟できてる」

「――みたいね。思い入れのあるものは、持ってきてくれた?」

 バッグから手にしたのは『青い鳥』。たしか、メーテルリンクの作品だ。表紙には、チルチルとミチルに青い小鳥。くたびれてはいるが決して状態は悪くなく、丁寧に扱っていたことを雄弁に物語っている。

「どうして選んだのか教えてくれる?」

「これは、ウチが親によく読んでもらっていたもので、自分で今もたまに読むの。可能性とか希望みたいのを追う姿に、たぶん当時のウチはすごい憧れていたんだろうと思う。

 ウチが野鳥に興味を持つようになったきっかけでもあって、特に思い入れのあるお話だった……ううん、シンプルに楽しかった。そう、あの頃がとても楽しかったんだ、ウチにとっては。これまで悩んできた日々の、心の拠り所になってた気もするし。だから選んだ」

「そ。じゃあ、それは預かるわね」

「いいよ、はい」

「それからもう一つ」

「なに?」

「きっと、全てが元通りというのはもう難しいかもしれない。でも、私なりに全力は尽くすつもり。だから尽くせるように、聞かせておいて欲しいの。何かを失う覚悟は瓮さん、あなたにあるかしら?」

 それはもう手遅れというか、結びつきがやはり生まれてしまったということだろうか。

 しかし瓮は躊躇うことは無かった。

「あるよ。これからを失わないために、失うならソレでいい。得るために失うのなら。だからよろしく、幸徳池――」

 その後、儀式は滞りなく。それは全くもって、派手でもおどろおどろしくもなく、神社の神事のように淡々と行われたのだった。

 塩水を含んだ瓮が目を閉じて、四隅に盛り塩された敷物の上に座る。天然石がいくらか並べられる内側で、外側にいる幸徳池の質問に答えていく――たったそれだけ。だのに、とてつもない儀式を目の当たりにさせられたような気に、しかし俺はなっていた。

 たぶんそれは、瓮の獣耳が煙のように消えて無くなっていくのとか、気づけば周りの芝が踏み潰されたように寝ていたこととか、あの絵本が近くで静かに青白く燃えていたことなどが原因なのかもしれなかった。或いは、幸徳池が毅然と立ち向かう姿にこそ、非日常的な何かを感じていたのかもしれない。

 目を開けるよう指示された瓮は、自らの腕を確認した。そこに噛み傷は、ひとつも無かった。

 儀式は無事、成功だ。

 では、彼女の失ったものとはいったい何だったのか――? まさか絵本だけ、なんていうこともあるまい。幸徳池に問うてみると、彼女も分からないと言う。そもそも元通りは難しいというだけで、絶対に自身の何かが失われるというわけでもないそうだ。

「剣見、幸徳池。ありがとう、助かりました――」

 深々と頭を下げる瓮。そこで幸徳池は力無く(くずお)れてしまう。

「ちょ、おい幸徳池……!」

「……大丈夫、平気よ。たぶん反動、みたいなものね。ちょっと休めば、治るわ。神を送るには……巫女が必要で、私はその役目になる。私を媒介にして送るから、そのせいだと思う」

「負担は本人が負う、みたいなこと言ってたじゃんか」

「それは、少なくとも剣見君にはということ。これは私にとって必要経費」

「必要て……ちゃんと言えよそういうの」

「平気だからこれくらいは。でも、ちょっと休んでから帰ることにするわ。うまく立ってられないの。

 それと瓮さん、あとは前の自分に戻らないようにしてね。一度送ったからと言って、二度目が無いとも言えないのだから」

「うん、分かった。肝に銘じる。それにウチ、決めてることあるんだ。剣見に言われてね」

「そう、頑張ってね」

 その後、俺は幸徳池を家まで送るためにそこへ残り、瓮には先に帰ってもらうこととなった――


⭐︎


 街灯が照らす夜道を歩く。

「平気か?」

「剣見君こそどうなの、手」

「そりゃ痛いに決ま……あれ?」

 言われてから気づく、痛みが無いことに。

 確認してみると、なぜか俺の怪我はスッキリ治っていた。悪い冗談だったとでも言わんばかりに。ただ、その代わりに歯形のようなものがアザとなって、そこに浮き出ていた。

「治ってる……ていうか、これどう見ても人の歯形じゃねーか」

 キスマークならぬトゥースマーク。

「狗神がいなければつかなかった直接的な傷、というのは元が解決すれば遡及(そきゅう)して消えてしまう。だから、人間としての瓮さんが噛んだ結果にすげ変わったのでしょうね」

「気づかぬうちに怪我が治ってるって、結構気味が悪いもんだっていま知ったわ」

「女子高生の歯形をつけた、おませな男子高校生の出来上がりね」

「やめてくれ。そんな、付き合いたてで浮かれちゃってやらかしたような言い方。俺は節操なしではない」

「貞操は守ってるのね」

 男に貞操って言葉は使わないぞ、正しくは童貞だ。まぁ意味は通じるけどな。

「ともあれ今回は助かったわ。剣見君のおかげ」

「ほぼ何もしてないけどな、お前じゃんか功労者は」

「ううん。もし瓮さんが、あそこまで自分の抱える闇に向き合う姿勢になれていなかったら、きっとこうは上手くいってなかった。これだけの代償で済んだのは奇跡、というか不思議よ」

 犠牲ではなく代償という言い方は、やはり幸徳池らしい。

「そいやさ、あの耳はいったい何が原因だったんだろうな」

「それは私も分からない。結びつきをそこまで強めるにしても、大抵は傷が目安になるそうだから。瓮さんの症状を見る限りにおいて、そうなってもおかしくないとはまだ全然、言えない状況だったのは事実よ。

 にも関わらずそうなったのは、およそ今回がイレギュラーだったって言えるんじゃないかしら。前も言った通り、絶対は無いから。それについて言えば代償に関しても、瓮さんが奪われたものというか、失ったものに気づけていない可能性だってまだそこにはあるのだけれど」

「……気づけてない、か」

「ところで、気になっていたことがあるのだけど。剣見君、どうやって瓮さんの家を突き止めたの? まさか、もともと彼女のことをストーキングしてたのかしら」

「当然のように犯罪者予備軍にするな」

 俺が家を把握した経緯は、シンプルだ。

 ラインのプロフィール。そこからSNSのアドレスにアクセス。アップされている写真を閲覧。陸上競技に関するものだったり、空や鳥の写真だったりがあったわけだが、その中で鳥が群をなし飛ぶ光景を写したものがあった。そこに電車の路線、それから大きなスーパーのロゴも見えていたのだが、界隈でそれらが見える場所というのは限りがある。

 撮られた写真の高さ・方向から察するに、あの団地だということは地図で検索すると、すぐに分かる。

 位置的には恐らくベランダ。友人の家で撮ったものかもしれない、なんていうふうには思わなかった。だって、その時間が早朝だったから。あとは、C棟の表札を見て該当住居を探すだけ、というのがオチである。

 それを説明してやったのだが、返ってきたのは冷たい視線だった。

「え、なんだよその目」

「それ、少なくとも普通ではない気がするけれど」

「は? なんで」

「普通は、出さなきゃいけない選択授業の課題があってそれを届けたいけど、家の場所が分からないから教えて欲しいとかそういう理由で、担任とか彼女の友人にまず聞いてみたり、するんじゃないのかしら」

「……え」

 そう言われると、たしかに。

「剣見君がやったことって、所謂(いわゆる)ネットストーカーっていうやつと、やってること同じよね。最近テレビで、載せた写真や何かで第三者に個人情報を予期せず与えてしまうって」

「おい! 怖いこと言うなよ。別に俺は悪用のつもりでそんなことしてたわけじゃない」

「いや、それはもちろん百も億も承知してるの。傷つけたり困らせたり怖がらせたりするどころか、助けるため救うためだったのだから。

 だから、誰かはこれを気持ち悪いと思ってしまうかもしれないけど、安心してね。私は、そこまで思わないから」

「ちょっとでも思う余地を残すな!」

「それはそうと、そういう発想が真っ先にできるって、剣見君は存外サイコパスなのかもしれないわね」

「お前が言うか……」


 やがてたどり着いた幸徳池の家は、武家屋敷みたいな感じだった。

 二階建ての瓦屋根。ここらじゃ塀に囲われて分からないけど、きっと敷地内には離れとか蔵とかありそうな感じだ。古風で由緒ある雰囲気は、余りあるほど漂っている。

「ここからはもう、平気だから」

 門が見える手前で幸徳池は言った。

「えっ、いや荷物あるしいいよ。ついてくよ」

 幸徳家の鞄は、儀式で使ったものが詰め込まれていて、わりかし重いのだ。

「ううん、平気。ここでいいから」

 そう言って、なぜか俺の手から半ば強引に引き取って、そそくさと歩いて行ってしまうのだった。急にどうしたのか?

 それでも一応、あいつを見届けた。また倒れでもしたらと考えて。

 その帰り際。

 すれ違ったのは、街灯に銀髪を艶めかせる女。喪服のような黒一色、三十代くらいの痩せ型。そんな女に、何故か俺はすれ違いざまに睨まれた。

 しかし、その女性がわりと重要な人物であるなんて、この時の俺が知る由は無い――

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