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  作者: 左猫右雛
第一章
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11/46

11【瓮 爽羽 中】

 瓮爽羽の幼少期は特筆すべきことのない、つまりは平凡なものだった。

 楽器が得意、勉強ができる、体力自慢、そういったことは一切無かったらしい。強いて挙げれば、人より鳥が好きだった。夢は獣医さんになること。そんなことを、よく親に話していたそうだ。

 そんな瓮はやがて、テレビで活躍する同世代の子ども達に触発され、夢と憧れを抱く――何かで凄くなりたい。両親に自分の良いところを見せたい。

 転機は、中学入学後だ。陸上部への入部がきっかけだった。メキメキと才能は開花し、あっという間に部のエースへ。それからは順風満帆。両親はもちろん喜び、娘の可能性に投機(とうき)するかの如く、様々に世話を焼いていったらしい。まさに有望株。

 大会での勇姿に喜ぶ親の姿は平凡すぎた瓮にとって、何も無かった瓮にとって、この上ない幸せに他ならなかった――が、両親の思いは瓮が陸上に対して抱くそれを遥かに上回るものに、いつしかなっていく。

 よくある、食事面のフォローや道具の買い与え、そして応援。そういうのは、どの家庭でやっていても別段おかしくはない自然なことだ。

 だが、瓮の両親に限っては度が過ぎていた。あの部屋を見れば分かる通り。

 『娘と共に』ではなく、『娘のために』全力で挑む親。教員や保護者界隈からは、教育熱心で娘思いのデキた親として、子育ての鑑のように見られていたし、同世代には良い親を持っていると羨ましがられていたという。

 本人は、こういった反応に笑顔こそ返していたものの、内心では笑えない状態に実はあった。

 試合で優秀な成績をおさめるたびに押し寄せてくるのは、歓喜でも充足でもなく後悔と葛藤。始まったのは青春ではなく、苦悩の日々。

 本当は、陸上競技なんてそこまで興味があったわけでなく、できてしまっただけ。一位をとって終わりで良かった。高校では別のことをしようとすら、考えていた。何度も親には、打ち明けようとした。

 しかし、必要以上に費やし応援してくれる親に向かって。毎日のように陸上の話題に花咲かす親に向かって。負けると悔しそうに涙し、次こそはと励ましてくる親に向かって。

 『もうやめて。陸上競技はそこまで好きでやってたんじゃない』などとは口が裂けても言うことが、だから彼女には出来なかったし、その勇気も無かった。これが、練習の鬼――瓮爽羽の出自である。

 そして彼女は、狗神に行き合う。

 さて……瓮の抱く強い感情――それは、陸上競技に対するものではない。陸上競技を通して生まれた、歪な親子関係に対するものだったのだろう。陸上競技に悩んでいたのではなく、陸上競技を悩んでいた。

「お前が、日夜練習に明け暮れてるのってのは、もしかして……」

 瓮は脱力した笑みを見せる。

「……この家から、逃げたかったんだ。一緒にいればそんな話ばかりだから、帰りたく……なかった。酷い話だよ、自分でも分かってる」

「希望の道だったものは、そうやっていつしか逃げ道になってたってわけか」

「……どうして、こんなふうになっちゃったんだろうって。何度も、何度も……何度も何度も何度もだよ、後悔した。はじめは本当に楽しかったよ。幸せだったし充実してた……なのにいつから、狂っちゃったんだろ」

「…………」

「……ウチは陸上競技にしか興味を持ったらいけない、それ以外を生き甲斐にするのは許されない……そんなふうに思わされてから、だったのかな。

 でも結局、そういうこと思ってもお母さんとお父さんには言えるわけなくて……」

 明るく励ますとか、寄り添い共感するとか、きっとそういうことは必要ない。むしろそれらは、二階から目薬も甚だしい愚行だと俺は思う。

 知ったような口で同じ立場に並び立とうものなら、場合によっては感情を逆撫でしかねないし、本質的な成長に繋がらない。

 だから、俺はこう言った。

「やめちゃえよ」

「え……?」

 陸上競技をやめ、根源を断つ。一番簡単で、最も難しい最善策を俺の立場だからこそ、提示しなければならない。

「やりたいって思えないんだろ? やめたいって思ってるんだろ」

「や……いや無理なんだ。私だけの問題ってわけじゃ、もうないんだ」

「自分の心を裏切るような真似をしてまで、するようなことじゃない気がするんだけどな」

「違う! ウチには……みんなの期待もある。先輩も後輩も友達も先生も、私のために動いてくれてる人たちが……支えてくれた恩が。そういう色々も全部、裏切ることになっちゃうでしょ!」

「いや、勘違いというか意味の履き違いをしてる」

「え……?」

「本当にお前のことを考えて大切に思ってくれる人達だったら、きっとそういう決断だって支えて受け止めてくれるはずだし、そうでなくちゃいけない。恩返しだとか、そういう見返り前提で支えているわけじゃないんだから。だったら裏切ることになんて、もちろんなるわけがない。

 もとより、勝手に生まれた期待なんて、それこそ勝手に終わるべきものだ」

「そんなの……そんなの、支えてもらいっぱなしになるだけッ! ウチはまだ全然、恩を返せてないんだ……」

「年賀状のやり取りみたく、それじゃいつまでも終わらねーよ。

 逆に言わせて貰うけど、それで離れるような、突き放してくるような奴がいたら、それはお前を支えるフリをしていただけだ。本当は瓮ではなく、瓮が作り上げるもののおこぼれに、あずかろうとしていたに過ぎないって俺は思う。

 お前ならどうする?

 自分が心から応援して支えたいと思った人が、道なかば意思固くやめると決めたとき、門出を祝ってしっかりそれからも応援してあげようとは微塵も思わないのか? 自分勝手に恨むようなことするのか? 応援して支えた恩を返せと」

「……そんなの」

「お前を支えてくれる人達はさ、たぶんお前をちゃんと見ている。取り巻きを見てれば分かる」

「でも。お母さんとお父さんは……こんな! こんな……いろいろ買って、身を粉にして尽くしてくれたの……ぜんぶ、無駄になっちゃう、じゃん……」

 悲痛な声は、しかし俺の涙を誘わない。

「意味はもう、十分過ぎるほどあったろ。ちょっと行き過ぎかもしれないけれど、紛れもなく愛娘のために示された愛であって、ちゃんとこうして受け止めてるお前がいる。それだけで、別に良いじゃないかよ。

 赤ちゃんのオモチャは、成長すりゃ使えない。ランドセルだって、中学生になったら使えない。中学の部活道具だって、高校に入学しても続けるかなんて分からないし、大人になれば必要なくなる。

 いつかは不要になってしまうのは、はじめから分かりきっていることなのに、みんなそういうのを買うんだ。親なら当たり前のように。

 でも、こういうのを無駄とは言わない。買うんじゃなかった、なんて後から思うはずがない。たとえ不要になったとしても、愛の記憶として意味は生き続けてく。

 よく世間が言う思い出の品って、要するにそういう決して無駄ではない不要なものの総称だと俺は思う」

 下唇を咥え込むように噛むのは、迷いがある時に見せる瓮の癖だ。きっと、ろくすっぽ自分に目を向けていなかったお前のことだから当然、そんなこと気づいちゃいないのだろうが。

 さて、ならあともう一押し。

「何より、互いが互いのため思ってやってんのに、ずっとそれが行き違ってしまってる現状は是が非でも正さないとダメだ。逆に、それをそのまま濁しておく方が、お前の両親はもっと哀れになる。ある意味、それこそ裏切りだ。

 気づいた時には今のお前みたいな姿に、今度は両親がなってしまうことだってひょっとすればあるかもしれない。そうなる前にできることが瓮爽羽、お前にはあるはずだ」

「……っ」

 そんな目で見られても、答えを出すのは俺じゃない。俺が無理やり連れ出すのではなく、お前がお前自身を助けるために自分から動かないと意味が無いんだよ、そう思って続けた。

「儀式で狗神をなんとかするっていう、出来ることがお前にはある。陸上競技のことをしっかり親に話すことだって、話すだけならできる。伝えるだけなら、十分出来るはずだ。

 家族を大切にしてるよな、瓮は。なら、自分もその家族の一員だってことを忘れんな」

「一員……」

「まぁこう言っちゃみたけど、もちろん切り出すのは勇気がいることで、怖いことかもしれない。でも、こんなに耐えてきたんだ。きっと平気だろ。平気じゃないなら、俺も幸徳池も協力する。

 怪異はともかく、私生活面でたいしたことができるかは分からないし、役に立つ保証なんてどこにも無いんだけどな。少なくとも俺は、お前がどんな道に進もうと、応援したい」

 ガラにもなく一席()ってしまったのは、たぶん怪我のアドレナリンもあったろう。その甲斐あってか、ようやく瓮は心を開いてくれたようだった。

「そっか……なんか、頼りないじゃん」

「かもな。でも、そんなもんだろ。俺らなんか頼るな、アテにするくらいにしとけ。何より頼れるのは、お前自身なんだから。

 誰かが手を差し伸べても、掴まない限り何の意味もないし、差し伸べた人間も助けた気になってるだけ。大事なのはたぶん、自分がどうするかってことだ。

 俺と幸徳池は手を差し伸べる準備はできてるぞ。お前はどうする、瓮爽羽」

 涙を乱暴に拭いて返事をしてくるまで、そう長くはかからなかった。

「わかったよ……剣見、ウチ信じていいんだよね? 自分を」

「当たり前だろ」

「そっか……初めて本音で人と話せた気がするよ。あのっ、それごめん……手、痛い?」

 手当てさえすれば自然に治るだろうが、制服の袖口はそうはいかない。先般、ズボンのファスナーを直したばかりだというのに。

「言われると、痛くなってくるからやめてくれ」

「ごめん。痛くないわけないか……こんなだもんね。

 ウチの部屋に手当てのキットあるんだ。向こうの洗面台で軽く流水で洗ったら来て。ウチ、分かるから任せて」

「そりゃ頼もしいな」

 一件落着……ではない。一段落でしかない。これからの儀式で全てが片付くまでは、気が抜けることは無いだろう――

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