電波 第7話
「気をつけろ」
低い声だった。
火宮拓哉は、ぶつかった拍子に飛んだミステリー雑誌を拾い上げると、綾乃を一瞥した。
その目は妙に鋭い。
眠そうにも見えるのに、どこか人を観察しているような目だった。
綾乃は尻餅をついたまま顔をしかめる。
「そっちこそ前見て歩いてくださいよ……!」
火宮は答えない。
雑誌についた埃を軽く払うと、そのまま何事もなかったかのように警視庁の中へ入っていった。
『なにアイツ……最悪……』
綾乃は立ち上がり、スーツの汚れを払った。
ふと腕時計を見る。
「……や、やばっ!」
完全に遅刻寸前だった。
綾乃は慌てて警視庁の中へ駆け込む。
警視庁内部は、独特の緊張感に包まれていた。
行き交う刑事。
慌ただしく鳴る電話。
積み上がる資料。
ドラマで見ていた“警視庁”そのもの。
綾乃は少しだけ圧倒されながら受付へ向かった。
「あ、あの……!」
受付にいた女性職員が顔を上げる。
綾乃は慌てて警察手帳を見せた。
「今日付けで配属になった神崎綾乃です! その……配属先を教えていただきたくて……」
女性職員は端末を操作する。
その瞬間。
ほんのわずかに、表情が曇った。
「神崎さんですね……」
「はい!」
「配属先は――地下三階になります」
「地下?」
綾乃は思わず聞き返した。
普通、刑事課や捜査一課なら上階のはずだ。
女性職員はどこか言いづらそうに続ける。
「特殊資料対策室……通称“S.P.D.”です」
「特殊資料……?」
聞いたこともない部署だった。
「こちらのエレベーターを使ってください」
女性職員は奥の古いエレベーターを指差した。
綾乃は軽く頭を下げる。
「ありがとうございます!」
そう言って歩き出したものの、不安が胸に残る。
地下三階。
まるで、何かを隠すような場所だった。
エレベーターの前へ着く。
古い。
妙に古い。
警視庁の建物とは思えないほど、時代遅れのエレベーターだった。
綾乃はボタンを押す。
チン――
ゆっくり扉が開く。
誰も乗っていない。
だが。
中へ入ろうとした瞬間。
ザザ……
「……え?」
微かなノイズが聞こえた。
綾乃は振り返る。
誰もいない。
気のせい。
そう思おうとした、その時。
エレベーター内の蛍光灯が、一瞬だけ明滅した。
ザ……
綾乃の背筋に冷たいものが走る。
――聞こえるか
「っ!?」
綾乃は思わず振り返った。
だが、廊下には誰もいない。
静まり返った警視庁の通路。
「……な、何今の……」
胸騒ぎがした。
その時だった。
「乗らないのか?」
突然、後ろから声がした。
綾乃は小さく悲鳴を上げて振り返る。
そこには、さっきぶつかった男――火宮拓哉が立っていた。
相変わらず気怠そうな顔。
だが、その目だけは妙に鋭い。
「び、びっくりさせないでください!」
「勝手に驚いただけだろ」
「……っ」
綾乃はムッとする。
火宮は綾乃の横を通り過ぎ、何事もないようにエレベーターへ乗り込んだ。
そして地下三階のボタンを押す。
綾乃は目を丸くした。
「あの……あなたも地下三階なんですか?」
火宮は少しだけ間を置いた。
「まあな」
「……特殊資料対策室?」
火宮は答えない。
代わりに。
閉まりかけた扉の隙間から、静かに綾乃を見た。
「神崎綾乃」
「……え?」
「お前、自分がどこに配属されたか理解してるか?」
綾乃は戸惑う。
「え……特殊資料対策室、ですよね?」
火宮は小さく鼻で笑った。
そして。
「だったら今のうちに辞表を書いとけ」
扉が閉まる。
チン――
エレベーターは地下へ降りていった。
綾乃は呆然と、その場に立ち尽くしていた。
同時刻。
都内某所。
静かな執務室。
御影は無言でモニターを見つめていた。
画面には警視庁地下三階の監視映像。
綾乃。
そして火宮。
部下が口を開く。
「接触しました」
御影は短く答える。
「……そうか」
「排除しますか?」
わずかな沈黙。
御影の視線が細くなる。
「いや」
「まだ観察する」
モニターの片隅で、微かにノイズが走った。
ザザ……
御影は静かに画面を見つめ続けていた。




