1.モールラガードでの一夜 10
「そーれっと」
団子になったならず者達四人を、フォルは思い切り蹴飛ばした。
「うぎゃああああ!!」
各々個性的な悲鳴を上げ、ごろごろと階段を落ちていく。
大騒ぎは他の室内にも聞こえているはずだが、宿の扉はどれ一つ開かない。扉の向こうで完璧な荒事が発生しているのがわかっている。関わりたくない、巻き込まれたくないと思っているからだ。
「えーいっ」
団子になったまま動けないでいる四人の上に、楽しそうな声を上げてフォルは飛び降りた。
下敷きになった男達から、壊れた楽器のような不協和音の悲鳴が上がる。
「あたし、容姿がこんなだからさあ、結構なめられることあるのよね。例えば、あたしの噂が本当か試すとか、そんな感じで。あんた達も、そのクチ?」
男達の上で、フォルは膝を抱えるようにしゃがんだ。
「どうしよっかなぁ? このまま見逃してもいいんだけど……ねえ、どうして欲しい?」
四人の男達の答えは言葉でなく態度だった。
二人の男が団子になりながらも自由のきく手でフォルの両足首を掴む。
あら、と暢気な声を上げてバランスを崩した女の両手首を、飛び起きた一人が背後から掴む。
そして最後の一人が、フォルの腹目掛け、突き上げるように拳を振るった。
がら空きのフォルの胴体を殴り気絶させ、目的を達成しようという魂胆だ。
「ぎゃああ!!」
しかし、悲鳴を上げたのは、拳を振るった男だった。
「えっ……」
「あれっ!?」
「んんっ!?」
フォルの自由を奪っていた男達が揃って素っ頓狂な声を上げる。
どんな技を使ったのか。縛めていた男達さえ気づかぬうちに、フォルは抜け出していた。
そして、落ちていた剣を拾い、それで男の腕を切り落としたのだ。
「おお、俺の腕……腕がぁぁ!」
「そっかそっか。これがあんた達の答えってことね。しょーがないなぁ」
男達が体勢を整えるよりも先に、フォルの振るった剣が一つの風を作った。
風は男達の中央を走る。
風の軌跡からばっと血の飛沫が舞った。
手入れの行き届いていない鈍剣の風一つで男達は躰を二分され、ぱっかりと割れたからだ。
自分達が死んだとも気づかずに、四人の胴体は左右に分かれ、頽れる輪唱を奏でた。
手にしていた剣を無造作に放り出しながら、フォルは廊下を見渡す。
「あーあ……これじゃあ、死体が邪魔で部屋の扉が開かないわね」
フォルは死体と血海を羽毛のような軽やかさで飛び越え、てくてくと廊下を進み、階段を下り、食堂件ロビーに辿り着く。
返り血一つ浴びてはいない、薄い夜着姿のフォルを見た一番若い店員は、顔を真っ赤にして慌てて俯いた。
「ねえ、掃除屋、まだ? このままじゃあ、扉が開かないって宿泊客から文句言われるわよ」
フォルに応じたのは、一番の古株の男の店員だった。
「もう呼んでるっての。てか、早すぎるんだよ。もっとのんびりやれっての」
「しかたないじゃない。あいつら弱かったんだもん」
「つーか、今回はえらく派手に暴れたんだな。外まで音がしてたけど」
「え? あたし、中でしか暴れてないけど」
「でも、外でも音がしてたぞ。落としてるっつーか、ぶつけてるっつーか……」
自身が娼婦並の薄着をしているのも意に介さず、フォルは扉を開けた。
外は雨が止みかかり、重い雲の切れ間から夜明けの細い光の帯がいくつも並んでいる。
石畳には大小無数の水たまりが連なり、その上に死体が二つ転がっていた。
一つはならず者のリーダー。
もう一つは煉組術師だ。
フォルは死体を観察する。
リーダーの死因は、落下によって、ぱっくりと割れた頭部の傷。
煉組術師は、全身の右半分が叩き潰されている。
宿の壁を見上げた。二階の外壁に壊れている箇所を発見した。その真上にフォル達の部屋がある。
「煉組術師相手だと加減できないから、しょーがないわね。あの子」
邂逅に細められたフォルの瞳が大きく開いた。
「ネフ! ネフ! 下りて来て、早く!!」
フォルの声に三階の窓が開く。顔を出したネフは開口一番にこう言った。
「そういう格好で外に出るなって何度言えばわかんだよ!! 馬鹿、ばーーーーか!!」
「いいから早く! あの子も連れて来るの! すぐに!」
「ったく!!」
開け放たれた窓から荒々しく部屋を出て行く音と、『おわっ』という驚きの声が聞こえた。
宿の玄関から姿を現しても、少女を胸に抱いたネフの小言は続く。
「お前なー。もうちょっとおしとやかに斃せよ。あれじゃ掃除大変だろうが」
「あんたも人のこと言えないわよ。それより、ほら!」
得意げな顔でフォルは腕を真っ直ぐ上に伸ばし、空を指さす。
「なんなんだよ……おっ……」
雨に洗われた空に、大きなアーチが造られていた。
「虹か」
「そう、虹!」
「虹がどうしたんだ?」
「その子の名前よ。虹!」
「……なるほど。奇跡ってのは二度起きるものなんだな」
「何言ってんの。あたしだから起こせるのよ!」
フォルはネフの背中を容赦なくばんばん叩く。
軽く咳いてから、ネフは少女に微笑みかけた。
「聞いたか。あれがお前さんの名前だそうだ」
空に浮かぶ大きな半円を見て、少女は小首を傾げる。
「あれ……?」
「虹っていってな。雨が降った後、晴れた空に架かる七色の橋だ」
「七色……?」
「ああ。まず一番上が、赤」
ネフの声に少女……アンシェラの世界が色づく。
煉瓦。屋根。なめし革。そして、フォルの胸にある宝石の赤が強くなる。
「次が橙色」
ネフの言葉に、アンシェラの世界がまた色づく。
煉瓦に色が増える。屋根の色も。壁にも色がつく。ふわりと風に靡くフォルの巻き髪や、大きくきらきら煌めく美しい瞳にも。
「その次が黄色」
またアンシェラの世界が変わる。街に色が増える。ネフの髪色に影色が増す。フォルよりネフの方が肌の色が濃い。さらりと流れる自分の髪が薄い黄色だと知る。
「緑」
どんどん世界が広がる。街にまた色が溢れる。少し垂れたネフの瞳が宿の壁を伝う若々しい蔦の葉に似た緑に光る。自分の髪の影が薄い緑だと気づく。
「青」
わんっと音が聞こえそうなほど一斉に空が青に染まる。早く流れる白い雲との色の違いにアンシェラの躰がひくりと小さく震える。
「藍色」
増える色と共に、光と影の差が明確になる。光はより煌めき、影はより暗く、そしてそのどちらの中にも色彩があるのをアンシェラは知る。
「最後が紫」
ネフの声に太陽の光がポンッと弾けた。
夢幻で無限の七色がアンシェラに降り注ぐ。
水色の瞳をきらきらさせて虹を見つめるアンシェラの頭をネフは撫でた。
「いい名前だな。アンシェラ」
アンシェラは虹に向かって細い腕を目一杯伸ばし、紅葉のような掌を大きく広げた。




