19.
むろんその様見て、皆が一斉に動揺示したのは言うまでもない。何より、彼女はついさっきまであれほど凄まじき脅威与えた存在だったのだから。
「え、どうしたの?」
そう、黄金のスフィンクス、あるいはおぞましきバシリスクとして、猛然と襲いかかってきた。
……だが、それが今や元の、いやその状態が正体なのかどうかはもちろんいまだ判然としないが、とにかく泣きそうな少女なのである。我知らずアリソンたちをして思いきり呆気に取られた感、現わさせることとなったくらい。
つまりは今のそんな少女には、とてもこちらへ向かってくる迫力、塵一つもなかったのであり。
「おい、どうした? もう戦わないのか?」
よってガルフなどは、そんな妙な気遣いの言葉まで零している。敵に向けて、何とも場違いというか。
「う……」
むろん対する夢魔は、その瞳をウルウルとさせたまま、ただこちら見て立ち尽くすのみだったものの。はっきりと哀しみに満ちた感情、伝えながら。はたしてそこにはもはや敵対する意志、少しも認めることできず。
――何か全く別のことに気を取られているように。
それゆえ一瞬、何とも言えない微妙な間さえ、その場には空いていて。
誰も、どうしていいのかまるで分からないような……。
「そう、分かってくれたようだな」
だが、それゆえだろう。
ふいにその静寂を破ってロランが穏やかに口を開くや、
「!」
「ロラン?」
それは仲間たちのみならず、
「ロラン、様……」
その夢魔をしても、つと著しい反応、示させていたのだった。
◇
「ロラン、様」
薄闇の中夢魔たる少女が洩らした、消え入りそうな声。だがそれは間違いなく、どこまでも相手を恋慕する気持ちで溢れた響きだった。
「……もう、お別れなのですか?」
しかも、次にはそんな哀切な言葉まで吐いてきた以上。
「ああ、そうだ。話は聞いていただろう? 私はもう行かなければ、つまりは目覚めなければならない」
「私を、置いて?」
「そうだな。さすがに現実の世界へ、夢を連れて行くことは出来ない」
もっとも、対して吸血鬼はあくまで静かに返すのみだったが。冷淡というか、もうこれで君との生活は終わりだと。
その時が、ついに来てしまったがゆえ。
「でも外の世界には、怖い敵がいっぱいいるわ。夢の中なら、いつまでも安心して暮らせるのに」
「まさしく。敵も病も、飢えも悩みもない、安穏とした世界。……およそ100年か? 闘うのにも逃げるのにも疲れて自ら選んだことだが、君と一緒にいた時間はだから確かに愉しかったよ」
「なら、なぜ?」
むろんではだからといって、あっさり納得する相手のはずもなく。いや、むしろその表情にはさらに哀願するが如き色、増してきたくらいで。
「あなたはその平和な世界を捨てて、自らの意志でわざわざ危険へ飛びこんでいくというの?」
……少女はついにはそんなどこまでも恨めしげな言葉さえ、告げてきたのだから。
「自らの意志、か。確かにそうだな。私はここに来て初めて、外へ行かなければならないと感じたんだ」
「それはあなたの主人たる人に従うためですか?」
「もちろん、それもある。そう、リロイ様とともに行くことこそが、私にとってのある種の存在意義なのだから。……ただ、理由は何もそれだけという訳じゃない」
そう、それゆえ次にロランが声音強くしてのたまってくると、途端その瞳が大きく見開かれる。それはまさに、愛する人の真意を是非とも確かめたい、そんな意欲の明らかな現われなのだった。
「では、他に何が?」
とりわけ次の刹那そうした問いを、真剣な面で発していた様、見れば。
まるでそこに、最後の活路を見出さんと。
相手の気持ち、翻意させる。
「それは――胸躍る、旅への憧れだ」
「旅?」
「ああ。それは冒険と言ってもいい、つまりは知らない世界へ足を踏み入れる体験。もちろん、時には命の危険を冒してまでの」
だが、そうして何かを期待して訊ねた少女だったが、しかし返ってきたのは、余りに自分には理解できない答え。つまり夢の中を生きるしかない、この夢魔には決して。
あろうことか見知らぬ未知の領域へ、喜び勇んで入って行くなど……。
「そんな……」
それゆえ知らず出てきたのは、愕然としたような声だったものの。
「だから、分かってくれ。……いや、恐らく理解はできないだろうが、そうした考えがあるということも」
「……もう、その考えは変わらないのですか?」
「もちろんだ」
しかし相変わらずロランの対応はクールかつ冷静なもので、
「これはもう、決まったことなのだから」
「……」
「誰にも、変えることの出来ない」
その声音には、今や強い意志すら明々と示され、
悲しみに満ちた、一人の少女を前にしても。
ひたすら静かに。
「だから、もう行かなければならない。君とも、お別れなんだ」
……そして続けて、まさしく心からの惜別の意をこめて、彼はそう告げたのだった。
まさしくそれが、今生で最後の、彼女と交わす言葉となるべく。
長きに渡って、ともに暮らしたこの孤独な少女と。
主君が、そして仲間たちが息を飲んで、ことのなりゆきじっと見守っていた中。
「! ロラン、様……あなたは、もう」
むろん掛ける言葉など、一つもなく。
そう、従って彼らにも、まさにその刹那夢魔のつぶらな瞳から雫が一つ、ポタリと落ちたことははっきりと気づけた訳であり。
余りにも美しく、そして儚い、真珠の如き涙が、
哀切と……




