5.
勢いよく飛び上がる、幾つもの水飛沫。
獣特有の、激しくも忙しない息遣い。
沼の水をまるでものともしない、緑のぬめり帯びた鱗が特徴的な肌――。
それはこの静寂支配する沼にはとてもそぐわない、実に荒々しいなりしたリザードマンの集団だった。その数、およそ十数人程度だろうか。加えてそれぞれが、剣と鎧というまさしく完全武装した、もちろんまったく隙のない。
「さあ行け、館はこの先だ!」
しかもそんな連中が、一人の男の指示の下ボイトの沼を我が物顔でひたすら突き進んでいたのだ。深い靄の中だったとはいえ、その光景がやたらと目立って辺りに映えていたのは、従って至極当然のこと。
「そして必ずリロイもそこにいるはず!」
特にその指導者らしき、一人馬上姿の男――灰色の上衣に青いマント纏った、魔道士風――が辺り憚らずそんな大声休みなく次々発していたとなれば、その騒々しさはわざわざ説明するまでもあるまい。
つまりそれはまさしく、紛れもない決死の追跡行だった訳で。
「シャア!」
「シュウウ!」
……そう、たちまち意気軒高とトカゲ人間たちに奇妙な雄叫び、上げさせていたような。むろん何の恐れもなく、すなわち彼らにとってこの任務は絶対かつ死んでも成功させなければならない、文字通りの超重要案件に他ならなかったのだから。
いくら相手が、あの伝説の魔道士であっても。
何より魔女パルメノン、名高きソーサリスの一人より、直接命が下された以上。
しかも決して撃ち洩らすことだけはするな、と鮮明に。
どこまでも威圧的で、とりわけその時の青い眼光、まこと刺々しく――。
「ボイトの沼で隠れる所といえば、やはりあの館しかあるまい!」
そして、そのふとフラッシュバックした恐るべき光景ゆえに、だろう。
今にも雨雲が真上に架かりそうな、そんな中。
鹿毛の馬操り自らも先を進んでいた男――パルメノン配下の魔道士が一人、アルゴ――はその馬上から遥か彼方、靄に包まれた方改めてぐっと見つめると、
「何より、奴らがローグ山をもはや去っていた以上!」
「シャ!」
「シュオウ!」
刹那リザードマンたちの耳障りな鬨の声をも合わせ、その声音は今や異様なまでに力強く、そう辺り一帯へ響き渡る程、昂ってさえいたのだった。
「逃がさんぞ、リロイ・シュバルツシルト!」
――加えてとりわけ、その眼光禍々しいものにさせて。
◇
「コールさん?」
……だが、コールのそんな警戒心も、次にはティコの呼び掛ける声に容易く撃ち破られていた。
「みんな、行っちゃいますよ」
「ああ」
はたして、金髪の少年はどこか忙しない様子で、ふと立ち止まった青年のことを早く早くと手招きしていたのだ。
「絶対、この中にロランさんはいるはずなんですから」
むろん自らも、先程の怯えが嘘のように今すぐこの館へ入りたいと思っている風で。
懐かしの人物と再会するための、最後となる仕事を果たすべく。
「……そうだな」
それゆえコールも頷いて賛意示すと、とりあえずにわかに浮かんだ疑念は置いておいて、ようやく扉の方へ歩き出そうとしている。
今やリロイと二人の家臣が、多少の注意払いつつ開けようとしていた、黒い立派な扉へ。
この孤高さと同時に重厚さ誇る、怪しい館にはいかにもふさわしい。
相変わらずの、異様な静寂の中……。
「こうなったら、早く仕事を終えた方が」
「そうですよ、アウゴエイデスのためにも」
「三人の家臣が、万能の巨人復活の鍵、か」
もちろん念頭に変わらずそのこと強く置いていたのは、言うまでもなく。
アリソンとともに真に成し遂げなければならない、ある重大なことのために。
――代償があろうが、とにかく何が何でも。
「よし」
すなわちどんな脅威が待ち構えているにせよ、今さら引き返すなどまずあり得ない選択肢だったのであり、
まさに、今までの苦労を考えれば。
相当な。
「はい。リロイ様たちも、今入るところだから」
「しかし、一体誰がこんな所に住んで――」
ましてや後もう少しでその労が全て報われること、ほぼ確実であると思われた以上。
「ん?」
――しかし、そうしてコールの眼が、今まさに魔道士によって恐れ知らずにも黒い扉のノブが掴まれるという一瞬映した、……その時だった。
「あれ?」
「何だ……?」
瞬間、何の前触れもなく彼らの視界を覆った、淡い光。あたかも小さな火花がきらきら迸ったが如き。そう、加えてそれから間もなくして傍らのティコも思わず呟いていたように、何だか軽い目眩のような不思議な感覚すら突如襲い来って。
まるで一瞬、意識をどこか別の所へ向かわせるような。
浅い眠りへ、すっと入っていくかの如く。
「!」
しかもどうやらそれは、この二人だけに起こった事象ではなかったようで。
「え、部屋?」
「いつの間に……」
気がつくと、目の前にあったのは赤い絨毯と、大きな長机。
……そう、次の刹那一行は皆辺り見回し、そしてそこに忽然と机や家具が現れたことを、つまりは魔道士が扉を開いた訳でもないのに間違いなく突然どこかの室内へ入っていたことを、確かに知ることとなったのである。
「何、ここ」
しかもそのテーブルには、ステーキに鳥の丸焼きと、湯気を立てる料理の数々が乗っていて。まるで、皆を心から迎え入れるように。
「どういうこと?」
だが、ゆえにかえってアリソンなどは、途端はっきりと驚きの表情浮かべている。それくらい、余りに唐突過ぎる出来事だったのだ。まさしく、劇の場面が突如、何の予兆もなく一変してしまったかのような。
「……これって、魔法の力かな?」
加えて明らかに何かを感じ取ったらしきティコが、思わず声震わせていたように。一体誰が、こんな奇妙な真似をしたのかと。
「恐らく、は」
「でもリロイ、凄い力じゃない、これって?」
「ああ、まず普通の魔道士にできる芸当じゃないな」
そしてそれは、他の皆も完全に同じこと。はたして彼らとしても、今はただ茫然と辺り見回すくらいしか、やれることはなかったのであり。
むろんいまだ誰の姿も見えない、食堂らしき静かな部屋の中。
夢の中へ紛れこんだ人々の如く。
「まあ、友好的かそうじゃないかは、まだ分からないが」
そうして当然の如く魔道士はどうしたものかと思案げに首を傾げたものの。
「でもこんなご馳走があるから、少なくとも敵ではないんじゃないか?」
「……単純だなあ」
「え?」
「そうですよ。絶対これ、毒入りのはずなんだから」
あくまで呑気なガルフと、それを窘めるファムたちの声、耳にしつつ。
「そうかなあ……」
対して人狼が納得したのかは、ともかくとして。
「おい、ちょっと待て。そもそもここからどう出ればいいんだ?」
だが、かくていずれにせよ各自が各自自分なりにその置かれた状況何とか把握しようと努めていた、その時。
それはまさに突然の鋭いアラームのような、皆の気を引く声音だったと言うべきか。
「玄関らしき扉が、どこにもないぞ」
「え、マジ?」
「あ、本当。こっち側には、扉がない……」
すなわちコールが突如声を上げ、それを受けた一行がそんな彼の指差した方向へ急ぎ視線向けるや、たちまちそこにはあるべきはずの黒い扉がない――つまりはただ白い壁が広がっているだけ――という事実、今やはっきりと現前していたのだ。
「わあ、これじゃ本当に出られない!」
「窓も一つもないしな」
「でも、違う扉があっちにあるわ」
途端、全員が分かりやすく慌て出したように。
つまりこの時点で外への脱出口はなし、ゆえに何か良からぬことが起こりそうなのは、まず確実だった訳であり。
「ほう、閉じこめられたか。こりゃまた、結構な歓迎ぶりだ」
――そう、特にその様認めたリロイに至っては、かえって不敵な笑み、口許へ零すのを禁じ得なかったほどだったのだから。




