10.
部屋の扉をノックする音が聞こえてきた途端、それまで静けさの中浸っていたサーナムスの物思いはハッと遮られた。
「誰だ?」
「ハーマスです」
すなわちその間ずっと、彼の頭の中ではリロイ・シュバルツシルト、あのもはや伝説上ともいえる巨人使いのことが休みなく駆け巡っていたのだ。つまりは、彼との遥か過去の思い出、つい先程行われた話、そして更にはこれからあの男に訪れるであろう、間違いなく過酷な運命のこと等が。
要は余りにも、沢山あり過ぎる。
一晩では、とても片づけ切れない。
ましてやそこに紛れもなき迷い、含まれた。
「……入れ」
そう、一体何が正解で、何がより良い選択なのか、という。
あの、旧知である魔道士と、自分にとって……。
「失礼します、父上」
そして、それゆえだろう。次の瞬間許可の声に応じ扉が開かれ、かくて廊下から一人の若いエルフが静かに入ってくると、
「何の用だ?」
霧の谷の領主は、気を改めるようにそんな彼をしかと青の瞳で見つめている。
短めに、かつ綺麗に整えられた金髪、自分と同じ鮮青の瞳、いまだ少しあどけなさの残った、しかしりりしさもある顔立ち――。
ハーマス・フィン。他でもない、自らの唯一の息子、正しき後継者を。
「こんな時間に申し訳ありません」
むろん確かにこうした時間帯――そろそろ夜を迎えようとする頃合い――にわざわざ訪れてきた時点で、それなりに重い用事があったということなのだろう。はたして次なる刹那、若草の如き生命力に包まれたエルフは、一礼するなり父専用の執務机の前までゆっくりと近づいて来たのだった。
「お尋ねしたいことがあるのですが」
そうしてサーナムスの眼前にすっと立つと、やや緊張の面差し示しつつそう切り出す。白の爽やかな上衣に青のズボン、腰には幅広のベルトという姿。全体的に清潔感溢れ、まさに貴公子然としたいでたちだ。
「どうした、一体?」
むろんそこに何かを予期した領主も、静かに問い返している。要はそれくらい、相手の表情に珍しく真摯な色が浮かんでいた以上。
「先程までこの部屋を訪れていた、一人の客人についてです。どうやらかなり長い間、話しこんでいたようですが」
「ああ、そのことか。まあ、それなりの旧友だったのでな」
「余りよからぬ話題だったのでしょうか? いえ、父上もかなりお疲れのようですので」
むろんすると、ハーマスがしかと父の眼見て続けてきたのは言うまでもない。何より言外に、その発言にはまた別の意味合いもあったと見られ。
「特に、相手が相手だけに」
――そう、加えてそんな意味深な一言、付け足してきたのを窺えば。
「ハハ、何だその言い方は? だがお前もどうせ知っているのだろう、一体誰が私の元を訪ねて来たのかを。何せあいつは、何の変装もなくそのままふらりと現れたのだから」
「あ、いや……」
すなわちその分かりやすさは、途端サーナムスをして思わず笑み、零させていた程だったのだから。
「リロイ・シュバルツシルト。なるほど、お前はあの男のこと、聞きに来たというわけか」
それゆえエルフたちの領主は刹那、その瞳に怜悧な輝き、灯させると、
「――はい。まさにそのために、ここへ来ました」
「そうか。確かに、お前もいずれこの地を治めることとなる運命にある者。ならば私と関わり深いリロイについて、いくらか知っておくのも良いかもしれんな」
次には頷きながらそうした言葉、告げていたのである。
◇
「お二人は、同じ師の下で魔術を学んでいたのですか?」
「ああ。ゼノン・ギルフォード。アルバス帝国に仕えていた、名高き魔道士だ」
「なるほど、それで……」
かくてついにあの巨人使いについて語り出したサーナムス。むろん初めてだったこともあり、それを耳にした息子が途端目を見開いたのは言うまでもなかった。
「とはいっても遠い昔の話だがな。そう、あいつが巨人を創り出す、それよりもずっと前の」
「そうですか。では父上は、機械仕掛けの巨人の秘密に関しては、特に?」
「もちろん、何も知らん。……恐らく妖精たちの技を応用した、ということくらいしか」
むろん対して教える側の父は、ふいにそうすることによってある種の懐かしさ、覚えること禁じ得なかったのだが。それも実に久方ぶりに。
「ギガス・エクス・マキナ。やはりあの技は、いまだ神秘の霧の彼方なのか――」
――ハーマスが知らず憧憬めいた呟き、零していたのを耳にしながら。
力ある者に憧れ持つ、若者の特権とでもいうべき。
「……とにかく我々は、ゼノン師の下で当時研鑽に励む日々を過ごしていた。そう、いずれは帝国において高位の官に就くために」
「! リロイは、最初から反帝国を掲げていた訳ではなかったのですか」
「まあな。あくまで最初の内は、だが」
とはいえ話すべきことはまだいくらでもある。従ってサーナムスがすぐそれ振り切るようにして、次の話題へ移ったのは言うまでもないことなのだった。
「――あの事件が、あいつをガラリと変えてしまうまでは」
溜め息混じりに、そう静かに呟きつつ。
夜の暗さが、じりじりと忍び寄って来た部屋の中――。
そして、そのためだろう。
領主はどこまでも興味津々な様相崩さない息子の面、じっと見つめながらも。
(そうか、私はあの男に)
ふと湧き上がり出したある種の感情の中、
(かつて大きな借りが、一つあったのだったな……)
おもむろにそんな心の呟き、密やかなままそっと零していたのである。
(そしていまだ、返すことの叶わない)
……いつしか、その脳裏に在りし日のある印象的な思い出、はっきりと浮かばせて。




