8.
サーナムスは途端背もたれの高い椅子の上からバッと立ち上がって、そして驚きの声を上げた。
「リロイ、本当に君だったんだな!」
そう、部下からの先程の緊急報告、リロイ・シュバルツシルトと名乗る男が自分に会いに来たという信じ難い話それでも応じ、自室で半信半疑のまま待ち構えていたところ、何とあろうことか正真正銘その件の人物が扉を開けひょっこり入って来たのだ。
「よお、久しぶり。変わっていないな、サーナムス」
「……君も相変わらずのようだ」
しかも相手は、遥か100年前最後に会った頃と、寸分も違わぬ同じ姿・様相保ったままで。
「へへ、まあ、時間だけが徒らに経っちまったけどな」
いや、しかしあの時はまさに魔女たちに撃ち破られたばかりの敗軍の将、むしろ今視ている彼の方が、余程生気や若さに溢れていたかもしれない。
「お互い元気そうで何よりだ」
はたして何よりも、その口許に男の象徴たる皮肉げな笑み、はっきり浮かんでいたのを見てしまえば。それはまさしく、今にも当時の思い出、鮮やかに蘇ってくるような。
つまりはサーナムスにとって、そうした過去は決して忘れられぬ後生大事なものでもあり、
「それに、突然だったのに会ってくれてありがとうよ」
「――何、それは構わんが」
ゆえに彼としては目の前の男をすぐ追い返すこと、それが危険を避ける何よりの方法だったとしても、今はとてもできそうになかったのである。
床に敷かれた質の良い赤い絨毯。天井には煌びやかなシャンデリアが吊るされ、また貴重な外光を少しでも得るため大きく取られた窓が、入口の向かい、領主専用の執務机の背後にあり。そして部屋中央には来客用の大きなテーブルと四脚の椅子、入って右側に背の高い本棚、左側に古めかしい暖炉という景観――。
そこは領主館の奥まった所に位置する、サーナムスの私室、つまりは生活スペースであるとともに、誰かと最も重要な話をするにこれ以上なく相応しい構造持った部屋だ。むろん防音等の設備も完璧極まる。特にこのエルフは立場上そういった場面に入る機会が実に多く、これまでも幾度となくここで秘密の会談、行われてきたのは至極当然のこと。
「それで、一体私に何の用があるんだ?」
それゆえその突如かつ久方ぶりに現れた旧友との話も、必然的に人目を避けてこの密室で催されることと相成ったものの。
「おっと、まず俺が何で自由に動いているのか、聞かないのか?」
しかしテーブルの向こうに座した当のリロイの方は、何とも悪戯っぽい口ぶりでそんなこと言ってきたのだった。
「結構なことだぜ、これは」
「……確かに君は弟子たちに裏切られ、戦に敗北。結果ロクスム・ハラに囚われの身となったはず。それは間違いない。だが、それでもリロイ・シュバルツシルトのことだ。恐らくいつでも逃げ出せるよう、周囲を完璧に欺いていたのだろう。そう、マステラ如きではとても敵わないくらい、上手く」
「はは、参ったな、こりゃご名答だ。ああ、まさにあんたの言う通りさ。俺は言わば少しの間虜囚の振りをしていただけ」
「時間稼ぎか? なるほど君の企みそうなことだな。そしてその脱出後なぜか、私の所へとやって来た。もちろん何らかの目的があって。――まさかただ再会を喜ぶためのはずはあるまい」
もっとも優雅な青いガウン纏った対するエルフは、急くようにそんなことまるで構わず話を進めていったとはいえ。すなわちそれくらい、サーナムスにとって事態はただ友人と会えたと安堵するどころか剣呑極まる風、急速度で見せ始めていたのは確実だったのだから。
「さあ、教えてもらおうか。それが間違いなく、霧の谷の安全にも関わってくる以上」
はたして次にはそんな一言、鋭く放っていたのを見れば明らかだったように。
「……」
途端リロイにしばしの沈黙、示させて。
何よりまさしくそれがこの館を訪れた本題中の本題だったこと、紛れもない事実であったがゆえ――。
「それは他でもない、この街の牢獄に囚われている、俺の部下をあんたの力で解放して欲しいってことさ」
従って数拍の間の後ふいに男が口を開いた時、そこにはっきりと真摯な響き、籠められていたのは余りに必然的過ぎることなのだった。
◇
かくしてしばらくの沈黙が再び落ち、
ふいに外から冷たい風が勢いよく吹きこんできて、室内の寒気が少しだけ増した、その時。
「――ガルフ。あの人狼か。そう、確かにあの男は君の家臣だったな」
サーナムスが、ようやくにしてそう口を開いた。
「! そうだ、確か175年の刑期を言い渡されたと聞いている」
「それくらいの罪を犯したんだからな、当然だ」
「一体あいつは具体的にここで何をやらかしたんだ? 秘宝を盗み出そうとしたと聞いているが」
むろん対してリロイが怪訝な表情となったのは言うまでもない。どれだけのことをすればそういう恐るべき結果になるのか、単純に疑問に思った以上。
「……今でもそのことを思い出すと腹わたが煮えくり返るが、しかし話は簡単だ。あいつはあろうことかエルフ族に伝わる秘宝の一つ、聖なる剣<アンジウム>に手を出した。それもそのために衛士を務めるエルフの娘を誘惑するという卑劣な手を使って」
「ほう、そりゃ……」
「まさしく言語道断、あの男だけは、決して許すわけにはいかない。その衛士の必死の助命嘆願もあって、辛うじて死刑だけは免れたが」
はたしてエルフの領主はそんな相手、長年の友人へと向け、表情険しく吐き捨てるように過去の顛末語ってきたものの。
「実質死刑に価する罪、ってわけか?」
リロイをして知らず呆れたような声、零させながら。
「むろん。……あの人狼を助けに来たとのことだが、ゆえにそれは絶対出来ない。元より後85年、間違いなく囚われの身なのだ」
――しかも続けてそう、断固とした口調で言われてしまえば。
「俺とあんたの仲、でもか?」
「ああ。たとえかつて同じ師の下で魔術を学んだ、君の頼みでも」
何よりその青の瞳は、これ以上ないくらい意志強く輝き。
それはあるいは逆に、友人を撥ねつけることに対しての罪悪感、その現われであったか。
領主としての義務の方に従ってしまったという。
「……何にせよ、君をこれから待っているのは、間違いなくソーサリスから追われる日々のはずだ」
そしてそれゆえだろう、いずれにせよ何らかの感情を密かに押し殺したと思われるエルフは、その今や冷たくさえある瞳でリロイのことじっと見つめるや、
真剣な気持ちもこめ。
「分かるな、リロイ」
「……」
「今の私の願いが、君に早くここを去ってもらう、ただそれだけであることは」
……次の刹那、そうした重い言葉、別れの辞の如く静かに告げてきたのである。




