4.
霧の谷。それは豊かな緑と湖水の数々に彩られたテマ・イクティオン、その北部にある場所の名である。
すなわちテマ・パンドーラとの境目に位置するロクスム・ハラからは旅程にして二、三日程度、するとヘルギ山地の中に鋭く穿たれた、一つの峡谷へ辿り着くこととなり。
昼も夜もなく年中分厚い霧に包まれた、そして何より高貴なるエルフたちが支配する領域に。
なるほどはたしてそこでは故郷たる幻想界を離れ現世界で生きていくことを決めた妖精族が、一つの小さな国を形作っていたのだから。人間の国を模倣した。
サーナムス・フィン。
そう呼ばれる、有能にして叡知溢れるエルフを現指導者として。
齢200にも達すると言われ、
加えて相当な力持つ、偉大なる魔道士の一人ともされている……。
そして、そのためだろう。
彼の地では魔女たちが君臨するこの世界において、唯一例外ともいえる自治体制敷くことが許されており。そう、テマの役人が勝手に入りこんで動くこと出来ない程度の。
従って魔女たちの追及逃れ、一旦姿隠すには、かなり打ってつけの場所でもあったのであり、
例えば犯罪者や、謀反人のような。
「……ね、ねえ、どこまで行くの?」
「もちろん、一番下だ」
――ゆえにもちろん事実脛に傷あると言っても過言ではないリロイ率いる一行も、さほど周囲警戒することなく、その日は昼日中堂々と街路歩くこと適っていたのだった。
「さあ、もうそろそろ着くぞ」
そう、そうした声に、度々力与えられながら。
◇
――そして、それから街の中ひたすら坂を降りて下を目指すこと、約30分後。
一行がいるのは、細く長い通路だった。
「……何ここ、寒い」
すなわち谷に降り注ぐ冷気が、その底部になった場所で一つの塊となって重く凝り固まったかのような、何とも肌寒い。しかもそれに歩調を合わせるが如き、やたらと薄暗い周囲。それゆえそんな道行く五人の内の一人、アリソンは知らず震えながら両腕で自らの身体抱き締めるような姿勢取りつつ、
「ハ、ハクション!」
たちまちにして派手に大きなくしゃみ、辺りへ放たざるを得なかったのである。
「何だ、若いのにもう風邪を引いたのか?」
「……そういうわけじゃないけど、でもいくら何でも寒すぎよ。これじゃ囚人たちだって、たまったものじゃないわ」
「まあ、これがエルフ流の犯罪者の扱い方ってやつなんだろうな。どうだ、君も一度正式に入ってみるか? 社会勉強になるぞ」
むろんそのすぐ前を歩くリロイは、そんな曾孫を思いやるどころかむしろどこかからかうような態度だ。その若々しい外見と合わせ、そうしたことを言うともはやその辺の不良青年の様子とほとんど大差がない。それゆえその言耳にしたアリソンがたちまち膨れっ面となったのは、状況からして決して無理からぬことなのだった。
「冗談でもやめてよ。そもそも私は犯罪なんかに手を染めるつもりはないんだから」
「ほう、そうか。立派立派……もっとも、君たちは俺と行動を共にしている時点で、既にある種の重罪人ではあるんだがな」
もっともそれをもってしても、対する魔道士の軽々しい様相は少しも変わることなかったのだが。
「う、それは……!」
何より特大ブーメランとでもいうべきか、すぐさま少女に絶句めいた反応、起こさせて。
反論する術、一つもないと。
特に、今の自分には。
窓ひとつも無き、周りに幾つも鉄格子の並んだ寂寥たる空間の中――。
そして、それゆえだろう。
「何を話しているんだ? もうすぐおたくらの目指す囚人がいる独房だぞ」
その刹那訪れた空隙ともいえる間を埋めるように、一行の一番前から男の生真面目な声がふと聞こえてくると、
「!」
「いよいよか……」
それは途端いやに目立って、霧の谷唯一の監獄の中に響いていたのであった。
ちなみにリロイが打った奥の手というのは、ズバリ街一番の情報通に話を聴く、というものだった。
「こちらがルシエル。俺の昔からの友人だ」
つまり魔道士は事前に色々準備していたらしく、先程の酒場で一心不乱ともいえる食事の最中その手を止めてまで、ふいに自分たちの卓に一人のエルフを呼び招いたのだ。
「ハイ、よろしく」
「あ、どうも……」
「――よろしく」
しかもその颯爽と現れた客人というのが、輝くような銀髪の下ハッとするほど美しい容貌持った女のエルフで、
「あら、ひょっとしてこの娘が?」
さらにそんな彼女は、リロイから特にアリソンに関する事情、何らかの手段でそれなりに聞いているようでもあったのである。
「ワオ、でも全然リロイと似ていないね」
「まあ、間違いなくメルティナ似だな」
「本当、それは心から良かったと思うわ」
何より、途端ジロジロ無遠慮に少女のこと、見つめ出したのを窺えば。
その宝石のような瞳に多大な好奇心と、そして少なからぬ親愛の情、ともに籠めて。
「何だその言い方は? まるで俺に似ると不幸みたいな感じだな」
「だって事実そうでしょ? あなたがというより、特にメルティナは本当綺麗だったんだから」
「……確かにそうだが」
「あ、あの」
すなわちそんなエルフは、リロイの過去に関しても様々知っている風であり、アリソンとしては当然口を挟んでまで色々聞いてみたいこともあったのだが。
「おっと、とりあえず積もる話は後だ。俺たちには彼女の情報を元にまずやらなきゃならない大事なことがあるんだから」
しかしそうして意気込んで発されようとした問いは、たちまち他でもない曾祖父によって妨げられ、
いかにもあっさりと。
「この人が、情報通なのか?」
「ああ。誰よりも長く霧の谷に住む、いわば生き字引きってやつさ」
何よりコールまでもがその調子にすいと乗ってきたため、結局後はうやむや、そんな結果と相成ってしまったのだった。




