第3章:第1話『莉央奈の嫉妬と筋肉と』
「ふん、ぎぎぎぎぐぐんぬぬ!」
トレーニングウェアに身を包んだ莉央奈が両手を頭の後ろにつけ、珍妙な声を上げながら、マットの上でゆっくりと上体起こしを繰り返している。いつもはロングヘアを腰の辺りまで垂らしているが、ヘアゴムで縛ってポニーテールにしている。そして、それを見守る大治、誠奈人、律華の三人。ここは三人が通っている東京魔導学園にあるトレーニングルーム。ルームランナーや簡素な筋トレ用の器具などが揃っている。
「莉央奈先輩、ペース落ちてます。頑張って! あと七回っす」
大治が手を叩きながら莉央奈を鼓舞する。なかなか様になっており、さながら専属トレーナーのようだった。
「大治ってこういうの向いてるよな」
「人への指導が上手だし、ジムのトレーナーとかやれるんじゃないかしら」
誠奈人と律華は、一歩引いた所から二人の様子を窺っていた。
「はぁ、はぁ、大治くん…終わったよ…」
「お疲れ様です! ナイスファイト。それじゃあ五分間のクールタイムです」
「ご、ごふん…かぁ…」
「まだまだ。合同演習までにできるだけ鍛えたいんですよね? 当日に差し障りない範囲でビシバシいきますよ」
「そ、だね…わたしから言い出したんだし…ありがとね、大治くん…はぁ、はぁ…」
「大丈夫かしら? 演習の時に体がボロボロになってないといいけど」
「大丈夫だ。大治を信じろ。みーこのファン達を鍛え上げた手腕は本物だ」
SNS等を使って個人でアイドル活動をしている美心には、何人かの固定ファンがついている。当初彼らは肥満だったり極度に痩せていたり、お世辞にも健康な体でない者も多かった。しかし、美心に恥をかかせたくないと一念発起して皆で筋トレを始めた。その事情を知った大治がコーチ役を買って出て、全員の肉体を見事に仕上げたのだった。
「確かに、あの実績はすごいわね…皆、すごく良い体してるもの」
「大治は一流の筋肉マイスターだ。オーバーワークが筋肉を減退させる事や、疲労の蓄積が体に毒なのもちゃんと計算してるはずだ」
「筋肉マイスター…どこで手に入るの、その資格は」
「莉央奈の場合は筋力だけじゃなくて体力も必要だな。運動はそこそこできるが、一般的な高校生女子の域を出ない。魔力は申し分ないんだが」
「魔力の総量も、出量も、少し鍛えたら高い水準で安定したわね。やっぱり魔導士としての素養は、非凡な物があるわ。運動はまぁ、予想通りだけど」
律華はくすくすと笑った。あのほんわかした雰囲気の莉央奈が、俊敏に駆け回って戦闘する姿はどうしても想像できなかった。
「あれでゴリゴリの武闘派だったら、それもちょっと嫌だな…自衛程度の格闘能力はあった方がいいけどな」
「そうね。最近は結界魔導も教えてるけど、なかなか良いセンスしてる。格闘も含めて、とにかくまずは身を守る術をマスターできればかなり安心できるわね」
「あぁ。本人にやる気があるし、センスもある。他と比べて後天的には伸ばしづらい、魔導の素養もある。なんとかなるだろ」
二人が話しているうちにクールタイムが終わり、莉央奈は上体起こしを再開する。
「いいですよー莉央奈先輩。あと二セットです。頑張っていきましょう! ちょっと休んでペース戻ってますよ。大丈夫、全然いけます」
「う、うおぉぉ! ふ、ふぅ…はぁ、はぁ…」
「トレーニングとはいえ、莉央奈が苦しんでるところを見ると、ちょっと心が痛むわ」
「そうか? ちょっと過保護なんじゃないか」
「そんなことありません。可愛い莉央奈を可愛がるのは当然の事よ」
「過保護じゃない説明にはなってないな…」
腕を組み、やや呆れ気味に律華を見る誠奈人。律華はもともと莉央奈に優しかったが、最近は甘やかしてると言っていいレベルだと、誠奈人は思い始めていた。
「可愛がりすぎるのもよくないからな。莉央奈の人格形成のためにも。厳しい事も適度に言わないと」
「莉央奈なら大丈夫。とっっっても良い子だから」
「ダメだこりゃ…」
さながら子育ての方針で揉める両親のように二人が話していると、不意に背後から誠奈人を呼ぶ声が聞こえた。
「神楽せーんぱい」
「ん、前川か」
振り返ると、そこには一人の女生徒が立っていた。穏やかさを感じる垂れ目に、柔和な笑顔。暗めの茶髪をツインテールにまとめて肩のあたりまで垂らしている。タンクトップにレギンスという動きやすい格好で、トレーニングをしに来た事が見て取れた。
「はい。前川愛美ですー。佐倉先輩も、こんにちは」
「えぇ、こんにちは。なんだか第二の人と会うのは久しぶりな気がするわ」
前川愛美は高等部の一年生で、誠奈人達の一年後輩。第二学生魔導隊に所属している魔導士だ。
「お互い忙しそうでしたからねー。合同演習の話、聞きましたか? 」
「隊長から聞いたよ。よろしく」
「こちらこそ! 神楽先輩と一緒で嬉しいです。色々学ばせてもらいますね。ふふ」
「そうか。胸を貸してやろうかな」
「あはは。それ自分から言う人初めて見ましたよ。相変わらず神楽先輩って面白いですよね。真面目な顔しておかしな事言うんだもん」
「おかしな事を言ってるつもりはないんだけど」
「誠奈人は天然物だから。それに本人は真面目な時もふざけてる時もあるから、見極めが難しいわ」
律華がやれやれ、という感じで肩をすくめると、愛美も「うんうん」と頷く。誠奈人はバツの悪そうに後頭部をぽりぽり掻きながら口をつぐむ。
「そういえば、他の人達はどんな感じなの? 第一に負けるなって風潮になってるのかしら」
「どうでしょう? 隊長は対抗心燃やしてましたけどね。他の人達は、個人的にあいつには負けたくない! ていう程度に感じました」
「思ったより平和そうで良かったわ。ほら、ちょっと隊長同士で張り合ってるところがあるから」
「確かにですね。でも、神楽先輩は忙しいかもしれません。妥当、神楽誠奈人な人達がいますから。人気者はツラいですね、このこのー」
愛美が肘で誠奈人のお腹をツンツンと突つくと、誠奈人は「こらっ」と、前川のおでこを指で突き返す。
「どうせ速見だろ? 懲りない奴だな」
「一番盛り上がってるのは速見先輩ですけど、近衛先輩も密かに闘志を燃やしている様に見えましたよー」
「近衛先輩が? あの人はそんなに他人を意識するタイプに見えなかったけどな」
「いつも冷静な人ですからね。そんな近衛先輩にとっても、無視できない存在ってことなんじゃないですか? 最近また色々と戦果を上げてるみたいじゃないですかー」
「ここ最近は一人じゃ何もやれてないよ。皆のおかげだ」
「謙虚ですねぇ。カッコいいですねぇ」
前川が誠奈人をじっと見つめると、思わず誠奈人は横に目を逸らす。すると、そこには眼を細めてこちらを見ている莉央奈と、その横で苦笑いする大治がいた。
「お、莉央奈。お疲れさん」
「うん、一旦休憩」
莉央奈は誠奈人と前川に、きょろきょろと交互に目線を送る。何かを探るかのように。
「あ、大治。やっほー」
「おー、愛美。精が出るな」
「魔導士は体が資本、てね。そちらは実先輩ですよね? 第二学生魔導隊の前川愛美です。よろしくお願いしますー」
前川は莉央奈に屈託の無い笑顔を向ける。敵意の無い純真な眩しい笑顔に、莉央奈は思わずたじろぐ。
「あ、うん。実莉央奈です! こちらこそ」
「どうした? そんなにキョドって」
「き、キョドってないよっ」
「実先輩、今度の合同演習よろしくお願いします。うちはちょっとキャラが濃い人がいたりですけど、悪い人達ではないんです。仲良くしてください」
「キャラの濃さはうちも負けてないわよね」
「律華…張り合うところか? それは」
「神楽先輩も、いいキャラしてると思いますよ。私大好きですー」
「どーも。褒め言葉として受け取っておく」
「誠奈人くんと前川さんは、仲良いんだねぇー」
莉央奈が少し声を震わせながら問いかける。
「仲良いというか…まぁ、一度任務で一緒になった事があってな」
「はい。その時、たくさん助けてもらいまして。それと、話してて面白い人だなーって思って。それ以来、私は神楽先輩の追っかけです」
「そ、そうなんだぁ。さすが誠奈人くん」
「あぁ…」
何がさすがなのかはわからないが…と思いながら、誠奈人は莉央奈に返事をした。
(誠奈人のにぶちん…)
その表情と適当な返事を見て、誠奈人が莉央奈の心情を全く察していないと見抜いた律華。
「それじゃ、私はちょっとルームランナーやってきますから。演習の時にまたお会いしましょうー」
愛美は軽く頭を下げながら両手を振ると、振り返って部屋の隅に並べられているルームランナーへと向かって行った。
「前川愛美ちゃん…強敵だね」
ぽつりと呟いた莉央奈の声は、誠奈人には聞こえていなかった。




