加賀名唯花
見渡す限りの瓦礫の山。
ひび割れたコンクリートが捲れあがり、その下の土が見え隠れしている。
街頭はどれ一つとしてまともな姿を保っておらず、歪み、根本から崩れ落ちている。勿論明かりなど灯ってはいない。
住居と言う住居はどれも押しつぶされたような有様で、人の気配すら感じられない。
そんな廃墟とも言うべき街中の、穴倉のようにぽっかり開いたコンクリートの仮住居の中に、寒さに身を震わせる少女がいた。
所々跳ねた髪に、汗と土で汚れた衣服。全身は小刻みに震え、足を抱えるように座ったおしりは冷たかった。
「大丈夫……寒くない、痛くない……」
十一歳の少女、加賀名唯花は、震える声でそう口にして、凍える両手にフッと息を吹きかけた。白い息が、僅かなぬくもりを手に与える。
言葉では強がってみても、やはり寒い。こちらでの暮らしが長いため、冬入りの寒さに関しては慣れていたはずだったが、まともな衣服の無い状態で迎える冬は、想像をはるかに超えていた。
もう何日も服を着替えていない。靴は片方脱げてどこかへ行ってしまった。それどころか満足に食べ物を口にしたことすら、いつだったか記憶にない。
惨劇を引き起こした悪魔が音も無く北海道に攻め込んできたのは、夏も終わろうかという季節だった。
その日、唯花は十一歳の誕生日を迎え、両親と、今年六歳になる弟の勇介と一緒にバーベキューに来ていた。
その頃は全てが順風満帆で、幸せの時間を過ごしていた唯花だったが、その一日でこれまでの人生の全てを壊されることとなった。
穏やかな気候のキャンプ地で、唯花達が肉や野菜に舌鼓をうっていると、他のバーベキュー客が突然「おい、なんだよあれ」と上空を指差した。
唯花たちも釣られて視線を上げる。するとそこには、きらきらとした燐光を纏う、紫色のロボットがいた。紫に所々灰色の装甲を持つこの機体は、まるでアニメに出てくる妖精のようだった。
当時の唯花には、それがMSGと呼ばれる兵器だとは微塵も思わず、単純にその美しさに目を輝かせた。
「すごい! 綺麗だね、ママ……ママ?」
母親は強張った顔で唯花の手を握った。
上空に現れた一機のMSGは、海外アニメに出てくる妖精と見まがうような美しい姿で上空を優雅に滑空した後、突如こちらに顔を向けた。
途端、それまで感じていた美しさや優美さの欠片も無いような、醜悪でどす黒いオーラが機体を覆う。無害な妖精が、実は悪い魔法使いだったかのような、そんな絶望が放たれる。
それは右手を挙げ、神に祈るように機体の前で十字を切ると、そのまま両手を大きく広げた。
直後、目の前が真っ白になった。唯花が覚えているのは、母親が自分の上に覆いかぶさり、全身を焼き尽くすような熱が包み込んだことだけだった。
「ん……ママ……?」
季節の節目の夜風に当てられて、唯花は目を覚ました。どうやらむき出しの木に寄りかかるように寝ていたらしい。一瞬身体をぶるりと震わせて、立ち上がる。
そしてそこで周りの惨状に気が付いた。
目に移る景色が瓦礫の山に変わっていたのだ。
コンクリートというコンクリートは砕け、亀裂が走り、隆起し、その残骸を無残に晒す。木々や草花は全て枯れ落ち、まるで元々そこが不毛の地であったかのような様相を呈していた。
そして唯花は、視界の中に人の姿が全くないことに気が付いた。
「ママ……? パパ……? ゆーすけ……?」
自分の家族の名前を呼ぶが、それは寒空の下に虚しく響くのみだった。
やがて自分の右手に握りしめられた布きれに気が付いた。暖かな色合いの黄色い布きれ。隅が焦げて黒茶色になってしまっているが、それがなんだったのか、唯花はすぐに思い至った。
母親が好んで着ていたカーディガンの裾の部分だ。
「あ、あああ――」
のどから声がこぼれる。この布きれが何を意味するのか、まだ幼い唯花にもすぐに理解できた。
「あああああああ、あああああああああ――――!!」
声の限りに叫んだ。自分がこれまで歩んできた人生の中で、これほどまでに声を張り上げたことは無い。慟哭は暗闇に移り変わろうとしていたキャンプ地に響き渡り、遠くからコダマとなって帰ってきた。 それに反応する鳥たちもいない。自分以外の全ての生物が死滅してしまったかのようだった。
やがて声が枯れ果て、疲れ切った身体をそのまま地面に投げ打った。
「さむぃ……」
どうにか枯れた声を絞り出す。
季節はもう秋にさしかかっている。秋とはいえ日本の北端だ。このままでじっとしていれば凍え死ぬこともあるかもしれない。
――それもいいか
両親と同じところへ行けるのなら、その選択をした方がいいのかもしれない。それが正しいのかもしれない。
「いや……」
しかし、その思いはすぐに打ち砕かれた。強い憎悪によって。
「ふくしゅう……して、やる!」
今まで一度も言ったことのない言葉が口からこぼれる。
脳内にあるのは、あの紫色のロボット。気をしっかり保っていないと、すぐにでもその姿が怒りで歪んでしまう。
状況から察して、あいつがこの惨劇を引き起こしたのは間違いないだろう。唯花はその姿を強くまぶたの裏に思い描く。仇敵として認識する。
あいつを破壊し尽くすまでは死ぬわけにはいかない。
そして復讐を遂げたら、愛しい家族の元まで飛び立とう。
――その時、胸の奥にどろりとした黒いものがうまれたことに、唯花は気が付かなかった。
それから三か月。その期間で、あのMSGの破壊活動が実に広範囲にわたっていたことが分かった。
歩けども歩けども見えるのは破壊された街並みのみ。
しかし唯花は諦めず歩き続けた。水道は生きていないので、川の水を直接飲んだ。食べ物は街の崩れた家から頂いた。時には虫でもなんでも、口にできるものは口にした。
いくら待っても政府による救助はなかった。それが何を意味するのかは不明だったが、とにかく生き残ることに必死だった唯花にはどうでもいいことだった。
そして今日、いい感じに穴倉となりそうな瓦礫の山を見つけ、そこを今晩の宿にすることにした。
隙間風が突き抜け、身体にしみる。
現状一番の敵は食べ物でも飲み物でもなく、寒さだった。
衣服の類は一切見つからず、どうにか屋根のある場所を探して身体を抱きしめながらじっとしているのが、夜の過ごし方だった。
寒さを我慢して、どうにかまぶたが落ちようとしてきた時、唯花はハッとなった。眠気が一気に引っ込む。
車の排気音が遠くから聞えてくる。大型だ。
その音が近づくにつれ、唯花の身体に緊張が走る。
車が近くで停車した。同時に誰かが地面に降り立つ音。
「この辺りなんですよね? うわぁ、随分と酷い……」
「無駄口を叩くのは後だ。要救助を探すぞ」
「あの、言いたくはないですけど、こんな状態ではその要救助さんはもうとっくに……」
「黙って探せ」
二人の男の声が響く。直後に、少しはなれた場所で瓦礫をどける音がした。男達が探しているのは、もしかして自分だろうか。ようやく救助の手が伸びたのか。
出来る事なら今すぐ飛び出していきたいところだが、一度姿勢を固めた手足は震え、言う事を聞いてくれない。
喉も、寒さに耐えきれないのか、かすれるような声しか出ない。
このままじっとしていれば、あの二人は行ってしまうだろう。
その後はまた身を震わせながら歩き続けるしかない。それだけはごめんだった。
「――――」
駄目だ、声が出ない。先ほどまでは普通に出ていたというのに、身体がまるで自分に反抗しているかのようだった。
諦めかけたその時、道路を踏みしめ、こちらに歩いてくる足音が聞えた。
男達のものより小さい、子供のものだ。やがてその音は自分のいる穴倉の前で足を止める。
「――――ぁ」
目の前に現れたそれは、まるで金色の天使だった。
二つに縛った長い金髪が、ニット帽からぴょこんと飛び出ている。
少女本人も予想外だったのか、気の強そうな碧い目は驚いたように自分を見下ろしていた。
綺麗な形の整った鼻にはわずかに赤みがさし、自分ほどではないだろうが寒さを必死に我慢しているようにも思えた。
年は自分とあまり変わらないくらいだろうか。ふっと真顔に戻ったその少女は手をこちらに差し出すと、良く通る綺麗な声で言った。
「待たせちゃったわね、ごめんなさい。立てる?」
どうにかコクリとうなずく。
その手を取って、今生の想いをこめて足に力を入れる。するとどうにか足は言う事を聞いてくれたようだ。ゆっくりと、産まれたての小鹿のように震えながらではあるが、立ち上がることができた。
そんな唯花を少女は優しく抱きしめ、
「本当に……本当によく頑張ったわね……吉川、菅! いたわよ! はやくこっち来て!」
少女が呼び掛けると、二人の男達は疲れ果てた唯花を驚いた顔で見た後、すぐさま唯花を優しく抱きかかえ、車の中に運び込んだ。
「説明が必要よね……とその前に」
車は昔テレビで見たような高級車で、びっくりするほど座り心地のいいソファの上に二人は腰を下ろした。すぐそばに備え付けのワインクーラーがあり、そちらを一度見た少女は少し悩んでから、ポットからココアをカップに注ぎ入れ、唯花に渡す。
「どうぞ」
「……ありがとう」
唯花は一瞬戸惑ってから、素直に受け取ることにした。そしてココアを一口含んだ瞬間、芳醇な香りと暖かなぬくもりが身体を包み込んだ。
「……おいしい」
そのココアは今まで飲んできたものとはまるで違った、甘すぎず、苦すぎず、それでいて身体の芯まで温まる。唯花は夢中でココアを飲みほした。徐々に身体の感覚が戻ってくる。
その飲みっぷりに感心したのか、少女がおかわりを注ぎながら、
「ふふん、そうでしょ。なんせグラム二万円の最高級カカオを厳選して味付けにまで拘ってるんだから」
そう得意そうに言うと、自らもカップに注ぎ、口をつけた。
「あっちっち……!」
「お嬢、猫舌なんですから無理なさらないように」
「そうですよ。あ、俺ふーふーしましょうか?」
「黙りなさい! ちゃんと前見て運転しなさいよ!」
運転席と助手席に座った二人の男に、少女が声を荒げる。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。二人の男と少女は信頼しあった関係にあるようで、まるで年の離れた兄妹を見ているかのようだった。そしてすぐに、勇介のことを思い出す。
まだぴかぴかのランドセルを背負って小学校へかけていく弟の姿が脳裏に浮かび、一筋の涙が流れた。
「え? ちょ、どうしたの? もしかしてココアが苦かった?」
「お嬢、その子も大変な思いをしてきたんでしょう。身なりを見ればわかります」
吉川と呼ばれた男の言葉に、少女が口をつむぐ。
「あ、ごめんね。違うの。もう大丈夫だから――」
溢れる涙をぬぐおうとする手を少女が止めた。
「……いいの。泣きたい時に泣けばいいの。無理しちゃダメ」
そしてそのまま唯花の顔を自分の胸に押し付ける。唯花の我慢はそこまでだった。
声を大にして泣き続ける唯花を乗せて、車は瓦礫の山を走り抜けた。
◆
泣きつかれた唯花が自分の膝を枕にして眠るのを、少女――ソアラは優しい表情で見下ろした。
――説明は明日になっちゃうかしら
今日の内に話しておきたいこともあったが、この様子では酷というものだろう。
同時に、この穏やかな寝顔に罪悪感も芽生える。
「ごめんなさい、唯花」
彼女を見つけた時に言った言葉をもう一度口にする。
「お嬢……今回の件、お嬢には非はありません」
「そうですよ、これも全てあいつらが悪いんですよ。ええっと、あー……」
一向に名前が出てこない菅に呆れたように、吉川が口を挟む。
「“ゲンティアナ”だ。いい加減覚えておけ」
「そうそうゲンティアナ! あいつらさえなんとかすれば」
「そうね。なんとかしないと――――世界が滅ぶわ」
厳しい眼差しで言うと、ソアラが軽く唯花の髪を撫でる。ボサツいた髪は少し指に引っかかり、唯花が軽く眉間に皺を寄せた。
こちら側の切り札となる少女を乗せた車は、やがてそのまま港へ入り、大型のフェリーに乗り込んだ
◆
「ん……うにゅ……?」
唯花が目を覚ますと、謎の違和感が体を包み込む。
しばらく経験したことのない柔らかさ。羽毛に包まれているかのような感覚。どうやら自分はベッドで寝ているらしい。
見たこともないような、高級ホテルのスイートルームを思わせる巨大な部屋を見渡して、ようやく頭がすっきりしてくる。鏡が正面にあり、そこには綺麗に髪をくしでとかれた自分の姿があった。
ハッとして恐る恐る自分の手に鼻を近づけ、かいでみると、どこかバラに似た良い匂いがした。寝てる間に誰かが風呂に入れてくれたのだろうか。それはそれで色々と恥ずかしいが。
――そうだ、私助かったんだ……
自分を抱きしめてくれた少女の姿が思い浮かぶ。今考えると、自分は同年代の女の子相手にすごく恥ずかしい行動をとってしまったのではないだろうか。
思い出すと途端に顔が赤くなってきた。
「そうだ、ここどこだろう……え?」
とりあえずベッドから這い出ようとした時、自分の腰に何かが絡みついていることに気が付いた。
一瞬後、それが細い人の腕だと気が付く。勿論腕だけ、というようなホラーちっくな展開では無く、ちゃんと身体と繋がっていた。
絹のように滑らかな金髪。完成された白磁の肌。比例するように赤い唇からは可愛らしい寝息を立てている。
「え、え―――!」
しかしそんなことは今はどうでもいい。もっと問題な点があった。
「んん……あ、起きたの唯花」
金髪の少女がその声につられて目を覚ます。眠そうにまぶたを擦りながら、大きく欠伸をする。その姿はまるで美術品のような美しさがあって。
「な、な、な」
「なーに? 金魚みたいな顔して」
「なんで裸なんですかーーーー!」
少女は、一糸まとわぬ生まれたままの姿なのだった。
「あのね、唯花。人は本来生まれてきた姿が一番自然な、あるべき姿と言われているの」
「……へりくつ」
「屁理屈じゃないの。哲学者のルソーも、人間が最も自然な状態は旧石器時代以前の、まだ原始人だった時代だと言っているでしょ」
「ルソーなんて知らないもん」
どうにか少女に服を着せた唯花は、少女とベッドの上で向き合っていた。幸いにもベッドは二人が入っても十分に余裕がある大きさだった。
少女はどうやらかなり朝に弱いようで、唯花が着付けをしている間も何度も欠伸を繰り返し、されるがままだった。
「……まあいいわ。そういえばまだ名乗ってなかったっけ。私の名前はソアラ。年はあなたの一つ上の十二歳。呼ぶときはそのままソアラって呼んでね。間違ってもコアラって呼んだら本気で怒るから」
誰かのことを思い出したのか、ソアラが拳を握りしめて突き出す。
「あ、それじゃ私は――」
「加賀名唯花よね。ちゃんとリサーチ済みよ」
リサーチ?
よくわからないが、どうやらソアラはもともと唯花のことを知っていたらしい。
それならばと、今は色々質問することにした。
「あの、ソアラちゃん、ここはどこ?」
「ここは東京のホテルよ。昨日あなたを連れてフェリーで本州に移動して、そのまま東京まで突っ走ってチェックインしたの」
「そうだったんだ。あの大人の人達は?」
「二人は別の部屋で待機していてくれてるわ。そうだ、あいつらの紹介も必要よね。昨日車を運転していた目つきの鋭い方が吉川春輝。見てくれは怖いけど、信用できる奴よ。秘書みたいなこともやって貰ってるわ。もう一人のおちゃらけた方は菅信一郎。あんなでも格闘だけなら吉川より優れてるから驚きよね。二人とも腕の立つボディガードっていったところかしら」
「ボディガードって……もしかしてソアラちゃんってお嬢様?」
もしそうだとしても何の違和感もない。どこか気品を感じる佇まいや、人の目を引く容姿、その言葉づかいなど、一般人とは思えない雰囲気がある。
「うーん、ちょっと違うかな。私は行ってみればVIPみたいなものだから。この国の政府様のね」
「ぶぃっぷ……?」
「まあそれは――」
ソアラが口を開こうとした時、豪華な装飾を施された扉が、コンコンとノックされた。と同時に、唯花のお腹がグーと音を立てる。
「わ、わ、わ!」
「フフ、とりあえず朝食にしましょうか。話の続きはその時にでも」
黙ってうなずくしかなかった。




