赤鬼
それは唐突にそこに現れた。
夜明島の南方十キロ。青空を引き裂くような、一筋の黒線が空中に浮かびあがり、直後、無音で三十メートル近い空間が口を開けた。
その空間だけ、まるで青色の絵具を塗り忘れたかのように真っ白で、目を背けたくなるような眩い極光を放っていた。
やがて真っ白だった空間の中央に黒点が穿たれる。その黒点は徐々に大きくなると、卵の殻を内側から突き破るように、その機体を空間から解き放った。 ガラスが割れるようなけたたましい音と共に、機体の背後で空間の口が閉じる。 静まり返ったそこには青空、青海と対になるような赤い機体があるのみだった。
禍々しいダークレッドのカラーリングに、所々に黒いラインが引かれ、幾何学的な模様をボディに描いている。
頭部には二対の角があり、全体的に鋭角的な風貌も相まって、赤鬼を連想させるその機体は、まぎれも無くMSGであった。
背面部のブースターで空中に浮遊しながら、停止していた赤いMSGは遠方の夜明島を視界にとらえると、一瞬後、ブースターをフル稼働させ、急速に接近した。
◆
火柱が南の沿岸から立ち上った様子を、遼河達は茫然とした顔で見ていた。
火柱は海面にバーナーを取りつけたかのように、海から立ち上っている。その全高は百メートル以上、直径四十メートルにも及ぶだろうか。炎の周囲では土が崩れ始め、舗装されたコンクリートにも急激な温度の変化により、亀裂が走る。
たっぷり三秒は燃え続けた火柱が消えた時、その先には赤い鬼がいた。
陽光を鈍く反射するダークレッドの機体。空中で微動だにしない完璧な停止。全員の注目を一身に受けながら、鬼は深く呼吸をするかのように、全身の気孔から蒸気が噴き出した。
「赤い、MSG……?」
誰かが呟く。見間違いようも無くその機体はMSGだった。そしてそのMSGが空中で停止していることに気付くと、その驚愕が全員に伝わった。
「おい、あいつ飛んでるぞ!」
「まさかEX‐Gなのか?」
「馬鹿な!? 無許可運航は条約違反だろ!」
「一機だけか? 空母が近くにいるのか!?」
周りが騒然としはじめる。
彼らだって敵機の来襲を警戒していなかったわけでは無い。むしろ機密情報を預かる以上、一日たりとも欠かさず迎撃の姿勢をとっていたはずだ。
そして何より、全員の緊張の主要因でもあるEX‐Gという言葉。
――Extraordinary-Giant――。EX‐Gとは、通常のMSGには備わっていない、飛行能力を含む、多数の強力な戦闘能力を有していると言われるMSGのことだ。次世代の機体とも言われているが、明らかに突出しすぎた能力を持ち、なおかつ量産もされていないため、畏敬の意を込めてこう呼ばれている。
現状はアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシアのみがこの開発に成功しており、他国も同性能の機体の製作に躍起になっているが、未だ成功例は聞かない
しかしそれも過去の話。なぜなら、隼風もこのEX‐Gと同格の機体として開発されたものなのだ。
隼風は海上での迎撃を中心とする日本の地理的特性上、空中戦闘に特に重点を置いてある。他国の機体に後れを取ることはない――――のだが。
今はその確信が全員の緊張感の度合いを押し上げている。
隼風と同格の性能。未確定とはいえ、飛行性能を有しているあの敵機に関してはそう考えた方がいいだろう。それだけで、その性能を推しはかるには十分だった。この島にいる作業員で隼風の性能を疑う者はいない。
『ザザ……国籍不明機、領土内へ侵攻! 全操縦士はこれを即時撃墜せよ! 繰り返す! 全操縦士は国籍不明機を即時撃墜せよ!』
通信が復活したのか、島内全域にオペレーターの声が響き渡る。そしてけたたましい警戒音。そこで全員がハッとした顔になる。
遼河達の周囲にいた整備士・パイロット達はすぐさま身をひるがえし、その足をそれぞれの持ち場へと向けた。
しかし全員の顔には驚愕と疑問の表情。恐らく遼河も同じ顔をしていたことだろう。隆市が額に冷や汗を流しながら言う。
「おい何してんだ遼河! 俺達もさっさと第二へ行くぞ!」
「……隆市さん、おかしくないですか」
呟くような遼河の声は、鳴り響く警戒音にかき消される。
「あ!? なんだって!? 聞こえねーよ!」
「おかしいですよ! 島に侵攻されるまでレーダーに何の反応もないなんて!」
今度は警戒音に負けないくらい大きな声で遼河は言った。
周囲が海で囲まれた日本はレーダーの開発には他国よりも力を注いでおり、敵機来襲の際は海上で迎え撃つのが基本戦術となる。そして、自社内で多くの航空備品を調達する四方寺重工でも、レーダーには並々ならぬ資金を注いでいる。例えばレーダーにて正体不明の船舶や航空機の接近が判明すれば、すぐさま対応し、十分も待たずにスクランブルが可能だろう。
夜明島のレーダーの探知距離は重要機密のため、遼河のような下っ端には知らされていないが、一説には五千キロだとも言われている。
そのため、島内の全員がそのレーダーに信頼を置いていたのだ。しかし先の放送は、明らかに敵機を目視してからのスクランブル発令に思えた。
世界最高峰のレーダーが、こうまで簡単に敵機の侵入を許すことがはたして起こり得るのだろうか。どんなステルス機でも不可能ではないか。それに先ほどの一瞬の通信の断裂。妨害電波とも違うあれは一体――
思考の海に入る前に先を行く隆市が叫ぶ。
「だあー! んなことは後だ! 今はあれを何とかするのが先決だろ! 見ろ、ヤローやる気満々みてーだぞ!」
しばらく何かを探すように周囲の様子を伺っていた敵機だったが、やがて身体を格納庫へと向けた。
突然の事態にまだ第一は慌ただしく、戦闘機のスクランブルはできていない。
「やばい! あいつ格納庫を狙うつもりだ!」
「……っ!」
唇を噛みしめる。どんな高性能な戦闘機も、出撃前ならただの金属の塊だ。敵は一機。数の上での有利を防ぐため、こちらの戦力を削ぐのは当然と言える。
敵機が移動を開始しようとした時、先ほど耳にした激しい音が耳に届いた。地対空誘導弾だ。隼風のテスト飛行にしようされたものだろう。
そしてそれに続くように沿岸に設置されていた迎撃用の各対空機関砲が火を噴く。
それらは避ける隙も与えず、敵機の装甲を突き破る――――ことは無かった。
隼風の時と同様、動きを一瞬止めることはできたが、その装甲を破るどころか傷一つ付けられない。
その装甲の堅さ。やはり敵機はEX‐Gクラスの性能を持つと考えて間違いないだろう。
敵機は銃撃を一切意に介さず、鬱陶しそう右手を向けた。すると、その手の甲がガシャンと金属音を立てて隆起した。装甲の一部が開き、内に隠された大口径の銃口が覗く。
全身を嫌な汗が流れた。
あれがもし先ほどの火柱を生み出す武装だとしたら、まずい。あれは人を跡形も残さず焼き尽くすだろう。迎撃を行っている複数人は未だに効かない銃弾を撃ちつづけている。
「ダメだ! 逃げろ!」
遼河の叫びが届くはずも無く、無常にも敵機の銃口からその銃弾は放たれた。
バシャと水に複数の何かが飛び込む音がした。
「え?」
破壊音、或いは炎が酸素を食らう音を予感していた遼河は一瞬呆けた顔になる。それは敵機も同じだったようで、困惑したように停止している。必殺の武装を内蔵したその右腕は、なぜか何も無い海に向けられていた。
直後、島から一キロほど離れた場所で炎の柱が立ち上った。
三本の炎柱は獲物を探し求めるようにしばらく海上を燃えていたが、やがて何も燃やせないことを口惜しむように鎮火した。
遼河同様、立ち止まっていた隆市が首をひねる。
「なんだなんだ? あいつ、なんで突然海に撃ったんだ?」
「いや、あれはまさか……」
遼河が気が付くと同時に、敵機の機体に異変が起きた。突如何かに横殴りにされたように機体を揺らし、五百メートルほど離れた海面に、斜めから突き刺さった。
敵機も突然のことに機体の制動が追い付かなかったようで、一切の抵抗も見られなかった。巨大な水柱があがる。
島の上空に風が渦巻いた。つむじ風程度に思われたそれは、やがて木々の枝をしならせる風力となり、それが空中の一点に集い、隠されたその姿を解き放った。
陽光に白銀の鎧が反射する。所々管のように伝ったエメラルドの輝きがその鎧に走り、美しい絵画のようにその機体を包み込んでいる。
今までどこにいたのか。
なぜ見失っていたのか。
そういった疑問の一切が、その姿を見たことにより消失する。
汎用型空中戦闘機械“隼風”。
現状唯一の対抗手段は、風のようにその場に舞い降りた。




