初フライト
「あー、全員いるな。よし、点呼終わり」
虎武は第二格納庫に現れるなり開口一番そう言った。となりに立っていた副主任の佐橋が眼鏡のつるを直しながら冷静に答える。
「主任、それでは点呼の意味が無いです」
「いや、そうは言ってもよぉ佐橋、一度見りゃ全員いるの分かるだろ。俺達入れても十二人しかいねえんだからよ」
隼風テスト飛行の今日は直接的な開発は無い。よって一部の整備をする箇所以外は暇になるため、多くの作業員は休みとなっている。初フライト当日に少数の整備と言うといささか怠慢な気もするが、検査自体は一週間以上前から繰り返し行われており、昨日丸一日かけて隅々まで検査して十回も動作チェックをしている。言ってみれば昨日がラストチェックに近い。それでもなお念には念を入れるため、最後の検査としてベテラン達が集まったというわけだ。それを理解しているからこそ、佐橋も強くは言い返せない。
「……主任の言う事も最もですね。えー、では三時間後にはいつでもフライトできるよう、常に時間を気にしてください。蓮杖君は主任の後に着いて補佐をお願いします」
「はい!」
遼河の返事に、佐橋が笑顔を作る。
「あまり無い機会ですから、しっかり勉強してくださいね。……主任もちゃんと指導してあげてくださいよ」
「おうそれは勿論だが佐橋よ、遼河と俺に対しての態度に違いありすぎねえか? もっとこう、上司を労わるとかよ――」
「普段の行いの差です。それと主任、また飲酒しましたね? 作業前のアルコールは控えるようにと何度も言いましたよね。あなたは連城君や木下君達若手の模範にならなければいけない立場なのですから――」
「あーわかったわかった、俺が悪かったよ」
観念したように虎武が両手を上げる。この島でも虎武にここまで言えるのは佐橋と中根くらいだろう。
見た目三十ほどに見える佐橋圭一郎は、遼河が通っている――今は休学中だが――術校を卒業した大先輩にあたる。彼もまた特別研修を経験し、卒業後、数年は大手航空会社に勤務していたが、『隼風計画』の発案と同時に四方寺重工にヘッドハンティングされ、すぐさま副主任となった言わば開発チームのエリートとも言える人物だ。
非常に真面目な人物で、技術は勿論、プランニング能力に関しては並ぶものがいないほどの逸材だ。ここまでの開発進行に大きな遅れが出なかったのも佐橋が色々と尽力したところが大きい。
「はい、では皆さん、今日も一日がんばりましょう!」
佐橋は一度大きく手を打つと、いつもの締めの言葉を言った。全員がテキパキとした動きで持ち場に向かう。納得いかなそうな顔の虎武の後ろに着いて遼河も気合を入れた。
とはいえ、今日ばかりは本当に後ろから見ているだけだ。何せ集まった十一人は百戦錬磨のベテランばかり。彼らがチェックするのならば遼河が補佐することなど殆どない。
解散後、迅速に各点検部位のチェックに入ったベテラン整備士達の後ろから虎武と共にチェックシートに記入しながら作業の様子を伺っていると、あっという間に時間が過ぎた。
「よし、これであらかた終わりだな。大きな再調整箇所は無かったか」
手元のチェックシートを確認しながら、虎武はうなずいた。
「どうだったよ、遼河?」
「はい、とても参考になりました!」
遼河には手直しするところが無いように見えても、ベテラン達は必ず微調整を行い、さらに丁寧な作業をする。わずかな時間ながら、学ぶことが多い時間だった。
「そうか、そりゃよかった。そうだ、お前コイツの飛行見るんだろ? そろそろ台地に向かってもいいぞ」
「本当ですか!?」
虎武の言葉に遼河の目が輝く。
この島の開発当時、滑走路を整備するために余分な地面をならして、その土を脇に寄せることになった。それでは見栄えが悪いので土に人工芝をかぶせ、覆い隠したのだ。その結果、滑走路の脇には座って見物するのに丁度いい、なだらかな台地が出来上がった。以降、暇になった職員達が酒を片手にここでフライトの見学をする姿が多くみられるようになった。今日ともなれば休みを取った職員達が隼風の雄姿を見ようと大勢詰めかけていることだろう。
「まあどうせ他の休暇のやつらも向かっているだろうしな。ほら、さっさと行かないと席なくなるぞ?」
そう言われては向かわないわけにはいかない。遼河としてもこの日を何よりも待ち望んでいたのだ。シートをかぶせられ、その時を待つばかりの隼風を見上げ、ふと遼河は大切なことを思い出した。
「そういえば操縦士ってどんな人なんですか?」
これまで制作に夢中で、今まで一度も考えに至らなかった事を遼河は虎武に尋ねた。虎武は一瞬思案顔をし、
「それか……俺も上から話を聞いただけで確認したわけでは無いんだが……なんでも今まで航空機に乗ったことが無い奴らしい」
「え!? 大丈夫なんですか、それ」
「さあな。そういえばお前MSG見るの初めてだったよな? ならコクピット見りゃ、これまでの戦闘機の操縦士がすぐさま動かせるものでもないってわかるだろ?」
「……そうですね」
今朝も点検をした内部を思い出す。
昔読んだ本で、とあるMSG乗りが言った言葉に次のようなものがある。「MSGを操縦していると、コンピュータの一部になったかのような気分になる」と。現代の航空機や戦車は日々進歩しており、多くの電子技術が利用されている。そしてMSGも例外では無く、人型であるが故に、より細かい動作を求められている。それを実現させるための電子回路が全身に通い、それをコクピットで一括管理するため、大量のスイッチやレバーがある。
その一つ一つが別の役割を持ち、一人で操るのだ。確かにコンピュータのICチップの役割に似ている。
さらに隼風には“飛ぶ”という、他のMSGの多くに備わっていない特殊な機能がある。
隼風と航空機との大きな違いは“どう飛ぶのか?”という点だ。通常、飛行機はエンジンにより空気中を前進することで浮く力、揚力を得る。前に進む力、“推力”と、浮かぶ力、“揚力”に、重力や抵抗などが加わって航空機は空を飛ぶ。しかし隼風の場合は少し違う。本来なら揚力に任せるべきその“飛ぶ”という動作までもエンジンの出力に頼っているのだ。人型である隼風は空気抵抗をもろに受けるため、飛行機のように揚力に頼った飛行には向いていないからだ。
隼風の操縦士は、それぞれのスイッチやレバーの役割を把握し、空中でしっかり機動させなければならない。さらに操縦桿が座席の左右に二つずつ、前に二つと計六つあり、独立した運動をするために必要となっている。
早い話が、飛行機の操縦士では、下手に航空機の操縦を知っていたるため、かえって混乱することもあるということだ。かといって隼風は空を飛ぶため、地上でのみ運行するMSG乗りであってもその操縦は困難を極める。
となるとMSG専門の操縦士かつ空を飛ぶ訓練を受けたものが望ましいのだが、そんな人材がはたしているのだろうか。遼河の疑問に答えるように、虎武は言った。
「ま、そんなこと技術屋が気にしても仕方ねえ。俺達は可能な限り操縦士に危険が及ばねえように整備するしかねえんだからよ。厳しい話になるが、空に飛んだら後は操縦士と管制官の仕事だ。俺達の出る幕はもう無いのさ」
「そうですか……」
それが整備士。それが技術屋というものだ、と虎武は言った。少し不満も残ったものの、この島に呼ばれているのは、遼河のような研修生を除けば一流ばかりだ。きっと操縦士も一流に違いないと自分に言い聞かせ、その場を後にした。
第二格納庫を出てすぐ近くの滑走路へ向かう途中、遼河は奇妙な一団とすれ違った。先頭を歩いているのは年季のいったスーツ姿の男。年齢は恐らく虎武と大差ないだろう。その年の割に、猛禽類のような鋭い眼光が只者ではないことを感じさせる。そしてその後ろを着いて歩く二人は男とは全くの真逆。
一人は淡いニットのトップスにチェックのミニスカートに、その上から白衣を羽織った少女。綺麗な金髪に青い目、彫の深い顔立ちから、日本人ではないだろう。ここが街中だったら十人中十人が振り返りそうな美少女だ。その少女は少し眠たそうな顔で欠伸を押し殺しながらゆっくりと歩を進めている。もう一人はゆっくり歩く白衣の少女を引っ張るように手を繋いで歩いていた。肩より少し長いくらいに伸ばした黒髪で、薄い水色のワンピースに白のカーディガンを羽織った、こちらも可愛い顔立ちをした少女だ。金髪の子を誰もが振り向く芸術品のような美少女だとするのなら、こちらの子は学校の全員が知る人気者といったところか。
三人共、この島では一度も見たことがない顔だった。
その奇妙な組み合わせから、遼河も自然と目線を送っていたが、ふと黒髪の子と目が合った。黒髪の子がニコっと笑って頭を軽く下げたので、遼河も慌てて頭を下げる。
そしてそのまま目を逸らした。あまり人の顔をじろじろ見続けるものではない。
その集団はどうやら格納庫に向かうようで、遼河の辿ってきた道を逆走していった。少し気になるところはあるが、今は滑走路まで行って席を確保するのが先決だ。後ろ髪を引かれながら、遼河は足を速めた。
遼河が台地に辿り着くと、すでに人口芝を埋め尽くすほどの人がいた。休暇中の職員達が隼風の飛ぶ姿を一目見ようと集まったのだろう。少し歩いていると、遼河は目立つ金髪頭を見つけた。
「隆市さん」
「んあー? おう遼河じゃねーか。なんだ、もうラストチェックはいいのか?」
遼河はそう言いながら隆市の隣に腰を下ろす。丁度台地の半ばほどで、高さも角度も、この台地では最高の場所だ。実は隆市はこういう場所取りが非常に上手い。お花見に行くなら最高の人材かもしれない。
ちなみにこの島で最も見晴しがいいのは管制塔の最上階。そちらには遼河が顔を見ることもかなわないVIP達がこのテスト飛行の様子を伺っているのだろう。
「虎武さんがここはもういいから見てこいって」
「なるへそ、おやっさんも遼河に甘いな」
「隆市さんは、中根さんに許してもらえたんですか?」
「なわけねーべ。隼風のフライト後に反省文の山だってよ。あーあ、あそこまで怒らなくてもいいよなー、そういうところが頭堅いっていうか」
愚痴を言いつつも隆市の声色に嫌味を感じないのは、それが隆市自身のためであることを理解しているからだろう。
隆市に限らず、ここの人達は厳しく見えても、いつも自分達のことを考えてくれている。だからこそ遼河達が上手く整備できた時など、必要以上に褒めてくれたりする。
二人がその後四十分ほど雑談をしていると、周りがざわついた。
「……お、出てきたぞ!」
隆市が指差すと同時に格納庫から白銀の巨人が姿を現す。定められた誘導路を、係の指示に従って、地面を滑るようにゆっくりと前進してくる。勿論実際に滑っているのではない。足元の障害物で簡単に姿勢を崩さないよう、脚部に設置されたノズルからのバーナー出力で一メートルほど機体を浮かせて滑空しているのだ。歩行したほうが燃料効率は良いのだが、今は実戦では無く飛行テスト。様々な機能を試しているんだろう。
滑走路に待機していた、作業員の誘導灯に従いながらゆっくりと、二四メートルの機体が移動する。
あちこちから歓声が上がった。口笛や手を叩いて冷やかす者、歓声を送るものなど、個々人が期待の目を隼風に向ける。中には、目に涙がにじんでいる者もいる。長い人ならば、八年近くも付き合ってきた機体だ。思い入れも相当なものだろう。
「いやー、やっぱ動いてんの見るとこう、熱くなるな、遼河!」
隆市が隣を見るころには、遼河はもうその場にいなかった。気づいたら遼河は最前線の金網にしがみ付き、顔がめり込むほど金網に押し付けていたからだ。
呆れた顔で隆市が近づく。
「お前なあ、俺が折角ベストポジションを取ってやったと言うのにこれじゃ意味ねーだろ」
「隆市さん! 見てください! 隼風が動いてます! 俺達の隼風が動いてますよ! すごいです! かっこいいですぅうううう!」
「……動いていない時はそろそろ慣れたと思ったけど、動くともうだめなのなお前」
隆市が全力で金網にしがみつく遼河を引き離す。
遼河はここに来た当初からしばらくは、隼風を見る度に自分を抑えきれなくなっていたが、最近はそういうことも少なくなっていた。
しかし動いているのを見るのは初めてだ。コクピットやエンジンなど、一部のみ稼働することはあっても、こういう風に全てが稼働するのを見る機会は、終ぞ訪れなかった。話によると操縦士の選定に時間がかかっていたのだとか。
「……隆市さん、今から走っていってチューンナップしてもいいですかね」
「後にしろ」
「我慢できません!」
「あーもう大人しく見てろっつーの!」
そんな会話をしているうちにも、隼風は発進位置に着いた。そこに待機していた補給部隊が近づく。その中には陽子もいた。彼女は補給部隊。その役割は、航空機の離陸前最後の準備を整えること。そして最も近くで隼風の飛び立つ姿を見る事ができるポジションでもある。
「は~いいな、陽子さん。あの位置特等席ですよね~」
「俺達だって毎日のよーに見てきたろ」
「動いてないじゃないですか」
「まあ……そうだが」
そんな悲しい話をしていると、準備が整ったのか、陽子たち補給部隊が離れていった。他の戦闘機も今日は脇に待避し、完全に隼風のみが視界に残る。まだ立春の季節だと言うのに、陽炎が隼風の足元に漂った。排熱によって、あそこだけ気温差が激しいのだ。
隼風が中腰になる。途端、隼風を中心に風が渦巻いていく。推力偏向ノズルが下を向き、赤く輝く燃焼ガスが地面に向かって放たれる。直後、ゴウ、という重々しい音を立て、機体が宙へ浮かび上がった。空中機動を推力のみに頼る隼風に揚力を得るための滑走は必要ない。
どれほどの出力のエンジンがあればああも容易く宙を舞う事が出来るのだろうか、一度隆市にも尋ねたことがある遼河だったが、隆市自身も完全に理解はしていないようだった。「見た目も整備方法も通常のエンジンと同じ。なのに出力は通常のジェットエンジン十基分以上なんだよ、わけわかんねえ」とのことだった。エンジンに関しては隆市は信頼がおけるので、彼がわからないならば遼河にもわかるまい。
隼風は轟音と共に、みるみる上昇を続け、管制塔の最上部と同程度の高さになると、そこでついに機動を開始した。
気づくと、先ほどまで騒いでいた周りが一気にシンと静まりかえっていた。全員の目線が一点に集中し、その歴史的瞬間を目に焼き付けようとしている。
機体の腹を下にして、地面に対して平行になった隼風は、瞬間、爆発したかのような音を発し、島の外に飛び出した、そこで機体を一回転、二回転とバレルロールさせ、今度はインメルマンターンで元の位置に戻ると、コマのように機体を繰り返し回転させ、そのままの流れで背面飛行。直後にトップスピードで急降下。通常の戦闘機ならそのまま地面に激突する速度でも人型の隼風ならば機体を起こすことなく胸部ノズルの出力方向を地面に向けるだけで停止する。
そして再び急上昇。宙返りをしながら高度を元に戻した。
息を呑むのも忘れてその挙動に見入る。今すぐにでも隼風抱きつきたかった先ほどと比べ、今の遼河の心は真逆にあった。あれほど美しい存在に、自分なんかが触れてもいいのだろうか。そう思えるほど、神秘的な光景だったのだ。
遼河は隼風のその姿を、まるでテレビ画面の向こう側にいるかのように捉えていた。この世のものとは思えない美。本日の雲量は一。雲一つない青空と青海をバックに、白銀と微かなエナメルの輝きを放つ機械がその翼を大いに広げて舞う。
その挙動が何かに似ていると感じて、すぐに思い至った。フィギュアスケートに似ているのだ。まさに魅せる演技のような飛行。こんなテスト飛行が果たして今まで行われたことがあっただろうか。合理性に基づいたプログラムを組まれた実習ではなく、観客を楽しませるためのアクロバット飛行にしか見えない。
遼河の興奮はとっくに頂点を過ぎ、次にどんな演技を見せてくれるのかと、一観客として隼風の舞う姿を必死で追いかけた。
すると一転、今度は動きを止め、再び管制塔の高さで停止すると、地上のどこかから激しい音が響いた。
「地対空!? おいおい聞いてねーぞ! こんなの命中したら……」
隆市が叫ぶが遅い。もはや必中の距離だ。島の警備用の地対空ミサイルは隼風の胸部に命中し、胸部を覆うように白煙を噴き上げた。遼河を含む見学していた全員の顔が青ざめる。
「……え?」
しかし結果は全員が想像したものと違った。隼風はその装甲に傷一つつける事なく空中でホバリングしていた。まるで何事も無かったかのように。
直後、管制塔の巨大なスピーカーから、ジジ、とノイズが入った後、若い女性の声が響いた。
『お疲れ様でした。本日の飛行実験を終了します。パイロットは所定の位置まで戻り、係員は機体を格納庫まで誘導してください』
その声を聴いて、全員がハッと我に返る。そして、どこからともなく拍手が巻き起こった。遼河が周りを見渡すと、全員が力いっぱい、美しい挙動を見せてくれた隼風に拍手を送っていた。恐らく、今なら島のどこに居ても拍手が聞こえてくるのではないだろうか。遼河も手が痛くなるほど拍手を繰り返した。
隼風は――正確には操縦士は――少し戸惑ったように地表を二、三回頭部カメラで見た後、ゆっくりと手を振った。
あれほどの演技を見せてくれた操縦士の、意外なほど可愛らしい反応に、再び拍手の雨が降り注いだ。
一向に地表に降りる気配がない隼風に催促するように、再びスピーカーから声が響く。
『飛行実験は終了しました。隼風、所定の位置ま……ザザ……』
直後、島の沿岸から真っ赤な火柱が吹き上がった。




