食堂
「よし、そろそろいいかな」
大方の整備を終え、遼河はその場に座り込んで一息ついた。その際に大型のヘッドライトをぐるりと回し、もはや見慣れたと言える暗い小部屋を照らす。
今遼河がいるのは隼風の胸部に設置された操縦席である。正確には座席をどかした後ろから入れる狭い整備個所、通称“おもちゃ部屋”だ。
機体が停止中の時はライトが無いと何も見えないほどに暗い上、人ひとりが入るのがやっとの狭い空間だ。
人型である隼風の内部構造は戦闘機とは全くと言っていいほど異なる。全長は戦闘機より大型ではあるが、余剰スペースは決して大きいわけではない。複雑な操作を行うため、可能な限り小型化された機構が全身にわたって仕込まれているからだ。しかしこの“おもちゃ部屋”だけは余剰スペースとして存在している。虎武いわく、胸部には操縦席の他、背面ブースターや電子回路の緊急手動回線など、特に重要な機構が多いため、内側から簡単な整備ができるようようにしているのだろう、ということだった。
そのスペースには整備士たちが各々、整備用の小道具を仕込んでおり――もちろん機体重量に影響のない範囲ではあるが――、ツールボックスを持ち込まなくても細かい点検をしたり、操縦士が自ら整備したりできるようにしてある。
そしてそれら小道具を全て収納できる道具箱まで部屋の隅に固定されている。これが“おもちゃ部屋”の所以たるおもちゃ箱である。このおもちゃ部屋は特に整備士の入りが激しいため、こうして小物が充実してしまうのだ。
遼河自身は自前のツールボックスをいつも持ち込んでいるが、足りないものがあった場合はその都度おもちゃ箱の備品を借りている。今暗闇を照らしているヘッドライトも、その備品の一つだ。
「……さて、休憩おわりっと」
遼河は後片付けをすると、おもちゃ部屋を座席シートで隠すように設置しなおした。そして今度はコクピット内の機器の点検を開始する。
本来は電子機器関連は開発の中でも特殊な専門分野の一つで、それ専門の整備士が開発チームにはいる。
しかしそこは少数精鋭の名の通り、開発チームの内何人かのメンバーは自分の専門分野以外にも深く精通している。チームでは番下っ端の遼河も、こういった点検程度なら任せても大丈夫だろうと虎武にも太鼓判を押されている。
その言葉通り、遼河の指は危なげなくディスプレイの反応をチェックしていく。
一通り終えて梯子を降りると、虎武はベンチでぐーすかといびきを掻いていた。
「あの、虎武さん終わりましたよ」
「ん? ああ終わったのか。よしじゃあ確認させろ」
虎武は眠そうに目を擦りながら点検箇所を全部確認し終わると、おもむろに時計を見た。
「よし、大体大丈夫だな。そろそろ朝飯の時間だろ、さっさと戻っておけよ。戸締りは俺がしておいてやるからよ」
「はい、ありがとうございます!」
虎武に別れを済ませた遼河は、走って寮に戻ると、すぐさま食堂に向かった。
寮の食堂はその住居人数に合わせて広めに造られている。島で暮らす人数は整備士、管制官、整備士、補給隊など、約二千人。そのうち四分の三は寮で生活している。残りの四分の一は中央にある研究施設で寝泊まりをしている事が多い。
そういった事情もあって朝食の場では戦闘機の操縦士用のフライトジャケット、整備士用の作業服、研究者用の白衣等が入り混じる中々カオスな空間になる。
まだ朝も早い時間ではあるが、既に食堂では何人かが集まっていた。その中のひとり、金髪で作業服をだらしなく着こなす若者が遼河に手を挙げた。
「おう遼河、どこ行ってたんだよ」
「すみません隆市さん、ちょっと散歩に。先に朝食取ってきますね」
男にそういうと、急いでバイキング形式の朝食からほかほかのごはん、黄身が美しい目玉焼き、湯気の立つ味噌汁、焼きしゃけを取り皿に盛り付けると、声を掛けてきた木下隆市の前の席に着いた。隆市は遼河の朝のメニューを見るなり、
「お前いっつもそのメニューだよな。飽きないのか?」
「日本食はいかに飽きないか計算された食事なんですよ。隆市さんこそ朝からそれは重くないですか?」
遼河は隆市の目の前の皿を埋め尽くさんばかりのソーセージやハムなどの肉類を指差した。
「ばっか、朝から肉食わないと力入らないだろ? 一日の基本は朝食からってな」
言いながら豪快にフォークで肉を口に運ぶ。そしてそのままフォークを遼河に向けた。
「ふぉふぉろでよ」
どうやらところでよ、と言いたいらしい。
「なんです?」
「んぐっ、お前散歩って言ってた割には汗かいてるよな……ははーん、さてはあれだろ? 今日のテスト飛行のこと考えていても立っても居られずランニングで発散してきたってところだ! そうだろう?」
「あ、いや――」
「お前の気持ちも分かるぜ、俺もそのことで頭がいっぱいで寝られなかったくらいだからな」
遼河の返事を聞かないまま勝手にうんうんと一人納得して頷く隆市。
「……まあそんなとこです」
遼河としても一から説明するのは面倒くさいので、その勘違いに従うことにした。
木下隆市は遼河の三つ上の先輩で、エンジン整備を担当するメカニックだ。『隼風計画』では、ベテランの他にも数人の若手をスカウトして、その技術を学ばせるという、整備士版学会のような意図もあり、二人が召集されている。その一人が隆市だ。
隆市本人は良き先輩を演じているつもりで実際腕も立つのだが、遼河としてはいつもトラブルを起こして虎武や他の上司に叱られているイメージが強い。ついでに宿舎では遼河のルームメイトでもある。
「ああ、こんな日を睡眠不足で迎えてしまうなんて、俺もバカなことをしたもんだぜ……」
「いや、隆市さん爆睡してたじゃないですか」
今朝部屋を抜け出す時も、いびきを掻きながらぐっすり眠る隆市の横顔を見たばっかりだ。
「そうだったか? いやでも待てよ、確かに俺は朝起きたら布団の中にいた。しかし俺はずっと起きていたんと思うんだ。と言う事はだ、俺は夢の中で眠れないという夢を見ていたわけで――」
「何くだらない話してんのあんたら」
自問自答に入る隆市の頭に軽く手刀を叩きこみながら、快活そうな栗毛の女性が隆市の隣りの席に着いた。件の若手整備士のもう一人だ。
「あ、陽子さんおはようございます」
「おはよう遼河。このバカの話に無理に付き合わなくていいからね」
「バカとはなんだ! 俺は夢に対する哲学的な思考をしてだな――」
「そうやって分かりもしない難しい言葉使おうとするのがバカっぽいっての。あんたはエンジンのことだけ考えてれば十分でしょ」
「ケッ、それだけじゃものたりねえぜ! 俺ぁ確かにエンジンにかけてならここにいる誰より扱いが上だって自信がある! 汗臭さと熱血と男気が現場の力だと信じているような脳筋は今の時代には向いてないしな。そう、今は俺みたいなスマートな人間が必要なんだよ。だから俺は知識を身に着けるのさ、知識は人の源泉なり……ってな」
「あ、このコーンスープおいしい」
キザっぽく言い放ち髪の毛をかきあげる隆市に目もくれず、陽子は淡々とスプーンを口に運んだ。
「おいおい陽子、お前が話振ったんだからちゃんと最後まで聞けよ」
「はいはい、あんた声大きいんだからあまり耳元でしゃべらないでくれる? そういうお話は後ろのお客さんにしてね」
「お客ぅ?」
隆市が後ろを振り向くと、非常にガタイの良い男が指の骨を慣らしながら見下ろしていた。
「げっ! 中根さん……」
「おぅ、朝から人の顔みてげっ、とはずいぶんご丁寧な挨拶だな、坊主」
筋骨隆々の男は隆市の上司、エンジンチームリーダーの中根久弥である。
エンジンチームは開発チームの中でもガテン系男子の集まりと言える。平均年齢は三八歳ほどだが、人員削減で機材輸送員がいないこの島では重い金属部品の運搬も開発チーム、特にエンジンチームが担当しており、尚且つ運搬機材の利用を最小限にしているため、力に自慢のある者ばかりがエンジンチームに集中している。中根はリーダーという事もあって、その中でも特に体格のいい一人だった。
身体にぴったりとしたタンクトップを盛り上げる筋肉がうねり、中根ががっしりと隆市の肩を掴んだ。隆市の喉から「ヒッ!」と声にならない悲鳴があがる。
「陽子ちゃん、この坊主少し預かってもいいかい?」
「ええどうぞ。ただ中根さん、あまり今後の仕事に差し支えの無い程度でお願いしますね」
「まかせろ。さあ坊主、ちょーっとおじさんとお話しようか、ここじゃなんだから庭に行こうぜ。理由はわかるな?」
「な、中根さん、今の話は言葉のあやと言うヤツでして脳筋も今の時代必要だと……」
「何の話だ? お前昨日の整備資料手抜きしただろ? 担当してた監査官の奴がかなりキレてたぞ」
「あ、それは、あはは……」
「あははじゃないだろ! こういうのは後々までずっと残るんだから手は抜くなって散々言っておいただろ! ……まあいい。とりあえず話は庭で聞こうか」
「あ、中根さん待って! 今の時代には鉄拳制裁は流行らなアッー!」
子供のように肩に担がれた隆市が庭に連れて行かれるのを食堂にいた全員がいつものことだと流し、それぞれの雑談にはいる。遼河もまた慣れきったこの光景に苦笑する。
「今回は何やらされるんですかね、隆市さん?」
「うーん、中根さんああ見えて隆市には期待してるし、徹底指導と始末書書かされるくらいじゃない?」
結局陽子と二人だけの食事となってしまった。チームメンバーの中でも最年少の遼河にとって、ここは
自分より一回り年上のベテランたちばかりの職場だ。勿論いい人達ばかりなのだが、やはり同世代がいると安心感はある。隆市と陽子は数少ない年齢の近い同僚だった。隆市はエンジン、陽子はフライトを支援する飛行補給部隊、そして遼河が下っ端の周辺サポートと、それぞれの役割は違う。
それでも実力派ばかりの開発チームの中でも、経験を積ませる意味も込めた期待の若手達だ。チームの全員も分かっているので、時に厳しく、また時に優しく指導してくれる。
「そういえば波見さんは来てます?」
そこまで考えて遼河はとある人物の姿を探した。陽子はスプーンを空の容器において、
「あー波見さんならあたしもまだ見てない。またいつもみたいに寝てるんじゃない……と噂をすれば」
陽子が指差した先に、可愛らしいピンク色のパジャマに同色の睡眠キャップを被った背の低い女性がおぼつかない足取りで盆を持って歩いてきた。作業服、フライトジャケット、白衣だらけの中において、明らかに異質な存在だった。
「波見さん! こっちこっち!」
陽子が手を振りながら呼ぶと、女性はゆらゆらとした足取りのまま陽子の隣りの机にお盆を置き、椅子に飛び乗った。
「おはよう遼河くん、陽子ちゃんそしておやすみなさい……」
女性はキャップが落ちそうなくらい深々とお辞儀し、そのまま顔を机に突っ伏したまま可愛らしい寝息を掻き始めた。
「ああ、ちょっとこんなとこで寝ないでくださいよ波見さん! ほら、シャキッとして!」
「あはは、相変わらずですね波見さんは」
「ふぁ~あ」
未だ眠そうに顔を挙げた女性は波見静香。遼河、陽子、隆市の三人のOJTである。早い話が新人の教育係なのだが、軽くカールした陽光に煌めくブロンドの髪、触ると柔らかそうな、かすかに赤みがかった頬、くりくりした大きな瞳と、汗臭い現場には相応しくないほど可愛らしい容姿をしているのだ。
どうみても中学生……百歩譲って高校生にしか見えない容姿をしている波見だが、勿論成人していて今年なんと二十八だという。教え方も丁寧で分かりやすく、この島に来て右も左もわからない遼河に丁寧に指導してくれた師匠のような人だ。
今では波見の多忙と遼河達自身がある程度慣れたためOJTの任は解かれているが、今でもこうして一緒に食事を取ったりしている。
――ただ彼女、朝が非常に弱いので逆に面倒を見ていないと心配でしょうがないからという理由も含まれている。陽子から水を受け取った波見を一気に飲み干すと、まぶしい笑顔を見せた。
「陽子ちゃんいつもありがとう。あれ? そういえば今日は隆市くんは一緒じゃないの?」
「ああ、あのバカならさっき中根さんに連れていかれましたよ」
陽子の呆れたような言葉に、波見も納得の表情をつくる。
「また何かしてしまったのね。彼も実力はあるんだけどたまにおっちょこちょいなのが玉に傷よね~」
そういってまだ眠そうな半目でホットミルクに口をつけた。
「う、熱い~」
――ホントにこの人は年上なのだろうか……。
食事を一段落終えた波見はようやく目が冴えたのか、遼河と陽子にいつも通りの真面目な顔を見せた。
「そうそう話しておかなきゃいけないことがあったの。二人とも今日の予定は空いてる? 大丈夫なら会議室まで来てほしいんだけど……」
「会議室っていうと、中央管制館のですよね? 今日はラストチャンスの研修に呼ばれてるくらいなのでテスト飛行後なら空いてます」
遼河が予定を思い出しながら応える。ラスチャンスは機体が離陸する前の文字通り最終点検だ。万が一にも間違いが無いように、整備班の中でもベテランが担当するのだが、今回遼河は無理を言って同伴を許可してもらった。この島ではF-A01のフライトは何度も見てきたが、MSGの稼働は未だ見たことが無かった。元々日本では輸入されたMSGしかないためその姿を見る機会も少ない。
その上この島では隼風の他にMSGは存在しない。通常のMSGが担当する地上戦は、この島では想定されていないからだ。そのため、この機会は逃せまいと虎武に無理を言って半ば強引に同伴許可をもらったのだ。
「あたしは……すみませんフライト後の整備があるので……」
陽子の返事も聞いて、波見は頷く。
「うんありがと、そんなに重要なことじゃないから陽子ちゃんも気にしないでお仕事頑張ってね。それじゃあ遼河くんは午後三時に来てもらえる?」
その時間ならテスト飛行も終わって丁度暇になっている時間帯だ。隼風の雄姿が視られないということはなさそうだと、遼河は胸をなでおろした。
「わかりました、遅れないように向かいます」
「うん、おねがいね。あと隆市くんは……まあいいかな多分始末書とかで忙しいだろうしね」
波見が苦笑する。確かに、中根に絞られた後の隆市は大抵山のような始末書を書かされている場合が多い。どう考えても一日は潰れるはずだ。
「わかりました、じゃあ一人で中央管制館に向かいますね」
この島の中央に位置する中央管制館は、すぐ隣りにある格納庫と違って遼河達整備員は殆ど訪れる事は無い。単純に行く必要性が薄いからだ。
館内には哨戒として飛び立ったF-A01のフライトサポートをする管制室、会議室や巨大なホール、操縦士用のトレーニングセンターなど、航空に関する様々な施設が用意してある。しかし主任の虎武や中根、波見などのチームリーダーならともかく、現場で手いっぱいの遼河達にはあまり縁のない場所だ。
慣れない場所を指定されて心配になったのか、陽子がおずおずと手を挙げた。
「あの、何かあるんですか? もしかしてあたし達呼び出し食らうほどまずいことしちゃったとか……」
「ああ違うの違うの。ただ三人が一番適任かな、て思っただけ。誰か一人空いているならそれで良かった話だから、陽子ちゃんは全然気にしなくて大丈夫よ」
「俺達が一番……」
「適切……?」
「ふふ、まあ来れば分かるから。じゃあ遼河くんはまた後でね」
波見はそういうと空になったお盆を手に抱えるように持ち、若干危ない足取りで返却口まで向かって行った。
陽子もそれを心配そうに見つめながら遼河に言う。
「あたし達もそろそろ準備しよっか。遼河は点呼まであと一時間もないでしょ?」
「あ、そうですね」
壁に掛けられた時計を確認して、遼河は慌ててしゃけの残りをのどに押し込む。波見の話というのも気になる所だが、いつまでも食堂に留まるわけにもいかない。すでに食堂内は閑散としていた。




