紹介
目覚めは最悪だった。より正確には、床に就いてから一睡もできなかった、と言った方が正しい。
「ふぁあ……ぁ」
大きな欠伸を一つしてベッドから這い上がり、壁に掛けられた時計を確認する。時刻は朝の五時前。
カーテンの隙間からは薄っすらと明かりが入り込んでいた。
二段ベッドの上の段では、隆市が大きないびきをかきながら眠りについている。
ぼんやりと昨日のことを思いだす。会議室から寮の部屋に帰ってきた後、始末書で心身ともに干からびかけていた隆市を起こして一緒に食事をとり、軽くシャワーだけを浴びて寝床につくまでは良かったのだが。
「……さすがに眠れないよなあ」
今日の予定を思い浮かべてため息をつく。
昨日の夜同様、壁に備え付けられた大型モニターをタッチする。
途端、画面がパッと明るくなり、『行事』『予定』『カレンダー』『メール』などの文字がアイコンとなり映し出された。
寮には各部屋に一つ、六〇インチのモニターが備え付けられており、その日の予定や緊急時の掲示が行われる。寮の住人は毎朝毎晩、一日の予定を確認することが義務つけられている。
ディスプレイ上の『予定』をタッチして確認をするが、昨日の夜に見たとおりだった。
『各整備班は隼風の修理・整備を行う。九時までに準備を済ませ、森林地域隼風不時着地点まで集合すること。※蓮杖遼河のみ、この任を解く』
「はあ……」
再びため息をつく。このように、本来なら今日は隼風の緊急整備のために整備士は森林地域に集合することになっているが、示し合わせたように遼河だけその任を解かれていた。問い合わせたところ、ご丁寧に特別有給扱いなのだそうだ。
おそらく波見が手を回したのだろう。朝食の席で質問攻めだろうなあ、と思いながら今度はメールボックスを開いた。『蓮杖』『木下』と書かれたメールボックスのうち、『蓮杖』の方をタッチする。画面にずらりと開封された封筒のアイコンが並んだ。
メールボックスでは、一応暗証番号も設定できるようになっているが、遼河も隆市も面倒くさがって設定していない。
まず目に飛び込んできたのは、開封されていない封筒アイコン。新着メールは二件だった。
メールと言ってもその範囲はこの島内のみで、その範囲は狭い。
しかし機密保持のため携帯電話、パソコンなどの持ち込みも不可能なこの島内では、便利なツールとして利用されている。
「えっと、一つ目は――陽子さんか」
NEW! の文字が付いた封筒のマークをタッチする。一つ目は陽子からで、昨日の管制館の会議室に行けなかったことへのお詫びがつらつらと書かれていた。
「陽子さんも仕事があったんだから気にしなくてもいいのに……」
まじめな先輩に感服しながら返信を送ると、今度は二つ目の封筒をタッチした。まずは差出人を確認し――
「no name? 誰だろう。内容は…………ブッ!!」
思わず噴き出した。その後慌ててベッドの上の段を見る。隆市は少し身じろぎしたものの、すぐにいびきを再開した。
それに安堵しつつ、もう一度文面に目を通す。そこには短い文章で、こう書かれていた。
『おはよう遼河くん、唯花だよ。今日は一日ソアラ共々よろしくね』
危ないところだった。こんな文章が隆市に見つかろうものなら、質問攻めにあうどころの話ではなくなってしまう。
「というか、集合場所とか聞いといたほうがいいのかな……」
一応「こちらこそよろしく。ところで今日はどこに集合しよう?」と返信して、モニターから離れた。
――――後にこの返信の意味が全く無かったことを、遼河は身をもって知る羽目になる。
「隆市さーん、そろそろ食堂行きましょうよ」
「おう、ちょっと待て遼河! 髪のセットが中々決まらなくてよー」
結局一睡もしないまま朝の六時半を迎え、隆市と食堂へ向かうことになった。
ようやく納得のいく髪型になった隆市と廊下を歩く最中、隆市が思い出したように口を開いた。
「そういや遼河、お前だけ今日仕事無いんだろ? なんかあったのか?」
「あはは……いや、まあ仕事が無いわけではないんですけどね……」
VIPのエスコートという大事な仕事があるのだが、根っからの機械オタクの遼河としては、今日の隼風の整備ができないことは割とショックだった。スペックから見て隼風がここまで損傷することは全く想定していなかったため、今後にまたこんな機会が訪れるかどうか、怪しいものである。
「……いやいや、整備士がメカの損傷を期待してどうする」
頭を振ってその思考を振り払う。
たとえ戦闘による損傷が無くとも、整備士の出番は決して無くなりはしない。一度の大修理よりも、日々の点検のほうが重要になることが多い。
どんな高性能な機体であったとしても、必ず性能が劣化する時がくる。これは機械である以上仕方のないことだ。
しかし日本の防衛隊ではそういった寿命を超過した機体でも経費削減のために運用されていることも多い。いわゆる経年機と呼ばれるそれらは安全面では好ましくないが、それでも使うと言っている以上、整備士が可能な限り十分な仕上がりにするしかない。
「日々からコツコツと、搭乗者の安全第一にっと……あれ? なんか人だかりができてますね」
「お? なんだなんだ珍しいな」
食堂に足を踏み入れると、一か所に人が集まっていた。
ときおり笑い声も響くなど、かなりの盛り上がりを見せていた。
平均年齢の高めなこの島ではあるが、食堂はなかなかににぎやかな場になることが多い。
隣や前の席の相手と整備士ならば整備している機体の調子、操縦士ならば飛行技術の話、研究者ならば新鋼材の開発の状況について等、高校の食堂にも負けない騒がしさになることがある。
それでも一か所に人が集まるようなことは中々無いはずなのだが。
「…………なんだろう、なにかすごく嫌な予感が」
具体的には、今朝のメールにも似た突発的な異常事態のような。
脳内で鳴り響く警戒信号がまずいことが起こるぞ、と伝える。
「あ! 遼河くーん! おーい!」
はたしてその予感は当たった。あの囲まれた状態でどうやってこちらの存在に気が付いたのか、その輪の中心から聞き覚えのある声が響いた。
モーゼの十戒のように輪が別れる。その中央に、昨日会議室で顔合わせしたばかりの黒髪の少女がフォークを片手に手を振っていた。
笑顔の少女とぎこちない笑顔を浮かべる遼河、その対比を隆市が目を見開いて見比べていた。
そんな面白そうな様子を、周りのたちの悪い大人達が黙って見ている筈がない。
「なんだ、遼河の坊主と知り合いだったのか、お嬢ちゃん」
「もしかして坊主のコレか?」
「も~違いますよヤスさん! 遼河くんとは昨日知り合ったばかりですってば!」
「なんだ、俺ぁてっきり昨日の内に遼河が島に彼女を連れ込んだのかと思ってたぜ!」
「「「がっはっはっはっは!」」」
父親と娘ほど年が離れてそうな大人たちと唯花の会話に頭が痛くなるのを感じながら、遼河は会話で盛り上がる少女に声を掛けた。
「あの、唯花さん」
「あ、ごめんね遼河くん。昨日ぶりだね、メールは見てくれた?」
「わー! わー! わー!」
ここでそんな誤解を生みそうな発言をしたら――――
「お? なんだ遼河、この嬢ちゃんとどんなメールのやり取りをしたんだ? おじさんにちょっと教えてみ?」
「お、おい遼河聞いてねーぞ! お前だけは俺の仲間だと思ってたのによおお!」
案の定噂好きのヤスこと安原大二郎と隆市が同時に詰め寄ってくる。
「ヤスさん、隆市さんも落ち着いて。ただの業務メールですって……」
朝からどっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら、遼河は倒れこむように唯花の前の席に着いた。隆市も同じ調子でその隣に座る。
「なんだかお疲れだね、遼河くん」
その主原因である人物が気を使うように言ってきた。
「まあここはいつも騒がしいしね。唯花さんは昨日の内にここに入寮したんで……したの?」
反射的に敬語を使おうとた瞬間、唯花の表情がムッと険しくなり、慌てて言い直すと、満足そうにうなずいた。
「ううん、今日の予定だよ」
唯花の話によると入寮は今日からで、とりあえず荷物だけ置いて食堂まで向かったようだ。周りの職員達との会話は弾んでおり、彼女の明るい性格が自然と受け入れられているようだ。
――――それにしても。
視線を再び唯花に向ける。
淡いグレーのカットソーにチュールスカートが、唯花に合ったふんわりとした雰囲気を与えていた。
慣れた手つきでナイフとフォークでの食事をする様子は屋敷から一歩も出たことのないお嬢様のように優雅で精錬されたもので、それだけならば容姿も相まって非常に絵になるのだが。
「……あの、唯花さん」
「ん? なに?」
「結構食べるほうで……なんだね」
「うーんそうかな。でもほら、朝はしっかり食べないと力でないでしょ?」
――――いや、それにしたって食べ過ぎでしょ!
そんな優雅さを粉々に打ち砕いているのは、唯花の目の前に盛られた山のような料理の数々だった。
今手を付けている大皿には、厚切りのローストビーフ、ハム、ソーセージなどの肉類とポテト、そしてその二倍の量がありそうなシーザーサラダが陣地を争うように盛られている。
その脇にはごはんと味噌汁、そしてその横の小皿にはほうれん草のおひたし、卵焼き、ごぼうのきんぴらなど、肉類と相性がいいのか判断難しい和風の小物が並ぶ。食後のアイスクリームまで用意するあたり、徹底している。
どう見ても年頃の少女が朝に摂る食事量を上回っている。それどころか、もしかしたら成人男性が一日に必要とする栄養よりも多いかもしれない。
陽子や波見など、この島の女性は小食な人が多かったこともあって、遼河はその料理の数々が、まるで手品のように小さな口の中に消えていく様子を驚きの表情で眺めることになった。
「というかなんで朝のメニューにローストビーフなんて重いモノ用意しているんだこの食堂……」
「なあ遼河、そろそろいいか?」
遼河の隣で一緒に食事をとっていた隆市が我慢できないといった風で話かけてきた。先ほどはヤスとノリで突っ込みをしていたが、冷静になってようやく疑問が頭に沸いてきたようだ。
この状況なら言いたいことぐらいは簡単に想像がつく。
「あー、やっぱ気になりますよね」
「気になるってレベルじゃねーだろ! この子って隼風の……操縦士の子だよな? お前いつの間に仲よくなったんだ?」
周りの目を気にしてか、操縦士の部分を小声にして隆市が尋ねてきた。
今すぐ説明せよ、という圧力が込められた目線に、遼河もどう説明したものかと考えていると、
「なんだやっぱりここに来ていたのか」
食堂の入り口から良く通る低い声が響いた。
全員の視線が集まる中、その声の主、虎武文雄はゆっくりと唯花の席までくると、集まっていた周りの人垣を見渡して、
「がっはっは、まあこうなるよな」
と豪快な笑顔を見せた。
「ふぉらふぁけさん!」
「嬢ちゃん、喋るのは口の中のものを飲み込んでからにするんだ。行儀が悪いだろう」
「ゴクン、おはようございます虎武さん」
「おう、おはよう。嬢ちゃんの紹介はもう少し後にしようかと思ってたんだが、この様子じゃ遅かれ早かれってところだな……」
いい加減空席が少なくなってきた食堂内では、殆どの人が何事かとこちらを見ていた。その視線は言外に、その美少女を紹介しろ! と訴えている。こうなってしまってはもう隠すわけにはいかないだろう。
虎武は唯花を食堂の配給台の前に誘導した。この食堂で最も目立つ場所だ。一斉に全員の目が唯花を向く。
「あー全員席に着いてくれ。唐突だが新しい職員の紹介をさせてもらう。加賀名唯花さんだ。彼女には隼風の暫定操縦士として、この島でしばらく訓練を受けてもらう。仲よくしてやってくれ」
食堂内がにわかにざわめき立つ。今までその素性が一切知れなかった隼風の操縦士が、高校生くらいの少女だと告げられたのだ。
技術者の一人が声をあげる。
「虎武さん、じゃあ昨日の敵機撃退も……」
「この子だ」
戦闘機乗りの一人も我慢できないと言う風に、
「あのパフォーマンスは一朝一夕でできるもんじゃなかったぞ!」
「飛行技術については俺からはなんとも。後で嬢ちゃんに聞くんだな」
また視線が唯花に向かう。当の唯花自身はただニコニコしているだけだった。
――――あれじゃあ中々信じられないよなあ……。
まだざわつく食堂内に、虎武の声が続く。
「まあ言っても信じられないだろうとは思うが事実だ。本日、森林地域で動くのに支障がない程度に隼風を修理した後、彼女に操縦して第二格納庫まで移動してもらうことになる」
虎武の話によると、森林地域は足場が安定せず、木々が邪魔で大型車両が進入するのは難しい。それならばいっそ、その場で軽く整備して、後は操縦してもらって格納庫に収納した後、改めて大規模な修繕に取り掛かろうということだった。
その場合、本職の操縦士の存在は必要不可欠となる。
唯花のことはその場で紹介するつもりだったようだ。
「全く、ソアラの嬢ちゃんからは朝食は管制館で済ますって聞いてたんだがなあ。そもそもなんでこの寮まで辿り着けたんだ?」
「あはは、ソアラは研究室で寝込んじゃったみたいで……ここに来れたのは良い匂いに惹かれたからです! やぱり迷惑でした?」
「いんや。どのみち後で紹介するつもりだったんだ、変わらんさ。何よりもうここの奴らと打ち解けてたみたいだしな」
そう言って虎武は周囲を見渡した。
職員達の顔は驚きこそあれ、不満顔は見受けられない。短時間ではあるが、唯花の人柄が十分受け入れられたことが分かる。
「あー、唯花嬢ちゃんはまだ昨日この島に来たばかりだ。何かと勝手がわからず不自由することもあるだろう。困った時は相談に乗ってやってくれ。特にお前たち」
虎武の視線が遼河と隆市に向く。
「年も近いお前たちが率先して、嬢ちゃんの相談相手をしてやってくれ、いいな?」
「はい!」
「うぃっす!」
「じゃあ嬢ちゃん、挨拶を一言頼む」
そこで虎武が唯花にそう促した。新人恒例の、全員の前での挨拶だ。遼河も一年前に同じことをやらされた。あの時は緊張でガチガチになり、上ずった声になってしまったものだ。
「加賀名唯花です」
唯花はきはきとした声で、口を開いた。
「まず、昨日は私の未熟な操縦で、敵機の島への侵入を許してしまったことを謝罪させてください。申し訳ありませんでした」
最初の言葉は謝罪だった。
食堂内を戸惑いが包む。昨日の敵機来襲は誰の所為でもない。レーダーにすら感知できなかった敵だ。そんな敵を、いくら高性能とはいえ一機体でしかない隼風が気づけるはずがない。
「また、私の乱暴な操縦で、隼風の機体に多大な損傷を与えてしまったことも、申し訳なく思って……あいたっ!」
さらに謝罪を続けようとする唯花の頭を、虎武が軽く叩いた。
「と、虎武さん?」
「あのなぁ嬢ちゃん。俺は挨拶を頼むって言ったんだ。謝罪文を読んでくれなんて言っていないぞ。それに機体の損傷を気にしているんだろうが、それを直すために俺や整備士がいるんだから、操縦士の嬢ちゃんが責任を感じる事じゃあ無い」
「そうだぞ! コイツなんか訓練の度にF‐A01の機体をぼこぼこにへこませているくらいだからな!」
「なっ! ばかやろー! お前の整備した機体が毎回調子を変えすぎるからだっツーの! いつも遊びはあと少し残しとけっつったろ!」
「あんだと!?」
「やんのか!?」
今にも取っ組み合いを始めそうになる整備士と操縦士の二人をわざとらしい咳払いで止め、虎武は唯花の方手を置いた。
「あのバカどもは置いておいて、ここにいる奴らは全員嬢ちゃんのあいさつが聞きたいんだ。一発景気のいいのを頼むよ」
唯花はしばらくぼーっとした表情を見せると、「よしっ!」と両頬を叩いた。
「そうですよね、雰囲気悪くしちゃってすみませんでした! 改めて、加賀名唯花です! まだまだ若輩者ではありますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
そういってぺこりと頭を下げた。
一瞬しん、静まった食堂内に、どこかから拍手が沸き起こり、それはやがて食堂内にあふれるほどとなり、可愛らしい新入りの歓迎を示した。
「それで、ソアラはどうしているの? さっきは研究室にこもってるっていってたけど……」
改めて席に着いた遼河達は、目の前でデザートのバニラアイスに手を付ける唯花に尋ねた。
唯花と食堂で再会してから三十分ほど経つが、昨日唯花以上に目を引いた金髪の少女の姿は、一向に現れる気配がない。
「そうなんだよ、ソアラったら昨日会議室で遼河くんと会った後研究室に籠りきりでね~。なんか隼風の新しい装備が完成間近だから自分の手で仕上げたいんだって。ああいう時のソアラは周り見えなくなっちゃうからね」
「へ、へえ……新装備……」
なにそれ超見たい! という思いを押し殺し、遼河は話を続ける。
「じゃあ案内は唯花さんだけってこと?」
「三時ごろからはソアラも合流するみたい。格納庫とかはそのあたりに合わせてくれるとうれしいかな」
「了解。となると、管制館を出たあたりから開始するとして、昼には一度ここまで戻ってくるなら――――こう行った方がいいかな」
島の簡易地図に赤線でラインを引いていく。今日回る島のスポットに丸を付け、そのルートを繋げていく。まるで観光業者になった気分だ。
「ちぇ、俺達が必死に隼風を修理している間、遼河は女の子とデートか……がっ!」
不満そうな顔の隆市の頭に、ゴスっ、と手刀が叩きこまれた。その勢いで隆市の額がテーブルとぶつかり、鈍い音を立てる。
振り返ると、陽子が空になった食器を乗せたトレイを手に立っていた。
「ひがまないの。昨日始末書なんて書いているからこういったイベントを取りこぼすんでしょ」
「……陽子、いたのか。つかその言い方はちょい理不尽じゃねーか?」
額を赤くしながら隆市が赤毛の少女を睨む。陽子はその視線を軽く受け流しながら、遼河の持つペンに手を伸ばした。
「ちょうどさっき食事を終えたとこ。事情は把握してるわ。遼河、ちょっとその地図貸して。あとペンも」
遼河から地図とペンを受け取ると、陽子はルート上の様々な箇所に追加で丸を作って行った。
「ほら、ここら辺も案内してあげなさい。あんたの選んだコースだとちょっと堅物すぎるしね」
丸の中には娯楽施設として用意された場所がいくつかあった。確かに遼河のしるしをつけた箇所は実務的な場所が多く、これでは休憩をする場所もない。こういうことに慣れていない遼河一人では気づけなかった盲点だ。
「なるほど、ありがとうございます陽子さん」
「ま、がんばんなさい。あんたも……えっと……」
「唯花でいいですよ」
「そう、じゃあ唯花。この島女子少ないから、話相手になってくれるとうれしいな」
「勿論ですよ陽子さん……でいいですか?」
「ええ、よろしくね。さて、私たちもそろそろ持ち場に行きましょうか隆市」
「うぇ、もうそんな時間か……じゃあ遼河、それに唯花ちゃんも、また後でな」
二人が立ち去った後、数人の職員に質問攻めに合いながらどうにか案内コースを決めた遼河は、早々に食堂を後にした。
「うわあ、すごいね……」
外に出た遼河はまず遼の裏手の駐車スペースに向かった。
そこにズラリと並ぶバイクを見て、唯花が驚きの声をあげる。
「この島あちこち道路整備されてるから、暇な時はこのバイクを使えるようになっているんだ。さすがに島を見て回るとなると徒歩は厳しいからね」
バイクとバイクの間を通って先へ行く。きょろきょろとしながら遼河の後を付いてきていた唯花だったが、あることに気づいたように言った。
「あれ、でもここのバイク全部大型車だよね。遼河くんまだ十七歳って……」
そう、今遼河達がいる場所は駐車スペースの中でも特に広い敷地を持つ大型車専用駐車場だ。
「この島私有地だから免許無くても乗れるんだよ……っと、これが俺の愛機ね」
「へえ、どれどれ……お、大きいね」
「でしょう! このヤマハの生み出した狂気の大型マシンVMAXはまず巨体が目を引くけど、その大きさに負けない剛性を鍛えぬいたこのフォルムと鈍い輝き! 実にクールだよ! ホントにこのマシンを生み出した人は絶対趣味で考えたとしか思えない! 最大出力は二〇〇psで、そこに三〇〇キロ超えの超重量から響く爆発的な轟き! 異常な燃費の悪さと利かないブレーキ、曲がらない劣悪さももはや愛嬌でしかない! 一六七九CCの排気量は空気を振動させてこう、直線道路をズバーッン! って稲妻が駆け抜けるように――!」
「あ、あの、私はもうすこしのんびりしたのがいいかなーーって。あ、これとか可愛いかも」
熱く語り始めた遼河に若干引きながら唯花は一つの赤いバイクを指差した。
言われてみれば一人ならともかく二人でVMAXはどう考えても合っていない。最近乗っていなかったこともあって、遼河としては是非ともこの化物バイクで駆けてみたかったが、別の機会にした方が良さそうだ。
「うん、どれどれ。あー……確かに可愛らしい見た目しているかも。してるかな? うん言われてみればしてるかも」
唯花が指差したのは、全体的に丸っこいフォルム、赤とオレンジに塗装された明るいカラーリングの大型バイク。ライトも横長の丸い目に見えて、そのとぼけた表情は確かに女性受けしそうなデザインだ。だが。
「唯花さん、一応それVMAXより速いよ」
「ええ!?」
二代目ハヤブサこと、HAYABUSA一三〇〇。排気量は規定により抑えられたものの、最高時速は脅威の三三三・九五km/h。そのデザインから女性にも人気なマシンではあるのだが、その最大速を活かせているバイク乗りはほとんどいないだろう。
そもそもこのバイクを愛機としているのが、職員でも有数のスピード狂の所為か、独自のチューンナップを施され、余計ラディカルな仕様となっている。遼河が若干言いよどんだのもこれが主理由だ。あの人のスピード狂っぷりは並みじゃ無いのだ。
「そうなんだぁ。でもこれいいなあ、可愛いなあ……」
諦めきれない様子で唯花が隼を見つめる。
「…………」
速度を抑えればどうにかなるだろうか。いかに陽子がスピードフリークでも隼は元々公道でも安心して乗れるバイクだ。そこまで雑な改造はしていないだろう。そもそもライダースーツも着ていないわけだから、あまり速さを出すのは危険か。それに隼風を巧みに操った唯花ならばそこまで心配する必要は無いかも……よし。
そこまでの算段をコンマ一秒で行う。
「よし、これに乗ろう唯花さん!」
「え、いいの?」
「俺もまあ、興味あったからね」
どうにか心の中で決心をつけた。元々以前から怖いモノ見たさも相まって乗ってみたくはあったのだ。心の中で陽子に借ります、と言って鍵保管庫から、ハートマークのアクセサリーの着いた鍵を取り出す。
ここのバイクは基本的に誰が乗ってもいいことになっている。一部の飛びぬけた機体は実質専用機のようになっているが。
「じゃあサイドカー取ってくるからちょっと待ってて」
「え?」
唯花が驚いたように顔を向ける。
「そんなことしてたら時間かかっちゃうでしょ?」
「……えっ?」
心地よい排気の音とエンジンのリズミカルな振動が心を震わせる。
感度良好。徐々に温まる機体の熱が、春風になびく空気に揺れる。
そして――
「遼河くん! いいよ、飛ばして行こう!」
むに
「じゃ、じゃあしっかりつかまってて!」
「はーい!」
背中に当たる柔らかい感触を必死で意識しないようにしながら、遼河は少し緩めにグリップを回した。




