再会
隆市たちと分かれてから数十分後、先ほどの騒ぎの影響か周囲の人気が一切無い管制館の会議室前に遼河はいた。右腕の腕時計を確認すると、午後二時五十五分。予定より五分早い時間だ。防音性の高い部屋からは一切話し声が聞こえず、中に何人いるのかも判断難しい。
ここは主に隼風の開発計画や運用方法、操縦士たちのミーティングに使われる部屋で、集会のほとんどを格納庫で行っていた整備士たちにとっては、全くではないにせよ、ほぼ縁のない場所だ。
「失礼します」
扉をゆっくりと開き、中へ足を踏み入れた。会議室は百二十席のいすが用意された中規模の部屋だ。長机が均等に備え付けられ、無駄な機能は一切配されている。隅にはドリンクディスペンサーが用意され、清潔な水を給水しているようだ。収容人数はそこまで多くも無いはずなのだが、白一色の壁は、実寸以上に広い印象を受ける。
そこでようやく目線は奥にある巨大スクリーンで落ち着いた。室内のどこからでも大画面で確認できるであろう、巨大スクリーンの手前に三人の人物がいた。
スクリーンの一番手前にいた波見は遼河の姿を確認すると、安堵したような笑みを浮かべ、小さく手を振った。その姿に少し緊張が和らぐ。
「すみません波見さん、もしかして遅れましたか?」
「ううん、時間ぴったりよ。こっちこそごめんね、こんな大変な時に呼び出しちゃって……」
申し訳なさそうに波見が言う。先ほどの敵機襲来のことだということはすぐにわかった。現場にはいなかったものの、恐らく波見もその様子を見ていたのだろう。
確かに今は島中が色々と騒がしくなっている。あの後、虎武の指示で、機能停止した隼風を移動させるには森の木々が邪魔なため、落下地点で最低限の応急修理を施した後、操縦士に格納庫まで移動してもらうことになった。そういうわけで今現在島の森林地域では多くの整備士が機材を手に修繕を施しているはずだ。それには遼河も参加しようと考えていたわけだが。
「それが、何か手伝おうとしたら邪魔だからって追い出されちゃって」
隆市、陽子と別れた後、シャワーを浴びる前に何か手伝おうと第一、第二辺りをうろうろしていた遼河だったが、他の整備士達が、大丈夫だから休んでろ、としか言わず、結局シャワーを浴びて休憩所でぼーっとしているだけだったのだ。
それを聞いた波見は得心いったように頷いた。
「そうだったの。……多分虎武さんね、朝の会議の時に、遼河くん借りるって言ったから。あの人なら「こっちは大丈夫だから向こう行ってろ」って言いそうだし」
「あ、それ実際に虎武さんに言われました」
さすがに付き合いが長いからか、一字一句違わない見事な物真似だった。
「やっぱり。虎武さんだって遼河くんの手も借りたかったはずなのに……あ、そうそう」
波見は一度クスっと笑うと、今度は困ったような顔をし、話を買えるように手を叩いた。本当にころころ表情が変わる人だ。波見は右手を自身の左側に差し出した。
「それでね、本当は今日の予定を先送りにしようと思ってたんだけど、こちらの方がその必要は無いっておっしゃって」
「はあ……」
そのまま目線を波見が手を差し出した方向にスライドする。言われるまでもなく、入室した時から気になっていたのだが、いつ切り出そうかと考えていたところだ。
そこに立つ二人の人物。二人ともこの島ではかなり目立つ容姿だ。
一人は後ろで一つに結んだ少女で、所在なさげに壁にもたれかかっている。じっとこちらを値踏みするように睨みつける切れ長の青い瞳に照明に反射する綺麗な金髪、すらっとしたスタイルと、まるでモデルのように人の目を引き付ける美貌だが、なぜか白衣に身を包んでいた。
その横では、頭に包帯を巻き、患者服に身を包んだ黒髪の少女がにこにこと笑顔をつくりながらこちらの話の終わりを待っている。
「あら、話は終わり? そろそろ私達の紹介に入っても大丈夫かしら」
金髪の少女が待ちくたびれたようにそう切り出した。
「あ、はい。すみませんお待たせしてしまって……」
波見は改めて居住まいを正すと、コホンと咳払いをした。
「遼河くん、こちら、『隼風計画』の責任者で、隼風の開発主任でもあるソアラさん」
波見の紹介に合わせて、ソアラが前に出る。
「お初に……ってわけでは無いわね。あなた格納庫の近くですれ違った人ね? 本日は私達のために時間を作ってくれてありがとう。私はソアラ。名前を呼ぶときはそのままソアラと呼ぶこと」
少女が育ちの良さを思わせる上品さで、優雅に礼をする。勿論格納庫の前ですれ違った時の彼女のことは覚えている。何せ金髪碧眼と、かなり目立つ少女だ、忘れるわけがない。むしろほとんど特徴が無い遼河のことをよく覚えていたものだと感心する、が……。
「……え? 隼風の開発って……」
「そのままの意味よ。あの機体のモデリング、設計、機材発注その他もろもろの開発計画等、全てを担当したわ。実際の組み立てはあなた達にお願いしたけれどね」
驚きのあまり固まる遼河を予想していたのか、ソアラは続けて言った。
そうは言われても混乱は解けない。かつて隆市や陽子たちと、隼風の開発者はどんな人物なのか、という話題でよく盛り上がった。そして大体の結論は、男のロマンを理解してくれている高齢の天才研究者ではないか、という答えで落ち着いたものだ。
波見は嘘を言う人では無いし、ソアラの様子からも虚偽は感じられない。
しかしすぐさま、はいそうですかと信じられることでもない。
結果、遼河の口から飛び出した言葉は――――
「は、隼風のエンジンに搭載されているホットセクションに使用されている材質は?」
「は?」
ソアラは一瞬呆けた表情を浮かべたが、すぐに納得したように、にや、という擬音が聞えそうな笑みで頷いた。
「へえ……あなた、私を試そうって言うのね?」
「ちょっと遼河くん……」
「いいのよ波見。彼の意見ももっともだわ。自分で言うのもなんだけれど、何か証拠がないと信じられることでもないでしょうし。ただし……」
止めにかかった波見を手で制し、ソアラは再び意地の悪い笑みを浮かべた。
その表情から何か嫌な予感を感じ、遼河は思わず身構えた。
「た、ただし……?」
「無償で教えるだけでは芸がないでしょう? そうねぇ……今からあなたからの質問コーナーを設けましょう。あなたができる質問は全部で十まで。それにすべて答えられたら、私の頼みを何でも一つだけ聞くっていうのはどうかしら?」
「…………それで良いです」
遼河としては先の質問に答えてもらえれば、無条件で信じるつもりだったが、隼風に関する疑問はそれこそ百は下らない。その約一割が解決するのならば、願ってもいない展開だ。
ソアラは遼河のその言葉に満足そうに笑むと、
「よし、交渉成立ね。で、最初の質問だけれど、ホットセクションの材質だったかしら?」
腕組みをして知識を引き起こすように頭に細い人差し指をあてた。
遼河の喉がごくりと鳴る。
実はこの問題、遼河自身も分かっていない。通常ならNi基単結晶合金にアルミナイズを施すことで高温の燃焼ガスによる熱疲労、高温腐食などに耐えられるようにするのだが、その限界耐久温度は精々一三〇〇度程度。良くても一五〇〇度で、冷却装置で効率的に冷却した戦闘機のエンジンならともかく、隼風の最大排熱二〇〇〇度には遠く及ばない。
隆市によると、専用の大型瞬間冷却によって一八〇〇度まで下げる事はできるという。しかしそれでもまだ安全マージンには届かず、長時間の高温に耐えきる素材とは一体何なのかと、いつも首をひねっていた。開発者ならば当然回答を知っているはずだが……。
「うーん……」
ソアラはどう言ったものか、と少し黙考した後、
「あなた、タービンの色は見たかしら?」
と逆に尋ねてきた。勿論、研修時の見学で学んだ箇所の中には、エンジンも含まれている。その時の様子を頭に思い起こす。
「えっと、確か黒色だったような――」
「そう。黒色は別に塗装のコーティングのためじゃないわよ。隼風のエンジン材料にはC/Cコンポジットが使用されているの。」
ソアラはことも何気にそう言った。
「ちょ、ちょっと待って! C/Cコンポジットはまだエンジン部分では実用化されていないはずじゃ……」
思わず声が上ずりになる。
C/Cコンポジット。炭素繊維強化炭素複合材料と呼ばれるそれは、軽量、高強度、高弾性、そして超耐熱を実現した炭素複合材料だ。
金属材より軽量かつその圧倒的な熱耐性から、かねてより注目されてきた材料で、現在でも航空機のブレーキなどで使用されているという話は聞いていたが、エンジンに使用したという話はまだない。
そんな遼河の様子にも慌てず、ソアラが続ける。
「まあさすがに従来のものでは少し心許なかったから、実際は私が手を加えた最新のものを使っているのだけど。そのおかげでさらに耐熱が上がって最大三〇〇〇度まで実用範囲で耐えきれるわ。勿論硬度も問題なし。後は耐酸化処理が面倒だったけれど、それさえクリアすれば合金を遥かに上回る材料になるでしょ」
「そんなこと言ったって……」
「既にアメリカの空軍研究所では実用化の目途が立っていたし、この国の超高温材料研究センターでもある程度の研究は進んでいたから、私が少し手を貸してやればすぐさま実用化までいったわ。あなたも隼風のエンジンの耐久性は見たでしょう? あれ、数千時間は持続して使えるわよ。……まあ、コストはそれなり以上になってしまったのだけれど」
「…………」
ソアラの言葉の意味を反芻する。C/Cコンポジットの存在は知っていたが、エンジン部に活用する方法は思い至らなかった。それにソアラも言った通り、現在の技術ではいくらC/Cコンポジットであったとしても継続的な超高温や酸化などの問題を完全に解決するには至らない。
しかしソアラは、自分が手を加えた最新のものと言った。その言葉を信じるならば、日本の技術を、単身で底上げしたことになる。これは……本物かもしれない。
「C/Cコンポジット……か」
「どうしたのかしら? もしかしてもう質問タイムは終わり?」
「じゃ、じゃあ次に、操縦席に使用されているスクリュのことなんだけど――――」
「ああ、それはもっと簡単よ。単にニッケル銅合金をさらに――――」
普段から気になっていた隼風の技術的ポイントに着いて次々質問をする。それら全てに、ソアラは簡潔に答えを出していった。もはや当初の目的も忘れて、隼風の開発談義に入る二人。その質問数が十をはるかに超えて三十に達しようかというところで、波見が一つ咳払いをした。
「お二人とも、その話しは後でもできるでしょ? ほら、加賀名さんも困っているじゃない」
波見の言うとおり、黒髪の少女の頭の上ではクエスチョンマークが漂っているようで、「こーちょーりょく? あくちゅえーた?」と異国の呪文のようにつぶやいていた。
またとない機会に、完全に自分達の世界に入り込んでいたようだ。しかしおかげで、このソアラという少女が隼風の開発者という話に確信が持てるようになっていた。
「あ、すみません、つい夢中になっちゃって!」
「ご、ごめんなさいね唯花。私もうっかりしてたわ……唯花?」
ソアラが、肩をゆすると、少女もようやく我に返ったようで、こちらに顔を向けた。
「あ、話は終わったの?」
「ええ…………あ、そうそうあなた、さっきの約束忘れないようにね」
今日出会ってから最も素敵な笑顔を遼河に向ける。約束というのはもちろん、なんでも一つ言うことを聞くというものだろう。さすがに予定していた十どころか三十近くも質問に答えてもらっておいて反故にはできない。
「も、勿論……俺にできる範囲で」
「はいはい。私もさすがに整備士見習いにそこまで無理なお願いはしないわ。ま、そのことはおいおいね。さ、唯花、あなたも自己紹介しなさい」
そう言って黒髪の少女を促す。それに流されるように少女はこちらを向くと、
「うん、ええっと、加賀名唯花、十七歳です。私も格納庫へ向かう途中の坂でお会いしましたね。あと、えと……あ、隼風の操縦士やってます。よ、よろしくお願いします」
そう簡潔に言い、軽くお辞儀をした。
隼風の操縦士というところで遼河の身体がピクリと反応する。やはり見間違いではなく、この唯花という少女が先程隼風のコクピットで気絶していた少女のようだ。そのことを表情に出さず、遼河もお辞儀を返す。
「蓮杖遼河十六歳です。整備士見習いをしています、こちらこそよろしくお願いします」
「あ、年ひとつ下なんだ」
年が近いと分かったからか唯花の口調が目に見えて丸くなる。
「じゃあ遼河くんって呼んでもいいかな? 私にも敬語使わなくていいから」
「あ、はい、大丈夫で――――」
「敬語、使わなくていいってば」
「……うん、ごめん、この島来てから敬語ばかりだったから慣れなくて」
「あ、なるほど。この島、ベテランの方ばかりって話だもんね」
実際年上ばかりなのだから仕方ないが、敬語を使わないほうが違和感を感じるようになってしまっていた。その環境に関しては不満など全く無いが。この島の住人の概要をあらかじめ知っていたのか、唯花が納得したようにうなずいた。
「…………」
改めて唯花の様子を観察しても、やはり普通の少女にしか見えない。遼河の通っている術校でも、唯花と同年代の女性とはいるが、管制館や操縦士を夢見るその生徒たちと比べても、唯花の方が女子高生らしさがあった。
それにもう一つ気になることもある。
格納庫の道すがらすれ違った時のこともそうだが、彼女とはそもそも一時間ほど前に会ったばかりだ。
隼風の操縦席の中で眠るように気絶していた彼女が、今はもうぴんぴんした様子で笑顔を向けていた。応急手当てをした隆市は外傷は見当たらないと言っていたが、こんなにすぐさま起き上がっても大丈夫なのだろうか。
「あの、もう身体は大丈夫?」
尋ねると、質問の意味が分からなかったのか唯花は一瞬きょとんとし、頭の包帯を指差すと、自分がけがをしていたことを今思い出したかのような顔をし、
「あ、うん! ほらもうこの通り、元々身体は丈夫だからね! あれ? でもなんで遼河くんが知っているの?」
「それは……」
「それはね加賀名さん、あなたが気絶しているのを一番最初に発見したのが、彼だったからですよ」
遼河の代わりに波見が伝えてくれる。それを聞いた唯花は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、そうだったんだ」
唯花は目線を少し申し訳なさそうに伏せ、頭を下げた。
「遼河くんありがとう。迷惑かけちゃってごめんね」
その姿に遼河はあわてて手を振る。
「あ、いや、応急手当ても搬送もほとんど先輩がやってくれたことだから俺は特に何もしていないし、搬送してくれたのも先輩だし……」
――――言っていて悲しくなってきた。思い返してみればあの時遼河がしたことと言えば傷だらけの隼風をパシャパシャとフィルムに収めたことぐらいだった。役に立つどころか完全に足手まといではないか。
「あの、どうしたの……? なんか雰囲気が暗くなったような」
「……気にしないで、少し自分の不甲斐なさにへこんでいるだけだから……」
唯花が心配そうな目を向けてくる。本当に心優しい性格なのだろう。
……それだけに、敵機来襲の際の、あの敵を執拗に痛めつける容赦の無い戦闘のイメージとかみ合わない。現場の様子と彼女本人の発言から、あの時隼風に乗っていたのは唯花で間違いないはずだが――――
「あの、唯花さん」
「なに?」
「さっきの空戦の――――」
「!! ほら、もういいでしょう? 話はそろそろおしまいにしましょう。唯花も怪我人なのだから、そろそろ部屋に戻って安静にしなきゃ」
遼河の言葉を遮るように、ソアラが間に割って入った。その時、唯花に見えないように遼河に目線を送る。きつく眉を寄せたその瞳は「余計なことはしゃべるな」と言っているようだった。その険しい顔に思わず口を噤む。
「ソアラ、私ならもう大丈夫だよ? 何なら包帯はずしちゃっても……」
「何を言っているの、ダメに決まっているでしょう。あなたこの隼風の唯一の操縦士なんだから必要以上に体には気をつけなさい。有事に操縦士が調子悪くて出撃できません、じゃ笑い話にもならないわ」
「うう……はい」
どうやら、唯花とソアラはかなり親密な仲のようだ。その会話の節々から、二人がただの開発者と操縦士という関係ではないことが窺える。
「はい、じゃあ自己紹介もすんだことだし、遼河くんにちょっとお願いがあるんだけど」
そこで波見が再び手を叩く。
そうだ。ただ自己紹介がしたいだけならわざわざ遼河を呼び寄せるはずがない。そもそも、隼風の開発者と操縦士なんて大物と、遼河みたいな下っ端が会うなんてこと自体、異例のはずだ。
一体どんな任務が課せられるのかと、一気に背筋を伸ばす。しかし波見の口から出たのは、遼河が想像もしていなかった言葉だった。
「遼河くんは明日、お二人にこの島の案内をしてあげてくださいね」
「…………へ?」
呆けた顔をする遼河を、ツンとした顔のソアラと、にこやかな顔の唯花が見つめていた。




