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コンセンサス ―合意という名の絞首台―』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第二十七章 現場

現場は、都内郊外の、住宅街から少し外れた道路脇だった。街灯の少ない一角で、赤色灯だけが、周囲の暗闇を不規則に照らしていた。近隣の住民が、何事かと窓のカーテンの隙間からこちらをうかがっているのが見えた。


この一帯は、佐藤ひかりが専門学校からアルバイト先へ向かう際、いつも通り慣れた道だった。ごく普通の生活道路が、この夜、一瞬にして事件現場に変わっていた。その落差が、田中には、この事件の恐ろしさを改めて象徴しているように感じられた。


田中と美咲が到着した時には、すでに警護班の車両が、不審車両を挟むようにして停車していた。緊迫した空気の中、複数の制服警官が、車両の周囲を取り囲んでいる。パトカーのサイレンは鳴らされていなかった。無用な混乱を避けるため、静かに、しかし迅速に事態を収める必要があったからだ。


「状況は」

田中は、警護班のリーダーに駆け寄りながら尋ねた。


「佐藤さんは、無事です」

リーダーは、まだ緊張を隠せない声で答えた。

「不審車両の接近に気づいた時点で、迂回ルートへの避難を優先しました。車両内にいた三名は、現在、確保のため対応中です」


田中は、その報告を聞いた瞬間、全身から力が抜けそうになるのを感じた。だが、まだ気を緩めるわけにはいかなかった。安心の感情を押し殺し、田中は次の指示を待つリーダーに向き直った。


「他に、周辺に不審な人影は」


「今のところ確認されていません。ただ、念のため、半径二キロ圏内の警戒を継続しています」


「よくやった」

田中は、リーダーの肩に手を置いた。

「本当に、よくやってくれた」



田中は、車両の方に目をやった。数名の警察官に囲まれ、地面に伏せさせられている男たちの姿が見えた。いずれも若く、二十代前半とみられた。


「彼らは何者だ」


「まだ詳細な聴取はこれからですが」

リーダーは言った。

「所持していたスマートフォンに、ダークウェブの闇バイト募集掲示板とみられるページの履歴が残っていました。『高額報酬、特殊な配送業務』という文言で募集された、いわゆる『闇バイト』の実行者だと思われます」


田中は、確保された男たちのうちの一人に近づいた。まだ幼さの残る顔立ちの青年が、おびえた表情で田中を見上げた。


「お前たちは、自分が何をしようとしていたか、理解していたのか」


青年は、震える声で答えた。


「分かりません……本当に、分かってなかったんです。ただ、指定された場所に行って、指定された人を車に乗せるだけだって、そう説明されて。報酬が良かったから……」


「いくらだった」

田中は尋ねた。


「……三十万円です。一日で」

青年はうつむいたまま答えた。

「奨学金の返済が滞ってて。それに、闇バイトの怖さは知ってたけど、まさか自分が、こんな事件に関わることになるなんて……」


「他の二人も、同じような状況なのか」

田中は尋ねた。


「はい」

警護班のリーダーが答えた。

「三人とも、SNSの求人広告に応募して集められた、いわゆる『使い捨て』の実行役のようです。互いに面識もなかったと供述しています」


その言葉を聞き、田中は深い虚しさを覚えた。目の前の青年は、決して根っからの悪人には見えなかった。ただ、生活の困窮という現実的な圧力に、判断力を鈍らされただけの、どこにでもいる若者の一人だった。


審判DAOという巨大な仕組みの末端では、悲しみに突き動かされた遺族たちの思想も、金もうけのために市場を操作する企業の思惑も、そして、事情を知らないまま金銭のために動く若者たちの無知も、すべてがこんぜん一体となって、一人の人間を追い詰める暴力に変換されていた。


誰か一人の、明確な悪意だけが、この事件を作っていたわけではなかった。



「佐藤さんは、無事に保護されているんだな」

田中は、リーダーに確認した。


「はい。現在、別の安全な場所に移送中です」


田中は、安心の息を吐いた。だが、その安心は、すぐに次の懸念によって塗り替えられた。


「伊藤、投票の状況は」


スマートフォン越しに、伊藤の声が返ってきた。


「まだ、しきい値には達していない。高橋さんの告白の効果と、実行部隊の身柄確保のニュースが、コミュニティ内に広がり始めている。多くの保有者が、『実行担当者が捕まった以上、投票を続けても意味がない』と考えて、離脱している」


「終わったのか」


「まだ、完全には」

伊藤の声には、まだ緊張が残っていた。

「トレンドフォージの残存トークンと、一部の狂信的な保有者が、依然として、エスカレーション側への投票を続けている。しきい値まで、あと僅かなところで、せめぎ合っている」


「狂信的な保有者、というのは」


「投票理由の投稿を見る限り、彼らにとってはもはや、佐藤ひかりという個人がどうなるかは、二の次になっている」

伊藤の声が、微かに震えた。

「システムを止めさせまいとすること自体が、目的化しているように見える。『誰にも止められないシステムこそが、真の正義だ』というような、ゆがんだ理屈で」


「思想そのものが、目的になってしまったということか」

田中はつぶやいた。


「そうかもしれない」

伊藤は言った。

「最初は、悲しみから生まれた仕組みだった。でも、今、それを支持し続けている一部の人間にとっては、もう、誰の悲しみも関係なくなっている。ただ、自分が正しいと信じたものを、誰にも否定されたくないだけだ」


その言葉に、田中の背筋が凍った。


田中は、時計を見た。


残り時間は、十五分。


人間たちの手による、目に見える暴力の連鎖は、ひとまず断ち切られた。だが、コードの中で進行する、もう一つの見えない攻防は、まだ、決着がついていなかった。



田中は、地面に伏せさせられたままの青年たちを、もう一度見下ろした。彼らを憎む気持ちと、彼らもまた、この巨大な仕組みに利用された末端の駒に過ぎないという理解が、田中の中で、複雑に絡み合っていた。


「連れていけ」

田中は、落ち着いて指示を出した。

「丁寧に扱ってやれ。まだ、何も分かっていない子供たちだ」


パトカーに乗せられていく青年たちの後ろ姿を見送りながら、田中は、美咲と共に、捜査本部へと戻る車に乗り込んだ。車内には、しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。


美咲が、ふと窓の外を見ながら、小さくつぶやいた。


「田中さん、今回のことで、闇バイトに手を染める若者が、また増えるんでしょうか」


「増えるだろうな」

田中は、正直に答えた。

「生活が苦しい人間がいる限り、こういう仕組みは、形を変えて何度でも現れる。俺たちにできるのは、一つ一つの事件を、地道に潰していくことだけだ」


「田中さん」

美咲が、沈黙を破るように言った。

「佐藤さんの安全が確保できて、本当に良かったです」


「ああ」

田中はうなずいた。

「だが、まだ終わっていない」



車が捜査本部に近づくにつれ、田中の中で、次の戦いへの緊張が、再び高まっていくのを感じた。


美咲は、車内で目を閉じていた。この数時間の緊張が、ようやく彼女の身体にも重くのしかかり始めているようだった。だが、車が本部の駐車場に入った瞬間、彼女は再び目を開け、いつも通りの表情で、シートベルトを外した。


「行きましょう、田中さん。まだ、終わっていません」


その言葉に、田中は力強くうなずいた。


二人が捜査本部のフロアに足を踏み入れると、そこには、これまでとは違う緊張感が漂っていた。伊藤が、モニターに張り付いたまま、二人の到着に気づいて顔を上げた。


「田中さん、こっちも動きがある。投票の進捗が、せめぎ合い始めている」


田中は、すぐさまモニターの前に駆け寄った。物理的な脅威は排除された。だが、コードの中で進行する、もう一つの戦いは、まだ終わっていなかった。


美咲も、田中に続いてモニターの前に立った。画面に表示された進捗バーは、これまでにないほど激しく、小刻みに揺れ動いていた。その様子は、まるで、何か巨大な生き物が、最後の抵抗を試みているかのようだった。

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