↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンセンサス ―合意という名の絞首台―』  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/30

第十七章 彼女の告白

佐藤ひかりへの接触は、警護担当の女性警察官を通じて、慎重に進められた。


接触に先立ち、田中と美咲は、彼女の専門学校での様子や、アルバイト先での評判について、可能な限り穏便な形で聞き込みを行っていた。担任の教員によれば、彼女は「真面目だが、どこか自分に自信が持てない印象の学生」だという。その評価は、田中がこれから対面する人物像を、より鮮明に浮かび上がらせるものだった。


アルバイト先のカフェの店長からも、似たような証言が得られていた。「いつも一生懸命だけど、どこか自分を責めているような雰囲気がある子」という言葉は、田中の胸に、静かに残った。三年間という時間は、彼女の中に、消えることのない影を落とし続けているようだった。


田中と美咲が、彼女のアルバイト先近くの喫茶店で対面したのは、投票数がしきい値に近づきつつある中での、時間との戦いの最中だった。窓の外には、夕方の柔らかい光が差し込み、店内には穏やかにジャズが流れていた。その穏やかな空気と、田中の胸の内にある緊迫感との落差が、やけに際立って感じられた。


佐藤ひかりは、田中が想像していたよりも、ずっと小柄で、ずっと不安げな表情をしていた。専門学校の制服らしきカーディガンを羽織り、かばんには、動物のキャラクターがプリントされた小さなキーホルダーがついていた。そのあまりにもささやかな日常の気配が、これから話される内容の重さと、あまりにも不釣り合いに感じられた。



警察から「安全に関わる可能性がある」とだけ告げられていた彼女は、席に着くなり、真っ先にこう尋ねた。


「あの……もしかして、審判ライブのことですか」


その一言だけで、田中は彼女がすでに、どこかでこの事件と自分との関連に気づいていることを悟った。


「なぜ、そう思われたんですか」


佐藤は、膝の上で両手を強く握りしめた。指先が、かすかに白くなっていた。


「三年前のこと、ずっと考えてました。高橋さんのこと。……美緒のこと」


彼女は、旧知の間柄であったかのように、美緒の名前を呼んだ。


「あなたと、高橋美緒さんは、友人だったんですか」


「友人、でした」

佐藤の声が震えた。

「小学校からの、ずっと」


佐藤は、かばんの中から、一枚の古びた写真を取り出した。まだあどけなさの残る二人の少女が、笑顔でピースサインをしている写真だった。


「これ、中学の修学旅行の時のです。ずっと、財布の中に入れています。捨てられなくて」


その写真を見つめながら、佐藤は、この三年間の生活を、ぽつりぽつりと語り始めた。事件の後、彼女は転校を余儀なくされ、新しい学校でも、いつしか「あのうわさを流した子」という陰口が広まった。高校卒業後は、地元を離れ、誰も自分を知らない土地で、新しい人生を始めようとした。それでも、ふとした瞬間に、美緒の顔が脳裏をよぎり、夜、眠れなくなることが、今でも度々あるのだという。


「毎年、美緒の命日には、お花を送っています。名前は書かずに。でも、届いているのかどうかも、分かりません」


田中は、その告白を、遮らずに聞いていた。加害者でありながら、同時に、これほど長く自分自身を罰し続けている人間を、田中はこれまで、あまり見たことがなかった。



「では、あの投稿は」


「間違いだったんです」

佐藤は、せきを切ったように話し始めた。

「あの日、コンビニで、美緒に似た子を見かけて、その子が商品をかばんに入れるのを見て……。焦って、深く考えずに投稿しました。『美緒ちゃんが万引きしてるところ見た』って」


「その後、訂正されていますね」


「はい。でも、遅かった」

佐藤の目から、涙がこぼれ始めた。

「翌日には、もう学校中に広まってて。私が訂正しても、誰も見てくれなかった。むしろ、私自身が『うその投稿を最初にした人間』として、たたかれる側になった」


佐藤は、震える声で続けた。


「美緒が亡くなったって聞いた時、私……頭が真っ白になりました。自分のせいだって、ずっと、ずっと思ってます。三年間、毎日、思ってます」


「高橋さんのご家族に、謝罪はされましたか」


「一度、手紙を書きました」

佐藤はうつむいた。

「返事はありませんでした。当然だと思います。私が、美緒を殺したようなものだから」


佐藤は、かばんの持ち手を、強く握りしめた。その手紙に何を書いたのか、田中には想像することしかできなかったが、その一枚の便箋に込められたであろう、痛切な後悔の重さだけは、痛いほど伝わってきた。



その言葉を聞き、田中は首を振った。


「あなたが美緒さんを殺したわけじゃない。デマを拡散し、それを面白がり、検証もせずにさらし続けた、何百人、何千人もの人間がいたはずです。あなたは、その最初の一つのきっかけを作ってしまった。それは事実です。でも、それだけで全ての責任があなたにあるわけじゃない」


「Wait、最初に投稿したのは、私です」


「そうです」

田中はうなずいた。

「だからこそ、あなたは、これまで三年間、その重さを背負い続けてきた。それに比べて――」


田中は、あえて言葉にした。


「あなたの投稿を面白がって拡散した何千人もの人間の中で、いま、あなたと同じように、三年間、その重さを背負い続けている人間が、一体どれだけいると思いますか」


佐藤は、涙を拭いながら、田中を見つめた。その目には、驚きと、かすかな安心が入り混じっていた。誰かにそう言ってもらえたのは、三年間で初めてのことだったのかもしれない。


「刑事さん、私……これから、どうなるんですか」


「今、あなたの名前が、ある危険な集団によって、望ましくない形で狙われています」

田中は、慎重に言葉を選びながら告げた。

「詳細は説明できませんが、あなたの身の安全を守るため、しばらくの間、警護をつけさせてください」


「私、罰を受けるべきなんでしょうか」

佐藤は、震える声で尋ねた。

「もし、その人たちが、私を……裁こうとしているなら、それは……仕方のないことなんでしょうか」


田中は、彼女の目をまっすぐに見た。


「いいえ」

田中は、はっきりと言った。

「あなたが受けるべき罰があるとすれば、それは法の下で、適正な手続きを経て決められるべきものです。誰かの手によって、勝手に、一方的に、視聴者の投げ銭の金額で決められるものでは、絶対にない」


佐藤は、しばらく田中の顔を見つめた後、小さく、しかし確かにうなずいた。そのうなずきには、これまでの不安の中に、わずかながら、前を向こうとする意志がにじんでいるように見えた。



「一つだけ、聞いてもいいですか」

佐藤が、消え入りそうな声で言った。

「もし……もし私が、あの日、投稿する前に、もう少しだけ立ち止まっていたら。美緒は、今も生きていたんでしょうか」


田中は、その問いに、すぐには答えられなかった。答えを持ち合わせていないのではなく、その問い自体が、あまりにも重く、あまりにも根源的だったからだ。


「その問いに、簡単に答えを出せる人間は、誰もいません」

田中は、慎重に言葉を選んだ。

「ただ、その問いを、これからも抱え続けることが、あなたにとって、意味のあることなのかもしれません」


喫茶店を出た後、田中は美咲に向かって言った。


「彼女を、絶対にリストから消させる」


「でも、システムには停止スイッチがないと」


「スイッチがないなら」

田中は、強い決意を込めて言った。

「別のやり方で、システムそのものを機能不全に追い込むしかない」


「具体的には、どうするつもりですか」

美咲が尋ねた。


「まだ分からない」

田中は正直に答えた。

「だが、コードで作られたものなら、コードの外側にある何かで、必ず崩せるはずだ。資金の流れでも、人間関係でも、あるいは、彼ら自身の良心でも」



夕暮れの街を歩きながら、田中は、佐藤ひかりの最後の問い――「もし、もう少しだけ立ち止まっていたら」という言葉を、何度もはんすうしていた。その問いは、彼女だけのものではなく、この事件に関わる全ての人間、そして田中自身にも、等しく突きつけられているもののように思えた。


署に戻る道すがら、美咲がふと口を開いた。


「田中さん、彼女、これからどうなるんでしょうか」


「分からない」

田中は答えた。

「ただ、少なくとも、俺たちが彼女を見捨てることだけは、絶対にない」


その言葉に、美咲は小さくうなずいた。夕暮れの空が、二人の頭上に、静かに暮れなずんでいった。


その夜、警護担当の女性警察官から、佐藤ひかりが自室でひっそりと泣いていたという報告が届いた。恐怖からなのか、それとも、初めて自分の苦しみを理解してもらえたという安心からなのか、報告書だけでは判別がつかなかった。田中は、その報告書を読みながら、彼女がこれから歩む道のりの長さを思い、目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。