第152回:玄奘三蔵と三蔵法師
ミニコラムの続きです。
唐初期は、李靖などの活躍で北方や西域に領土が拡大しました。そして、西域への道が確保されました。
この時代に玄奘三蔵という探求心豊かなお坊さんがいました。余りにも頭がよく優秀だったので若くして中国で学ぶことは無くなります。中国仏教は極めつくして、人に教える立場になっていました。
彼はそのような生活には満足できず「もっと、仏教の真理が知りたい」と思うようになります。仏教の発祥地はインドです。当然、原典となる情報はインドにあります。インドは当時「天竺」と言われていました。
当時の唐の法律では外国への渡航は禁止されていました。特に、西方地域の諸外国とは土地をめぐって争った国もあり、安全とは言えません。西方諸外国を旅する事は危険極まりない事だったようです。
しかし、玄奘三蔵は意を決して、無断でインドへと旅立ちます。
旅の道中は複数の国を超える必要もあり、砂漠越えもありました。苦難続きだったのです。生きて帰れない可能性が高かったのです。
しかし、玄奘三蔵は賢いだけではありませんでした。高潔な人柄でした。そして、語学の天才でした。この為、行く先々の人々に尊敬されます。時には各国の王から気に入られる事もありました。
よって、常人が野垂れ死んでしまうようなルートでも様々な人たちの協力を得ることで踏破する事ができたのです。このような苦難の旅を乗り越え天竺に到着します。現在のインドの事です。
玄奘三蔵は、インドで勉強しまくりました。天才が勉強しまくったのです。ものすごい量の知識を得ます。さらに、現地のお坊さんたちにも「玄奘三蔵!コイツはただ者じゃないぜ!」と思われます。「コイツには仏教の心理を教える価値がある人間だぜ」と思われたのです。
その結果、何百もの貴重な経典を入手する事に成功します。実績をあげた玄奘三蔵は、帰国を決意します。これらの貴重な経典を長安に持ち帰りました。
玄奘三蔵は「私はやっと仏教の原典である経典を手に入れる事ができた。それを持ち帰る事もできた。これで仏教の真理の研究もできるだろう。そうだ!私が持って帰った経典は漢語に翻訳しよう。そして人生に悩める人々を仏教の教えで救う手立てとするのだ。しかし、私は以前、唐を出国するとき無断で出国してしまった。これは法律に背いている。帰って来た故国は私を迎え入れてくれるだろうか。死刑にならないだろうか。念のため、唐の朝廷にお詫びの手紙を書いて帰国を願い出よう」と考えます。
当時の皇帝は太宗李世民でした。皇帝は「無断出国したことはけしからん奴だ。しかし、それを上回る功績がある」と玄奘の業績を高く評価しました。
これにより、16年前の密出国の件について玄奘三蔵が罪に問われることはありませんでした。
玄奘三蔵の苦難続きの旅はやがて伝説になり、本人は三蔵法師と呼ばれるようになります。そして、三蔵法師の苦難の天竺行きのエピソードは「西遊記」という物語となって後世まで伝わっています。
さらに、なぜか、西遊記の物語の中では、「猿の孫悟空」、「豚の猪八戒」、「河童の沙悟浄」などがお供したという設定まで加わります。
そして孫悟空は中国の道教では「斉天大聖」という神様にもなっていますね。
さらに西遊記をモデルにした派生作品も多くあります。昭和の日本では「西遊記」という実写ドラマが大ヒットしています。
主人公の孫悟空は堺正章氏で、玄奘三蔵はなぜか美人女優の夏目雅子さんが演じています。
また、全世界で有名になった週刊少年ジャンプの看板漫画ドラゴンボールも西遊記がベースになっています。主人公の孫悟空は名前をそのままパクッてますね。ちなみに、漫画ドラゴンボールに、玄奘三蔵に対比する人物はいませんが、天才科学者少女のブルマさんが該当するかもと言われています。
なお、玄奘三蔵は孤独にインドに行って、一人で経典を持ち帰って、人知れず翻訳を行った。そして、死後に西遊記で一躍、有名になったというイメージを持つ人もいます。
しかし、それは違います。当時からめちゃくちゃ人気がありました。行く先々で「徳の深いお坊様だ!」と人々に崇められて常に人だかりができたそうです。
更に立ち寄った国々では王様から「我が国に留まって仏教で民を導いてくれ」とかも言われました。国に帰っても皇帝:李世民から「仏僧から還俗して私の家臣になり補佐してくれ」と言われたそうです。これは「お坊さんをやめて、役人になってくれ」と言う意味です。
玄奘三蔵はこれら全てを断りました。「超絶人気者なお坊さん」であり、かつ「お断りのスペシャリスト」だったのですね。帰国してからの玄奘三蔵は、自身が持ち帰った経典を翻訳する事。それに見聞きした事を本にまとめる事をライフワークにしました。
わき目も振らず。全ての仕事をやり遂げた玄奘三蔵は燃え尽きるように亡くなったそうです。62歳の濃厚な生涯でした。




