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第151回:唐建国の元勲2:政治編

ミニコラムの続きです。

とう帝国建国の元勲について前回は軍事面で活躍した人を紹介しました。今回は政治面で活躍した人を紹介します。


房玄齢ぼうげんれい

 科挙かきょつまり、現在でいう所の公務員キャリア試験の合格者です。若い頃から学問にひいでていました。ずい煬帝ようだいの時代に科挙かきょに合格して役人として仕えました。

 しかし、隋末ずいまつの混乱の中で李世民りせいみんに才能を見出され、その幕下ばくかに入りました。

 その後は、太宗:李世民りせいみん謀臣ぼうしんとして玄武門げんぶもんの変において李世民りせいみんの権力奪取を助けました。

 その後は主に政治の分野で活躍しました。「法律や制度を整えるよ」「税金を軽くするよ」「正直な人を大切にするよ」「優秀な人を集めるよ」と言った政策を行いました。

 このような政策により唐初期の治世は「貞観じょうがんの治」と言われて「理想的な政治が行われた時代」と称賛しょうさんされています。

 房玄齢ぼうげんれいはこの「貞観じょうがんの治」の立役者の一人とされています。前王朝であるずいの正史編纂にも関わり、『北斉ほくせい書』の作成にも携わるなど多彩に活躍しています。

 後の世で「優れた政治家のコンビ」を例えるときは必ず「唐の房玄齢と杜如晦は〜」という引き合いに出されたそうです。ちなみに、房玄齢ぼうげんれいの妻は非常に嫉妬深しっとぶかく、太宗:李世民りせいみんが美女を「お妾さんにしないか?」と房玄齢ぼうげんれいに贈ろうとした際、妻はそれを拒否しました。

 李世民りせいみん房玄齢ぼうげんれいの妻の嫉妬深さを知りつつ、彼女の反応を見るために、「それではお妾さんではなく侍女として受け入れたらどうだ?」と提案しました。

 しかし、それでも房玄齢ぼうげんれいの妻は拒否します。あきれた李世民りせいみんは彼女に「ワシの好意を断るとはさすがに気分が悪いな。もし侍女を受け入れないならば、この毒酒を飲むように」と迫りました。

 すると、妻は迷うことなく、毒酒とされた液体を一気に飲み干しました。

 実際には、それは毒酒ではなく、大量のでした。李世民りせいみんは「命を懸けても夫を自分一人のものにしたかったのか。ならばもうあきらめよう」といいました。

 妻の夫への深い愛情と強い意志に感心し、侍女を贈ることを諦めたのです。

 この出来事から、中国語で「吃醋すをのむ」という言葉は、「嫉妬する」という意味で使われるようになりました。


杜如晦とじょかい

 李淵りえんが長安を占拠すると、当時、李世民の参謀役であった房玄齢により見出され、幕下ばくかに加わりました。

 玄武門げんぶもんの変の前、杜如晦とじょかい讒言ざんげんによって秦王府しんおうふを一時的に追われたことがありました。讒言ざんげんとは「言い掛かりによるチクリ」」の事です。秦王府しんおうふとは李世民りせいみんの邸宅の事です。

 つまり、杜如晦とじょかいは、一時期、干されていたのです。

 しかし、李世民りせいみんが、兄の李建成りけんせいや弟の李元吉りげんきつとモメごとを起こします。この時に、杜如晦とじょかい房玄齢ぼうげんれいとともに李世民に助言します。つまり、 「こうなっては、ご兄弟とはいえ殺すしかありません。殿下!ご決断を!」と言って、李世民りせいみんに決断を促したとされています。

 この助言により、李世民りせいみんは、兄の李建成りけんせいと弟の李元吉りげんきつを殺す事を決断します。この暗殺クーデター事件が、後の世に言う「玄武門げんぶもんの変」でした。この事件は、李世民が皇位を継承する上で非常に重要な出来事でした。

 この事件を経て、李世民が即位すると、杜如晦とじょかいは、再び中央政界に復帰し、その才能を発揮しました。彼は房玄齢とともに貞観じょうがんの治を現出させる立役者になったのです。

 彼の相棒ともいえる、房玄齢ぼうげんれいは、杜如晦とじょかいのことを「王佐のおうさのさい」と評し、その才能を高く評価していました。これは、「天子を補佐する才能がめちゃあるんやで」という意味です。

 ちなみに、房玄齢ぼうげんれいが企画力に優れていたのに対して、杜如晦とじょかいは決断力に優れていたと言われています。このため、軍事・政治において、杜如晦とじょかいの決め事には淀みがなかったのです。このため、杜如晦とじょかいは、同僚から「仕事できるヤツだぜ!アイツ」と言われていました。

 杜如晦とじょかいは、さまざまな政策を実現しましたが、専門用語で言うと難解です。杜如晦とじょかいを教頭先生だった事にして例えると、以下のような政策を実現していました。

「こどもたちのクラス分けを上手にした」

「学校のルールをきちんと作った」

「みんなが頑張って作ったものを、ちゃんと分けられるようにした」

「かしこい先生をたくさん呼んだ」

「外国のお友達とも仲良くした」

「校長先生に「それはちょっと違うんじゃないかな?」って、思ったことをちゃんと伝えた」

 杜如晦とじょかいは、このように、太宗の治世の初期をよく支えました。しかし、残念ながら46歳の若さで亡くなっています。


魏徴ぎちょう

 「諫議大夫かんぎたいふ」として有名な文官です。つまり、主君にキツい言葉で諫める(文句を言う)事が仕事の人でした。

 当時は君主への諫言は命がけの行為だったのです。度量の狭い君主を怒らせると殺されますからね。臆せず換言し続けた魏徴も立派ですし、怒らず聞き続けた李世民も立派でした。元々は兄の李建成りけんせいの配下でした。この時も換言を繰り返しており「弟の李世民は危険なので殺すべきです」と言っていたとか。玄武門げんぶもんの変で李建成が殺されると李世民に捕らえられます。

 そこで李世民は「お前はなぜ私と兄上の仲を裂くような助言をしたのか」と問い詰めます。

 しかし、魏徴は胸を張って「それが私の仕事だからです!私の助言を聞いてくださっていれば、貴方は殺されて、兄君は皇帝となられていたでしょう」と答えます。一歩間違えればその場で殺されるような発言です。しかし、魏徴ぎちょうは恐れることなくストレートに発言しました。李世民りせいみん魏徴ぎちょうの度胸に感心して配下に加えました。

 魏徴ぎちょう李世民りせいみんの配下となっても、ビビらず諫言を繰り返したそうです。例えば、李世民りせいみんが、もっと立派な宮殿を建てようとした時、魏徴は以下のように諫言しています。

 「陛下、それはちょっと待ってください! 今は国が豊かになったばかりで、まだ苦しい生活をしている人もたくさんいます。こんな時に大きな建物を建てたら、みんなの負担が増えてしまいます。質素倹約を心がけて、みんなが安心して暮らせるようにするのが先ではないでしょうか?」

 李世民りせいみんが、あることでカンカンに怒って、人を罰しようとした時は。

「陛下、お気持ちは分かりますが、どうか一度冷静になって考えてみてください。感情的に罰してしまうと、後で後悔することもあるかもしれません。本当にその人が悪いのか、もう一度よく調べて、公平に判断してください。」と言っています。

 李世民りせいみんが、狩りなどの遊びに夢中になりすぎた時は。魏徴ぎちょうは、

「陛下、お楽しみは大切ですが、あまりにも遊びに時間を使いすぎると、国の仕事がおろそかになってしまいます。国民は、陛下がきちんと仕事をしてくれることを願っています。少しは遊びを控えて、政治に力を入れてください。」と言ったそうです。

 しまいには、「陛下、普段の顔がムスっとして怖いから気を付けなさい!」とまで言ったとか(笑)


長孫無忌ちょうそんむき

 唐の太宗李世民の正妻である長孫ちょうそん皇后の兄であり、唐朝とうちょう外戚がいせきに当たります。

 玄武門げんぶもんの変では黒幕として事件を主導して李建成りけんせいを殺害し政権を奪取します。他の功臣と違い身内扱いだったため李世民りせいみんからはとりわけ親しみを持って扱われます。扱いの重さたるや李世民りせいみんの臨終にあたって、皇太子の後見と補佐を託されるほどでした。

 李世民りせいみんは普段から臣下に「名君としての顔」を見せ続けなければいけない苦しい立場でした。

 この為、長孫無忌ちょうそんむきには「本当の自分を見せられる数少ない相手」だったのではないかと予測されます。とうの中国統一に貢献してきた功臣24名を凌煙閣二十四功臣りょうえんかくにじゅうよんこうしんといいます。

 長孫無忌ちょうそんむきはこのリストでは筆頭者です。つまり、「唐帝国建国時の最大の功績者」として記録されています。


李孝恭りこうきょう

 え?誰?ってなる人です。初代皇帝:李淵りえん従兄弟いとこにあたる人物です。

 唐の初期、まだ、李世民りせいみんが北方のライバルとバチバチ戦っていた頃、別動隊を率いて大将として中国南方部を平定しています。

 長男の李建成りけんせいは中央の守り、次男の李世民りせいみんは北方の平定を行っていたと考えると、第三勢力として活躍していた李一族の有力者だったのです。

 2大軍師の李靖りせい李勣りせきもこの人物の配下で戦った事があります。その後、唐帝国の大臣としても活躍しました。どちらかというと軍事よりの功績がある人物かも知れません。

 多趣味で派手好きでしたが、他人に対しては謙虚で丁寧に対応しました。この為、人から好かれる人物だったようです。李世民りせいみんからも信頼されましたが、50歳の若さで亡くなります。あまり有名ではないのですが実は凌煙閣二十四功臣りょうえんかくにじゅうよんこうしんの第二位に挙げられている凄い人物です。

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