第6話・みなさま、いろいろと大変ですわね
アランが門前で騒ぎ、セシリアの祖父が槍を持って出ていった翌日の朝――。
グランチェスター侯爵家の玄関に、立派な馬車が止まった。
紋章を見れば、ハルフォード侯爵家のものだとすぐにわかる。
「お嬢様、ハルフォード侯爵がいらっしゃいました」
「まぁ……また来られたのね。ハルフォードのおじ様も大変ね……」
ハルフォード侯爵は、結婚式の翌日もバートン伯爵家の噂を聞いて、謝りに来てくれた。
そしてまた本日訪れたのは、昨日のアランの件かもしれない。
「ハルフォードのおじ様は真面目な性格の方だから……。お体を壊されなければいいのだけれど……」
セシリアはジゼルと共に応接間へ向かった。
すでに父アルバートがハルフォード侯爵を迎え入れており、二人は立ち上がってセシリアを待っていた。
「セシリア嬢、この度は……本当に申し訳なかった」
ハルフォード侯爵は深々と頭を下げた。
その姿勢は、昨日アランが見せたものとは比べ物にならないほど誠実で、重みがあった。
「ハルフォードのおじ様、どうか頭をお上げくださいませ。今回の件は、おじ様の責任ではございませんわ。婚約無効になりましたし、昨日は勘違いしてきた方が我が家に押し掛けただけなのですから」
婚約無効になった時点で、ハルフォード侯爵の責任ではないとセシリアは思っていた。
だが、ハルフォード侯爵はまだ責任を感じているようだった。
「いや……責任はある。私が良い縁だと思い込み、君をあの家へ送り出してしまったからだ。君の父上の信頼を裏切る形になってしまったし、本当に、何と言って君たちに詫びればいいか……」
ハルフォード侯爵の声は震えていて、彼の悔しさと申し訳なさが痛いほど伝わってきた。
「ハルフォードのおじ様、あなたが善意で勧めてくださったことは、わたくしも理解しておりますわ。ただ……ただしばらくは、わたくしは婚約や結婚はしたくありません。ただそれだけですわ」
セシリアがそう言うと、ハルフォード侯爵はようやく顔を上げた。
「……ありがとう、セシリア嬢。君のような優しい娘を、あんな家に嫁がせるべきではなかった。別の家の息子を、紹介すれば良かったよ……。あぁ、でもしばらくの間は、こういう話は控えた方がいいんだね」
「えぇ、そうしていただけるとありがたいですわ」
ちらりとセシリアがアルバートへと視線をむけると、アルバートは頷いた。
アルバートが頷くのを確認したセシリアは、ハルフォード侯爵へと向き直った。
「わたくし、セシリア・グランチェスターは、ハルフォード侯爵の謝罪を正式に受け入れます。ですから、今後は気になさらないでくださいまし」
セシリアがそう言うと、ハルフォード侯爵は胸に手を当て、ありがとう、と言った。
アランがグランチェスター侯爵家の門前で騒ぎ、セシリアの祖父が槍を持って出ていったその頃――。
レインズ男爵家は、静かに、しかし確実に崩壊へ向かっていた。
「お、お父様……どうしましょう……!」
ドロシーは泣き腫らした目で、男爵夫妻にすがりついていた。
アランの結婚式が行われた、つい二日前までの「勝ち誇った笑み」は、今のドロシーのどこにもない。
「どうしましょうって……どうしようもないだろう!」
レインズ男爵は頭を抱え、部屋の中をうろうろと歩き回っている。
「王宮法務局から、グランチェスター侯爵家が我が家に対して慰謝料請求を行ったという通達が届いた……。正式に受理されれば、支払い命令が下されるだろう。それにバートン伯爵家からは、うちが悪いのだからバートン伯爵家へ請求される慰謝料も支払え、と言われている。一体どうしたらいいかっ……」
「どうしてですの! どうしてうちが……グランチェスター侯爵家に、慰謝料を支払わなくてはならないのですか! 悪いのは、バートン伯爵家と、アラン様なのに!」
「だから! お前がアラン様を呼びつけたからだろうが! しかも初夜にまで!」
レインズ男爵は、娘を怒鳴りつけた。
こんなことになるのなら、あの夜だけは、ドロシーに呼ばれてのこのことやってきたアランを追い返したのに、と思う。
「わ、わたくしはただ……アラン様が来てくださると思って……! だって、アラン様のこと、諦めきれなかったからっ……」
「ドロシー……」
ドロシーは泣き崩れ、娘に寄り添う男爵夫人も青ざめている。
男爵夫人は娘の背中を優しく撫でながら、口を開く。
「あなた……社交界でも噂になっているらしいの……」
「どんな噂だ」
「レインズ男爵家は、娘を使ってバートン家のご子息を誘惑した、とか……。他には、娘がアラン様を脅して呼びつけたとか、レインズ男爵家が花嫁を追い出すために動いたとか……」
「全部、事実じゃないか! だが、どうしてそれが社交界で広がっているんだ!」
「お、お父様っ! わたくしはそんなつもりじゃ……」
「ではどんなつもりだったんだ! お前がアラン様を呼んだのが原因で、こんなことになっているんだぞ!」
「そ、それを言うなら、お父様だって、お母様だって、わたくしにアラン様を逃がすなって言ったじゃない!」
ドロシーに言われたことは、確かにレインズ男爵夫妻が口にしたことだった。
ドロシーはまだなんとかなると思っているようで、レインズ男爵に「何とかしてよ」と泣き叫ぶが、男爵はそれどころではない。
「バートン家はもう終わりだ。うちも……バートン家の巻き添えで終わる……!」
レインズ男爵がそう言うと、男爵夫人が震える声で言った。
「ど、どうにか……どうにかセシリア様に謝罪をして、怒りを治めてもらえないかしら……」
「謝罪で済むか! あの家は侯爵家だぞ! しかもグランチェスター侯爵は激怒しているんだ! その結果がうちにまで行われた慰謝料請求だ! ここまでするからには、娘に謝罪して許してもらえるはずがない!」
「もうどうしようもないのね……」
絶望し、男爵夫人は顔を覆って泣いた。
「そうだわ……しばらくの間は大変かもしれないけれど、わたくしたち家族とアラン様の家族で、やり直せばいいのよ! こうなったからには、アラン様は……わたくしを選んでくださるわ! だって……わたくしのために、あの女との初夜をすっぽかして、駆けつけてくださったのよ!」
現実を理解していないドロシーの言葉に、レインズ男爵は顔を覆った。
「馬鹿を言うな……。アラン様は今頃、グランチェスター侯爵家で土下座しているだろうよ……。そうでなければ、バートン伯爵家が生き残る道はないからな。お前のことなんか、もう頭にないさ……」
「そんなっ……そんなはずありませんわ……!」
ドロシーは泣き叫んだが、それは事実だった。
ドロシーの声を聞きながら、男爵は震える手で机を叩く。
「こうなったら、やれることをやるしかない……! 何か……何か手を打たねば……!」
「て、手……? あなた、何か、あるの?」
男爵夫人の目に、一瞬希望が浮かぶ。
夫人は縋るように夫を見つめた。
「セシリア嬢さえいなければ……! あの娘がいなければ、アラン様はうちのドロシーを……!」
「あなた……?」
「お父様……?」
レインズ男爵の目が、狂気じみた光を帯びていた。
「慰謝料を支払うだけの金は、ない。だが……金で動く連中ならいる……!」
「だ、旦那様!? まさか……!」
黙って話を聞いていたレインズ男爵家の執事が、主人の考えを止めようとする。
「黙っていろ! このままではうちは破滅なんだ! だから何か……何か手を打たねばならんのだ……!」
男爵夫人とドロシーは、蒼白になり震えながらレインズ男爵を見つめた。
レインズ男爵家は、完全に追い詰められていた。
そして、この追い詰められた焦りが、後にとんでもない事態を引き起こすことになるのだ――。




