第4話・どうしてこんなことにとおっしゃいましても
アルバートとセシリアが去った後のバートン伯爵家は、まるで嵐が通り過ぎた後のように静まり返っていた。
誰も口を開かない……いや、誰も何かを発する勇気がないのだ。
伯爵は椅子に腰を下ろしたまま、虚ろな目で一点を見つめていた。
バートン伯爵夫人は床に崩れ落ちたまま、震える手で口元を押さえ俯いている。
前バートン伯爵は、先ほどまでの威勢などどこにもなく、床に座り込んで老人のように小さく縮こまり、前バートン伯爵夫人は彼の傍らに座り込み、俯いていた。
「……ど、どうすれば……」
伯爵夫人がかすれた声で呟いたが、誰も答えられなかった。
そんな中、唯一まともに動くことができたのは、執事だけだった。
彼は深く息を吸い、震える声で伯爵へと進言する。
「……まずは、アラン様の所在を、確認すべきかと存じます。このままでは、バートン伯爵家としての説明がつきませんし」
バートン伯爵はゆっくりと顔を上げ、弱々しく頷いた。
「あぁ、頼む……。アランがどこにいるのか……確かめてくれ……」
「かしこまりました……」
執事は深く礼をして、レインズ男爵家へと馬車を走らせた。
その頃、レインズ男爵家の応接間では、何も知らないアランがドロシーと会っていた。
「アラン様っ! 本当に、来てくださったのですね!」
ドロシーは歓喜のあまり、アランへと駆け寄ると、彼に抱き着いた。
「わたくし、もうアラン様に会えないかと思いました……だけどわたくしのために、来てくださいました……わたくし……わたくし……」
ドロシーはアランを見上げ、涙を浮かべた。
アランはそんな彼女を優しく抱き寄せて、
「君が無事で良かったよ。連絡を受けて、心臓が止まるかと思ったよ」
と言う。
アランのその言葉を聞いて、ドロシーは彼を呼ぶための手紙に、
『アラン様に会えなくなるのなら、わたくしは命を絶ちます』
と書いたことを思い出した。
もちろん全くそんなことを思ってはいないのだが、アランはそれを信じたのか、ドロシーの元へと来てくれた。
それも、新婚初夜に花嫁を放置して、だ。
やはりアランの気持ちは自分にあるのだろうと、ドロシーは彼に気づかれないように、ニヤリと笑う。
自分は、あのグランチェスター侯爵家の娘に勝ったのだ!
「あぁ、ドロシー、どうか命を絶つなどと、言わないでおくれ」
「アラン様……あなたがそばにいてくだされば、そんなことは言いませんわ!」
涙を浮かべながら、ドロシーはアランを見つめ、言った。
アランは一瞬戸惑ったものの、「この女は自分がいなければ生きていけないくらい自分を愛しているのだ」と思ったのだろう、
「ドロシー、仕方がない子だな……」
と言って、彼女を抱きしめ額に口づけた。
「アラン様、ようこそおいでくださいました。今夜はドロシーと、ゆっくりお過ごしください」
レインズ男爵夫妻は、新婚初夜に花嫁を放って自分の娘の元に駆けつけたアランを見て、まだバートン伯爵家との縁は切れていないと確信した。
アランとグランチェスター侯爵家の娘が離婚でもすれば、今度こそ愛娘であるドロシーをバートン伯爵家へ嫁がせることができるだろうと、ほくそ笑む。
「まるで、ドロシーが花嫁の新婚初夜のようですな」
レインズ男爵がそう言うと、アランもドロシーも互いの顔を見合わせて、照れたように笑った。
そんな中、バートン家の執事が息を切らしてレインズ男爵家へと到着した。
バートン家の執事は応接室へ通されるやいなや、アランに掴みかかる勢いで詰め寄った。
「ア、アラン様……! た、大変でございます!」
アランは不機嫌そうに、執事を振り払おうとする。
「……何だよ、こんな時間に他家を訪れるなんて、非常識だろう。僕に恥をかかせるなよ」
「非常識は、アラン様でございます! アラン様が花嫁を放置してこちらに足を運ばれたことで、バートン伯爵家は大変なことになっているのです!」
執事は震える声で報告を始めた。
「今回のことは全てグランチェスター侯爵家の知ることとなり、グランチェスター侯爵がセシリア様を迎えに来られました。グランチェスター侯爵は新婚初夜に花嫁を放って他の女性の元へ向かわれたアラン様に、たいそうお怒りになり……」
「は? どういうことだ? どうしてグランチェスター侯爵に、僕がドロシーの元へ来たことが伝わっているんだ!」
アランはわけがわからず、執事に聞き返した。
ドロシーたちレインズ男爵家の面々も、驚き顔を見合わせる。
「セシリア様が、通信ができる魔道具をお持ちだったようで、全てをグランチェスター侯爵へお伝えになったのでございます! そして、他の様々な事柄もあり、当家はグランチェスター侯爵の怒りを買ってしまったのです。今回の婚姻は、婚姻無効となる可能性がございます……! さらに、グランチェスター侯爵家からの援助は即刻打ち切り…… 慰謝料の請求もされると……慰謝料の請求は伯爵家だけでなく、レインズ男爵家にも及ぶ可能性が……!」
「えっ……?」
アラン、ドロシー、レインズ男爵夫妻は、全員が同時に固まった。
「ど、どうして……うちにまで慰謝料の請求がくることになっているんだ?」
震える声レインズ男爵が言った。
つい先程まで、アランがグランチェスター侯爵の娘と離婚になればいいのに、そうすればドロシーがアランと結婚できるのにと浮かれていたのに、天国から地獄へと一気に突き落とされたようだった。
「婚姻無効とは、どういうこと? 離婚ならわかるけれど……」
レインズ男爵夫人が呟く。その呟きに、バートン伯爵家の執事は首を振った。
「婚姻無効でございますので、離婚ではございません。つまり……アラン様は最初から結婚していなかったという扱いになるのですが、しかし初夜放置の責任は消えませんので……とにかく、グランチェスター侯爵のお怒りはかなりなものですので、慰謝料がどのくらいになるか……。アラン様、とにかく伯爵家へお戻りください!」
「わ、わかった!」
アランは真っ青になりながら、執事と共にレインズ男爵家を後にした。
噂というものは広がるのはあっという間で、翌日の昼頃には、『バートン伯爵家による、初夜の花嫁放置事件』は社交界に広がっていた。
「お聞きになりました? バートン伯爵家のご子息、初夜に花嫁を放置したらしいですわ」
「えぇ、耳にしましたわ。しかも元婚約者のところへ走ったんですって! 花嫁のご実家は、とてもお怒りになっているとか」
「花嫁のご実家って、グランチェスター侯爵家ですわよね?」
「バートン伯爵家のご子息、花嫁が自分を金で買ったって噂をしていたらしいですわ! わたくしたち、伯爵家の援助のための婚姻と聞いていましたのに、よくそんなことが言えたものですわね」
「それに、前伯爵が、花嫁に手を伸ばしたとか……!」
「まぁ、なんてこと! 花嫁はご無事なの?」
「えぇ、すぐに侯爵様がお迎えに行かれたようで、ご無事ということですわ。そして……前伯爵のなさりようは、許されるものではありません」
「バートン伯爵家に対するグランチェスター侯爵家の援助は、打ち切りにされるらしいです」
「今回の婚姻も、無効になるかもしれないらしいですわ」
どの家でも、どのサロンでも、話題はバートン家一色となっていた。
貴族夫人たちは口々に言う。
「花嫁であるセシリア様は、何も悪くないわ」
「バートン伯爵家は、もう終わりね」
「レインズ男爵家も、一緒に終わりになるでしょうね」
「アラン様? もう社交界に出られないでしょうね。自業自得だわ」
バートン家の屋敷前には噂を聞きつけた見物人が集まり、バートン伯爵家の面々だけでなく、使用人ですら外に出ることができなかった。
その一方で――セシリアは実家でのんびりとお茶を飲みながら、ジゼルから社交界で広がる噂についての報告を受けていた。
「まぁ、もうそんなに噂が広がっているの? わたくし、恥ずかしいですわ」
「大丈夫です。お嬢様が悪いわけではありません。全てあの伯爵家の落ち度ですから」
父であるアルバートからは、何も心配することはないからのんびりしていなさいと、セシリアは言われていた。
「噂を聞きつけて、朝一でハルフォード侯爵が、旦那様に謝罪にこられました」
「まぁ、そうなのね」
今回の婚姻を勧めてきたハルフォード侯爵には、社交界で広がる噂は頭の痛い話だろう。
だけどすぐに謝罪に来たことを考えると、やはりハルフォード侯爵は善意から今回の婚姻を勧めたのだとわかる。
その善意を踏みにじられた今は、バートン伯爵家に対する怒りは相当なものだろう。
「ハルフォードのおじ様には同情いたしますわ」
そう呟きながら、セシリアはこの数週間の慌ただしさを思い返していた。
昨日の結婚式までの忙しい日々を思い出すと、ため息をつかずにはいられない。
「この数週間の時間が、全て無駄になってしまったということよね……わたくしの貴重な時間を返していただきたいですわ」
セシリアが呟くと、はい、とジゼルが頷いた。




