第47話 ぱくっ
それから俺は、毎日のように逆巻とトレーニングを続けた。
最初は2キロ走るだけで限界だったけど、少しずつ走れる距離も増えて、筋トレの回数も増えてきた。
「だぁ~つっかれたぁ~!」
ボロボロになりながら家に帰りソファに転がると、額にひんやりとした感触。
見ると、要が心配するような顔で俺を見下ろし、濡れたタオルを俺の額に当てていた。
「素直、大丈夫? 無理してない?」
「んん~……キツいけど、まあ、なんとか」
「どこか治そうか? 俺の力なら、筋肉痛を和らげることもできるよ」
要の手のひらが俺の腹をゆっくり撫でる。俺は首を横に振った。
「いや、いいよ。これも成長の証だからな。要だって、こういうの乗り越えて強くなったんだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「俺だって戦えるようになりたいよ。そのために、こんくらい乗り越える。要にばっかり負担かけんの、嫌だし」
「……そっか。じゃあ俺、素直のこと、応援してるね」
そう口にしつつも、要の表情はどこか浮かない。俺はソファに寝転んだまま、両手を広げた。
「素直?」
「こいよ要。今日の分のハグ、しよーぜ」
「……うん」
要は表情を緩め、俺の腕の中に身体を収める。
お互い抱き合い、近い距離で見つめ合う。
「キスも、していい?」
「いーよ」
許可を出すと、要が口元を綻ばせる。
そして俺の頬を撫で、触れるだけのキスをしてきた。
そして、一週間後。
「ふん……まあ、こんくらいならええやろ」
膝に手をつき、ぜえぜえと息をする俺を、逆巻が腕を組んで見下ろす。
「ランニング5キロ、腹筋50回、スクワット50回、腕立て50回、まあ及第点ってとこやな」
「はぁ、はぁ……こんだけ頑張って……やっと半分かよ」
「ほな、もう一回実戦やってみるか」
「え?」
「神宮寺」
名前を呼ぶと、要がいつも通り、タオルとスポーツドリンクを手にこちらに来る。
「一旦休憩してからド突き合いするけど、ええよな?」
「……素直に危害を加えなければ」
「あ~はいはい言い方が悪かったな。能力の特訓な、とっくん!」
「ほら空木、こい」
「お、おう……」
「だぁ~っ……ぜんっぜん無理じゃねーか!」
ぜえぜえと息を切らしながらその場に倒れ込む。
逆巻は俺を見下ろし、「なにへばっとんねん。さっさと掛かってこいや」と呆れ顔で言った。
30分、あの手この手で逆巻に殴りかかろうとした。だけど、触れることすらできない。
あと一歩というところで、スッと避けられる。全く進歩しない。
「体力はついとるな。それに動きも前より断然ようなっとる。空木、お前、俺に掛かってくる時、何を意識して来とるんや」
「なにってそりゃ……逆巻に一発当てようっていう強い意志?」
「アホか。そんなぼや~っとしたモンで当てられるんやったら訓練なんかいらんわ」
呆れた声にムッとしながら起き上がる。
「じゃあどーすりゃいいんだよ」
「空木はな、相手の動きを見るってことが圧倒的に足りてへん。今のお前はなりふり構わず拳振り回しとるだけ。んなモン何千回繰り返したって俺に一発見舞うことなんかでけへんで。それにな──」
逆巻が俺の手を取る。そして俺の手を、自分の胸にそっと添えた。
「お前は相手を殴る必要なんかないんや。触れるだけでええ。能力自体が強いからな。指先一つでも届いたら、それで勝てる」
「触れるだけで……勝てる?」
「まずは相手の動きをしっかり見て、次どう動くかを予測する。いきなり殴りつけようとすんな。どんな手段使ってもええ、とりあえず、俺に触れてみい」
それから俺は、逆巻に言われたことを意識しつつ動いた。
正面から、背後から、角度を変えたりしながら、何度も、何度も。
すると、何となくだけど次の動きが予測できるようになってきた。
そしてついに──。
「っ!」
伸ばした指、爪の先が──逆巻の服をかすめた。
「やった!」
思わず声を上げると、逆巻も身を翻しながらにやりと笑った。
「その調子や空木っ!」
「おうっ!」
コツが掴めてからは早かった。
動き回る逆巻を目でしっかり捉えることに集中しつつ、「ここだ」と思ったところで手を突き出す。
それを繰り返して、俺はついに逆巻にタッチすることに成功した。
「よっしゃ!」
「第2段階クリアってとこやな。やるやん空木。とりあえず……今日はこの辺にしとくか?」
「へあ?」
ずしゃあ。
膝の力が抜けて、その場に前のめりに倒れ込む。
やばい、身体が……ぴくりとも動かない……。
「素直っ!」
「全部使い切ったんやろなぁ。大方、能力まで体力に変換しとったんやろ。しばらく動けへんでこれ」
「大丈夫!? すなおっ!」
要が駆け寄ってきて俺を抱き上げる。
「んあ~……まあ、だいじょぶ」
「全然大丈夫じゃないでしょ。俺の力……少し分けるね」
「え、ちょ──」
止める間もなく顔が近づいてきて、唇が重なる。ぬるい舌が口の中に入ってきた。
「はぁっ!? おっおまえら何やねん急に!?」
視界の端で、逆巻が慌てた声を上げて両目を覆う。
要は構わず俺の頭を手で支えて、深いキスをしてくる。
舌とともに唾液が口の中に流れ込んでくる。すると倦怠感が引いて、ようやく身体を動かせるようになった。
「あ、あんなぁ~……せめて隠れてやってくれへんか? ダチ同士がキスしてるのなんて見たないわ~」
逆巻は「げぇ~」と舌を出して首に手をやる。要がそれを睨んだ。
「仕方ないだろ、これは必要なことなんだ。いい加減お前が慣れろよ、逆巻」
「慣れろってなぁ~」
「もしかしてしたことないのか? キス」
逆巻の顔が、ぼっと音が成りそうなくらいに真っ赤になった。
「はっ……はぁ~!?!? あっあるわ! キスくらい! そりゃもう……数え切れんくらいな!?」
「じゃあいいだろ。見たって減るもんじゃないし」
「言うてることめちゃくちゃやぞお前……」
はぁ~と逆巻がため息をつく。
「まあええわ。空木も動けるようなったわけやし。とりま今日は帰るか」
「そうだな……帰ろ、素直」
「おわっ!?」
突然横抱きにされる。俺は慌てて要を見上げ、抗議した。
「ちょっかなめ! 俺歩けるって!」
「無理しないほうがいいよ。もしかしたら体内にダメージが残ってるかもしれないし。俺も見えない部分は言ってもらわないと治せないからさ」
「そーやそーや。ここ一週間割と無理させてもーたからな。今日は風呂でも入ってゆっくり休みや」
「んん~……わかったよ。じゃあ要、家まで運ぶのよろしくな」
「へへ、合点承知」
工場の外に出ると、すっかり夜だった。どうやら相当長い間訓練してたみたいだ。そりゃ体力も尽きるか。
「そーいや今日空木の担任に話しかけられたで! 『今度空木の家でゲーム大会しよーぜ』って」
「高槻先生が? うわ~あの人なら言いそ~」
「あのちびこい先生おもろくて好きやわ~。俺センコーにはええ思い出ないからなぁ~……次の担任は高槻センセーがええわ。アイス奢ってくれるし」
「給料日前になったら逆にタカってくるよ、あの人。色々世話になってるから仕方なく奢ってあげるけどさ」
要がぽつりと言うと、逆巻は「先生が生徒に!?」と驚いた声を上げる。
三人で談笑しながら歩いている。その時だった。
バチン!
何かが弾ける音がして、影が迫ってくる。
見上げると、工場の入口に立て掛けてあったはずの鉄骨が、バラバラとこちらに倒れ込んできていた。
「逆巻っ!」
要が俺を抱えたまま叫ぶ。
すると逆巻は「おう!」と返してバットを出現させ、倒れてくる目掛けて構えた。
しかし──。
ぴたりと、そのまま逆巻の動きが止まる。
「何やってんだ逆巻!」
「動けへん。身体が……びくともせん」
「なに!? ……っ!」
要が焦ったように声を上げ、逃げようと身を捩る。
だけど、まるで地に縫い付けられたみたいに、要も動きを止めてしまった。
それは俺も同じだ。手も足も、首の角度を変えることすらできない。
ガラガラ。
身動きの取れない俺達の頭上に、鉄骨が迫る。
もうダメだと目を閉じた。その時だった。
「ぱくっ」
どこかから声がする。そして次の瞬間。
俺達の頭上スレスレに迫っていた鉄骨が、バクンと音を立てて消失した。
唖然としたまま、身体が突然動くようになる。
俺達三人は、声のした方を見た。
「よかったぁ~。なんとか間に合ったみたいだね~」
鈴の音のように高らかで透き通る声が呑気にそう告げる。
コツ、という革靴の音と共に、街灯の下にその姿が現れる。
まるで自らが発光しているような、艷やかで長い金髪。見慣れない制服。華やかな顔立ち。
長いネイルで彩られた左手は、何かをつまむように指先を合わせている。
「こんばんは。はじめましてだねっ」
見たこともないような綺麗なギャルが、俺達ににこりと微笑みかけた。
本作は【火・木・土】更新予定です。
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