第41話 調月湊
「ねえあなた、湊がまた百点とったのよ~」
「湊、その調子で頑張りなさい! お父さんもお母さんも、湊には期待してるんだぞ!」
「ありがとな調月。お前のおかげで先生助かったよ。これからもよろしくな?」
「おーい早く来いってみなと~! みんな待ってるぜ! お前がいなきゃ、はじまんねえんだからさっ!」
「湊くんって本当に優しいね? ……実は私ね、湊くんのことが──」
誰も彼もが、みんな僕を求める。
物心ついた頃からそうだった。
「みなとっ!」「調月!」「みなとくん!」
僕はそれに、いつだって、笑顔で答える。
そうしたら、みんなが喜ぶから。
そうしておけば、誰もが僕を認めてくれるから。
そうする以外に、どうすればいいか分からないから。
みんなが僕を求める理由も、ちゃんと分かってた。
僕が便利だから。
僕が──みんなにとって都合がいいからだ。
これはなんだ?
俺じゃない気持ちが、流れ込んでくる。
それにあの子は──。
たくさんの人に囲まれている少年。
栗色の癖毛、やわらかい印象を与える糸目。完璧な笑顔。
だけどその拳は、震えるほど強く握りしめられていた。
ああ、そうか。
これは湊さんの記憶だ。
俺がずっと知りたかった──本当の湊さんだ。
父はエリート銀行員。母はミス東大の美女。
そんな二人の間に、僕は一人っ子として生まれた。
二人とも誰がどう見ても申し分ない良き父、良き母として、愛情とお金を掛けて僕を育ててくれた。
習い事も沢山させてくれたし、休みになれば色々な場所へと連れてってくれた。
僕は二人が大好きだった。だから期待に応えたかった。
転んだってすぐに泣き止んだ。欲しいものがあっても、ねだらなかった。
泣きわめいて困らせるなんて、そんなみっともないことしたくなかった。
本当はもっと甘えたかったけど、なんとなく、上手くできなかった。
「だっこして」ってねだるより、我慢するほうが簡単なことのように思えた。
だから僕は言わなかった。
父さんも母さんも、頑張ってる僕を抱きしめてくれた。褒めてくれた。
それだけで十分幸せだって、そう思うことにした。
学校では周囲がやりたがらない委員を進んで引き受けたし、困っている子がいれば、率先して声をかけた。
勉強もスポーツも、常にトップの成績だった。
そういうことを続けていると、周囲が僕を好意的に見てくれた。
どこにいたって人に囲まれたし、女の子に告白されたり、先生に気に入ってもらえたりもした。
あっという間に、僕は誰もが認める人気者になった。
居心地が良かった。
僕はここにいてもいいんだ。みんなに必要とされてるんだって、嬉しくなった。
だから僕はもっと頑張った。常に人の目を意識するようになった。立ち振舞い、言葉遣い、見た目にも気を使った。
頑張れば頑張るだけ、みんなが僕を褒めて、好きになって、求めてくれた。
だけど、いつか人は慣れてしまうものだ。
だんだん足りなくなってきた。もっと誰かに褒められたかった。求められたかった。
勉強も習い事も運動も、もちろん人に親切にすることだって常に頑張っていた。
だからだろうか。
いつもテストで0点取ってるお調子者が人に囲まれていたり、孤立しているけど勉強が突き抜けてできるような奴を見ると、胸の奥に、チリチリと嫌な気持ちが燃えるようになった。
勉強も運動も習い事もそうだ。
僕は一生懸命頑張ってるのに。たまに一番になれない時があった。
他の誰かが称賛されているのを見るのが嫌だった。
自分の上に誰かがいるのが、耐えられなかった。悔しかった。腹がたった。
僕の方があいつらよりずっと努力しているはずだ。なのにどうしてお前なんかが。
そんな気持ちが消えなくて、そんな自分が嫌になって、僕は悔しくて、枕に顔を押し付けて泣いた。
それから僕はもっと頑張った。
とにかく誰にも負けたくなかった。睡眠時間を削ってでも努力した。
そうやって死に物狂いでやっていると、誰にも負けなくなった。
僕の周りには常に人がいた。誰からも称賛されるようになった。
みんなの憧れの女の子とも、簡単に付き合えた。
だけど、大きな弊害が現れてしまった。
「湊くんってさ、何が好きなの?」
ある日、付き合ってた子に聞かれた。
僕はその、簡単なはずの質問に答えられなかった。
というより、何も思いつかなかったのだ。
「ん~……焼肉かな?」
僕は嘘をついた。
ショックだった。
今までずっと、僕は嘘をついてきたんだと、その時初めて気づいてしまった。
僕は自分の好きなものが、分からない。
自分の本音が、分からなくなってしまっていた。
中学生になる頃には、僕は毎日トイレで吐くようになっていた。
常に胃が痛くて、喉の奥に何かが詰まってる感じがして、『僕は何のために生きてるんだろう』なんて、そんな考えが、次第に頭を占めるようになっていった。
みんなが求める理想像を演じて。期待に応えて。その先に、一体何があるんだろうか。
自由気ままに振る舞っている僕以外のみんなが、羨ましくて仕方なかった。
だけど僕は、それを絶対に表に出さなかった。
出してしまえば、今まで築き上げてきた『僕』がすべて崩れてしまうから。
そんなの、耐えられなかったから。
だから僕はどんな時でも笑顔でいた。
本音が零れないように、口の端を綺麗に吊り上げて、本当の気持ちを悟られないように、目を三日月みたいに細めて過ごした。
だけどある日、ついに限界が来た。
高校生になった頃だった。
シャーペンが必要になった僕は、文房具店に来ていた。
シャーペンを眺めていると、突然耳をつんざくような泣き声が聞こえた。
振り返る。小学一年生くらいの子どもが、床に転がって泣いていた。
「やだやだやだっ! 買ってくれなきゃやだぁ~っ!」
大きな声で喚いている。その手には、キラキラした装飾が施してあるボールペンが握りしめられていた。
母親らしき人が、そんな子どもを見下ろしている。表情は険しかった。
きっと怒鳴りつけて引きずっていくだろう。そう思って見ていた。
すると──。
「もう、しょうがないわね。そんなに欲しいの? 買ってあげるから、レジ行こ?」
母親は困ったように笑って、子供の手を引いて、レジへと向かったのだ。
僕はそれを、信じられない顔で見届けた。
世界がひっくり返ったような衝撃が、僕という存在を強く揺らした。
それと同時に、今まで抑え込んできたはずの強い怒りが、ふつふつと湧きあがり、手にしたシャーペンが、みしりと音を立てた。
「なんだよ、それ」
思わず言葉が漏れる。
処理しきれない感情とともにどろどろと胸の奥で渦巻いて、叫び出したい気持ちでいっぱいになった。
そんな事が、そんなワガママが、許されていいのか?
だったら僕の今までは何だったんだ?
なあ、誰か教えてくれよ。
本当は僕だって……僕だって──!
周囲を見回す。ここは監視カメラの死角で、店員もこちらを見ていない。
僕は手にしたシャーペンをそのままポケットに突っ込み、店を出た。
何喰わぬ顔で自動扉を抜けて、歩く。
早足で歩く。次第に足が早まり、気付けば僕は、走っていた。
「っ……あははっ!」
喉の奥に詰まっていたものを吐き出すように、僕は笑った。
気分がありえないくらいに高揚して、僕は思わず声を上げて笑った。
今まで感じたことないほどの清々しい気分だった。世界の全てが自分の物になったような、今までの全てから解放されたような、そんな気分で胸がいっぱいになった。
僕はついに選んだんだ。生まれて初めて、自分の意志で、自分のためだけにっ!
それから僕は、万引きを繰り返した。
いつも両親と行くスーパー、ショッピングモール、果ては全く興味のない釣具店。
楽しかった。目の前がキラキラと光って見えた。
普段のクソッタレな日常も、いくらでも耐えることができた。
僕にとってそれが、人生で初めて見つけた自分のやりたいことだった。
それから盗む能力に目覚めるまで、そう時間は掛からなかった。
能力に目覚めてからは、よりいっそう大胆に、僕は万引きを繰り返した。
たまに他県にも遠征したりした。まるで旅行に行くような気分だった。
当時を思い返しても、ワクワクしていたのを覚えている。
盗んだものはいつも、その辺のゴミ箱に捨てていた。
どれだけ高価な物だとしても、捨てることを惜しいとは思わなかった。
『盗む事』が目的で、『物を盗むこと』が目的じゃなかったからだ。
結局誰にも万引きがバレることなく大学まで無事に卒業して、僕は営業職についた。
中高生向け教材の訪問営業だ。
色々な家庭を回った。色々な家族を見た。
没交渉の親子、過保護な親とそれを鬱陶しがる子ども、それと、ワガママばかり言っている子どもを無条件に愛している親。
辟易しながらも、僕は笑顔を貼り付け、契約を勝ち取った。
エデンにスカウトされたのは、ちょうどその頃だった。
中高生の心臓を盗んでこいというエデンの命令を受けた僕は、ターゲットを絞ることにした。
親にわがまま放題言って無条件で受け入れられてきた、無邪気で警戒心の薄い、馬鹿な子ども。
僕の見立ては正解だった。本当に簡単だった。
少し甘い言葉と誘いをかければ、無邪気についてきた。
そんな子供たちを、人気のない場所へと車で連れて行って、僕は自分の任務を遂行した。
罪悪感など微塵も感じなかった。
万引きしてる時の感覚と、何ら変わらなかった。
きっと、僕は生まれながらの悪い人間だったんだろう。
向いていたのだ。殺人鬼に。
自分の手を見る。
血なんてついてないのに、汚れて見えた。
それにひどく安心して、思わず笑みが零れた。
「……ちがう、」
突然背後から声がして、振り返る。
そこには知らない少年が立っていた。
ぼろぼろと涙を零して、しゃくりあげながら僕を見上げている。
「……がう……違う……湊さん、みなとさんは、ほんとは──」
急に眩しくなる。僕は手のひらで顔を覆う。
世界が、がらがらと音を立てて崩れていった。




