第38話 友達になってください
「かな……め?」
震える声が問いかける。だが倒れた要はぴくりとも動かない。
唇が、微かに動いた。
「すな、お……にげろ、はやく、」
「しずかに」
湊の指先が、要の喉元にそっと触れる。
「っ……」
要の喉が痙攣するように震える。それきり、声は途絶えた。
「よし、これで準備万端……素直くん。やっと二人っきりになれたね?」
顔を上げた湊は、心底嬉しそうに糸目を細めた。
素直は要に向けていた目を、湊へと戻す。
「湊さん……なんで、こんなこと」
「怖がらせちゃったかな? ごめんね素直くん。でも大丈夫。要くんはまだ生きてるよ。向こうで寝てる君のお友達もね? さっさと殺しちゃっても良かったんだけど……素直くんの死ぬところ、二人に見せてあげたくてさ」
湊の視線が、歯噛みしながら見上げる要と、草むらに倒れてこちらを睨んでいる逆巻を見る。
素直は言葉を失ったまま、呆然と湊を見た。
「そんなことより、さ」
湊は視線を合わせるようにしゃがみ込み、素直の頬へと手を伸ばす。
素直は反射的に目をつむった。指先が頬に触れた瞬間、びくりと身を固くする。
しかしその指先は、頬を優しく滑るだけだった。
「どうする素直くん? このまま楽に殺してあげよっか? 大丈夫だよ。痛みなんか感じる暇もないくらい……一瞬で盗んであげるから」
頬を滑った手がするすると下がり、心臓の位置を探るように、胸元を撫でる。
素直は小さく肩を震わせ、恐怖で引きつった喉から声を絞り出した。
「全部、全部嘘だったんですか……俺に言ってくれたこと。優しくしてくれたことも」
「あはは。当たり前でしょ? 僕は君みたいな人を疑う知能すらないバカなガキが、この世で1番嫌いなんだから」
爽やかな笑みを浮かべながら湊は言う。素直は愕然としたように項垂れた。
湊は満足したように息をついて、ナイフをジャケットから取り出す。
素直の頬に、鈍く光る銀色がひたひたと押し当てられた。
「素直くん。君はまだ何も知らないだろうから教えてあげるよ。人は見返りなしに何かを与えたりなんかしない。何かを差し出す時は、それ相応の何かを相手から奪おうと考えてるんだ。君の友達……そこに転がってる要くんも、きっと君から何かを得たくて、必死で藻掻いてるんだと思うよ」
湊が横目で要を見る。素直は湊をじっと見つめたままだった。
「このクソッタレな世界を上手く生き抜くためにはね。人を信じるなんて、一番やっちゃいけないことなんだよ。素直くん、君の死因はね。バカ正直に僕を信じたことなんだ」
素直の瞳が、ショックを受けたように見開かれる。
薄い唇を一度噛み締め、素直は言葉を続けた。
「……それでも俺は、嬉しかった。湊さんと過ごした時間が……幸せだった」
頬に添えられたナイフが、ぴくりと止まる。湊の目が薄く開いた。
「あははっピュアだねぇ~素直くん。君は純粋で愚かで、本当に可哀想な子だ。そんなんだから、僕みたいなやつの嘘を見抜くことができなかったんだ」
湊の視線が、素直の胸元に落ちる。
「そろそろおしゃべりは終わりだよ素直くん。君の心臓……もらうね」
湊の手のひらが、ついに心臓の位置を探り当てる。
手のひらに力を込めようとしたその時だった。
「すな、お」
かすれた声がして、ずり、と這いずる音。
二人は同時に振り返った。
要が歯を食いしばり、手を伸ばしていた。
湊は驚いたように一瞬目を開いて立ち上がり、要へと歩み寄った。
「すごいね君! 全身の神経を盗んだんだよ? 息をするのがやっとのはずなのになぁ~」
「……素直に何かしたら、俺は、お前を殺す……」
「あーはいはい安っぽい少年漫画みたいなセリフだね。すごいすごい。でも、そんな身体でどうやって僕を殺すの?」
余裕の笑みで見下ろす湊の足へと、要の震える手が伸びる。
しかしその手は、届く前にぱたんと地に落ちた。
ガッ!
革靴のつま先が要の顔を容赦なく蹴っ飛ばす。
「ぐっ……!」と声を上げ、要は再び地に顔を伏せた。
「類は友を呼ぶってこういう事を言うんだろうなぁ~君たち甘いんだよ、考えた方が。友情とか愛情とか信頼とか。そういうのって最後には何の役にも立たない。頼れるのは自分だけなのに……ね? 素直くん」
湊が振り返って問いかける。
素直の目に、じわりと涙が浮かんでいた。
湊は心底嬉しそうに歩み寄り、泣き顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。
「泣いちゃったの? ごめんね~? でもこれ、全部事実なんだ。素直くんの信じてるものはね、幻想なんだ。平和な世界でしか通用しない祈りみたいなもの。圧倒的な力の前では、無力なんだよ。現に君の友達二人は僕に負けて、君は今から僕に殺される。それが現実」
大きな手のひらが、静かに涙をこぼす素直の頭を優しく撫でる。
素直はうつむいた。
「素直くん。君は優しいよ。だからダメなんだ。君がもっと狡猾な人間だったら、疑り深い人間なら、こんな目に遭わずに済んだんだ」
幼い子供に言い聞かせるように、湊は言う。
素直は俯いたまま、何も答えなかった。
「さ、お話の時間はもう終わりだ。さっさと仕事を終わらせて、僕は帰るね」
「……湊さん」
「なに、まだ何かあるの?」
「俺、ずっと湊さんに言おうとしてて、言えなかったことあって……今それ、言ってもいいですか」
「あ~遺言ってやつか。いいよ。なに、言ってみて?」
訪れた沈黙を、風がさらう。
素直の引き結ばれた唇が綻び、ゆっくりと動いた。
「湊さん。俺と……てください」
「なに? もう一回言って?」
「湊さん。俺と……友達になってください」
「…………は?」
本作は【火・木・土】更新予定です。
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