第37話 遊戯
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夜の明かりを映す川。
湊はスーツのジャケットをなびかせながら、水面でゆらゆらと揺れる白い月を眺めていた。
ざく、ざく。
背後で足音がする。湊は待ちかねたように振り返り、「あれ?」と声を上げる。
予想に反して、そこに立っていたのは要と逆巻だけだった。
「素直くんは?」
湊の問いかけに、要は鋭く睨みつけて答えた。
「素直はあんたとは戦わない」
「え~なんじゃそりゃ。僕、素直くんと戦いたかったのになぁ」
「あんたなんかには──素直は指一本でも触れさせない」
尖った声と瞳が湊を刺す。要の隣に立つ逆巻もバットを手にし、殺気を帯びた瞳で湊を睨みつけていた。
しかし、湊はそれを受け流すようにゆるりと微笑む。
「それは無理だよ。結果は変わらない。君達三人は、今日ここで死ぬんだ。君達をさっさと殺っちゃって、その後ゆっくり素直くんと楽しむとしようかな?」
ぎり、と要の歯が鳴る。その握りしめた拳は、小さく震えていた。
「神宮寺」
逆巻が名を呼ぶ。要は一つ息を吐き、答えた。
「分かってる。じゃあ、行くぞ」
「よっしゃ」
二人が構える。すると湊は「あははっ」と小さく笑った。
「やる気満々だねぇ。若さってやつかな? 羨ましい限りだよまったく──ほら、どっからでも掛かっておいで。遊んであげるよ」
湊は笑みを浮かべたまま片目だけを開き、招き入れるように両手を広げてみせた。
途端に場の空気が張り詰める。最初に踏み出したのは逆巻だった。
地を蹴り、一気に間合いを詰める。寸前に迫った。しかし──。
「っ!?」
湊は両手を広げたまま、目の前にいる逆巻をゆるい笑みで見つめていた。
(なんやこいつ! まるで無抵抗やんけっ!)
間髪入れず、バットを構える。
バットに貯蓄していたダメージを打撃へと変換し、湊へと振り下ろした。
バキィッ!
寸前で構えた湊の左腕へとバットが直撃する。
だが、表情は変わらない。むしろその口元は、にやりと弧を描いていた。
ぞくり。
背筋に悪寒が走り、逆巻は飛び退いた。
(なんやさっきの、確かに力を込めたはずやのに、バットはあいつに直撃したはずやのに。まるで手応えが無かった……こんなん初めてや。それに──)
バットが直撃したはずの湊の腕は無傷だ。
あの要ですら耐えられなかったほどの一撃を食らわせた。なのに本人は、相変わらずけろりとした表情をしていた。
「あれ、もう引いちゃうの? もっと来てくれてよかったのに?」
「っ! いけ好かんやっちゃな!」
「逆巻、何か分かったか」
隣にいる要が問いかける。
「よお分からんけど。俺の攻撃、あいつに全く効かへん。あいつの能力、かなり厄介やで」
要の顔に緊張が走る。湊はそれに気付いたように、要へと笑いかけた。
「どうしたの要くん? 君は掛かってこないの?」
「…………」
要は思考する。このまま突っ込むべきか。それとも一旦作戦を練るべきか。
それにあの余裕。何か裏があるに違いない。
湊は顎先に人差し指を添えて「う~ん」と考え込むように唸り、顔を上げる。
「まどろっこしいのは嫌いなんだよなぁ。早く素直くんと二人きりになりたいし……君達から来ないなら、こっちから行くね」
ざく、と湊の革靴が雑草を踏む。次の瞬間──。
「!?」
要の目の前に湊が立っていた。要は目を見開く。
(馬鹿な。数メートルの距離があったはずだ。一体何が──)
「えいっ」
湊が要へ手を伸ばす。
それを避けるように要は瞬時に後ろに飛び退く。湊は追ってこなかった。
「うん。いい反射神経だ。上出来上出来」
「……あんたの能力は、瞬間移動か」
「さあね? でも要くん。急いじゃいけないよ。結論を出すなら──もっと検証しないと」
湊がスーツのジャケットの内側へと手を滑り込ませる。要は踏み出した。
(妙な事を仕掛けてくる前に、先手を打つ!)
湊がジャケットから手を抜き取るより先に、要が目の前に迫った。
壊す力を拳に込め、湊へと振り下ろそうとした。その時。
ゆらり。
目の前にあったはずの湊の姿が消える。
振り下ろした拳が、空を切った。
「っ!」
バランスを崩して倒れかけ、足を突っ張る。
何が起こった。顔を上げたその時。
視界を埋めるように、複数のナイフが迫っていた。
(避けっ……間に合わない!)
咄嗟に両腕を前に構える。
ザクザクザク!
要の腕や腹、太ももに、ナイフが容赦なく降り注いだ。
「神宮寺っ!」
逆巻が叫んで駆け寄ろうとする。
「来るな!」
要はそれを制した。
逆巻の足が止まる。そして、ギリと歯噛みした。
(俺の攻撃はあの営業マンには通用せえへん。今飛び込んだところで、足手まといになるだけや……)
要の腕からぼたぼたと血が流れ落ち、雑草を赤く染める。
ナイフの突き刺さった腹部からはじわじわと血が滲み出し、白いシャツに赤いシミが広がっていた。
「ありゃ~痛そうだね。大丈夫?」
いつの間にか少し離れた所に移動していた湊が、他人事のように声を上げる。
要は睨み返した。その視線が、湊の左手で止まる。
その指の間には、数本のナイフが挟まっていた。
(ナイフなんて、いつの間に──)
さっき見せつけられた被害者の心臓。
そして、今度はナイフ。
あのジャケットの中に、何かがある。
「どうする? 一旦休憩でも挟む? それだけの傷を負ったんじゃ……もうまともに動けないでしょ?」
「……この程度、慣れてる」
要は湊から視線を外さず、ナイフを引き抜く。するとその傷口が、瞬時に塞がった。
それを見た湊が感心したように声を上げた。
「なるほどね。それがこないだ君が言ってた治す能力ってやつか。便利だね。君の心臓もかなり価値がありそうだ。素直くんほどでは無いけどね?」
「……素直の名前を、口にするな」
低く唸って答える要の表情は、殺気に満ちていた。
最後のナイフを抜き去り、地面へと放る。傷だらけだったはずの身体は、跡形もなく回復していた。
「うーん。身体を傷つけてもすぐ回復しちゃうのかぁ。じゃあさっきあの子に貰ったやつ──使っちゃおっかな?」
「っ!」
言い終える前には、湊が目の前に立っていた。
まずい、そう思った瞬間──。
「はい」
声とともに、湊の手のひらが要の右肩をぽんと叩く。
次の瞬間。
「ぐっ……ああああぁっ!」
要は右肩を押さえてしゃがみ込んだ。
「神宮寺っ!」
やっと事態を飲み込んだ逆巻が叫ぶ。湊の糸目が、逆巻を捉えた。
「しょーがない。まずは先に君からやるか」
湊がそう呟いた次の瞬間、逆巻は背後に気配を感じた。
嫌な予感に目を見開き、恐る恐る振り返る。
要の前にいたはずの湊が──逆巻の背後に立っていた。
「なんで……っ!」
反射的にバットを振り上げた。その瞬間──。
「こら、いい子にしてなさい」
生徒を叱る教師のように言いながら、湊は逆巻の頭を拳で小突く。
がくん。
逆巻の膝から力が抜け、バットが手のひらから落ちる。
受け身も取れぬまま、逆巻はバタンとその場に倒れ込んだ。
「っ! 逆巻っ!」
要は左肩を押さえて叫んだ。だが、逆巻はぴくりとも動かない。
代わりに、蚊の鳴くような声が応えた。
「……動けへん。手も、足も、びくともせえへん……」
「あはは、そりゃそうでしょ。だって僕、君の身体を動かす神経を盗んだんだからね?」
湊は愉快そうに笑い、逆巻の頬をつま先で軽く突いた。
「盗んだって……」
「僕の能力は『盗む』事に特化してるんだ。それに僕は頭が良い。何冊か医学書を読み漁って、身体のどこにどんな神経が通っているのか、ちゃーんと把握してるんだ。だからね、君の神経をもっと盗んで、呼吸を止めることだって出来るんだよ?」
やってみせようか?
そう言って、湊が逆巻の顔を覗き込むようにしゃがむ。そして逆巻の喉元へと、ゆっくりと手を伸ばした。
次の瞬間。
「っ!」
要の蹴りが湊の髪先をかすめる。
寸前の所でかわした湊は立ち上がり、要へと笑みを向けた。
「本当に仲が良いんだね君達。思春期特有の友情ごっこってやつか。素敵だね。時間の無駄だし、馬鹿馬鹿しいこと極まりないけどさ?」
「……逆巻を元に戻せ」
「やだ」
駄々っ子のような即答と有無を言わせぬ圧力。要の額に汗が伝った。
「左肩、まだ痛む? それ、そこに寝転んでる子が僕にくれた力を要くんにあげたやつだよ」
要の視線が逆巻に落ちる。傍らに落ちていたはずのバットは、跡形もなく消えていた。
逆巻は首一つ動かせないまま、うつ伏せで倒れこんで浅い呼吸をしている。
「神宮寺……こいつ、やばい。空木連れて……逃げろ」
「っ!」
要の視線が、高架下に倒れている素直へと移る。それに釣られるように、湊もそちらを見た。
「なるほどね」
納得がいったような声が耳に届く。嫌な予感が、要の身体を走った。
次の瞬間、湊が駆け出す。要は焦ったように叫んで駆け出した。
「素直っ!」
自分は湊に身体能力で勝っているはずだ。要にはその自覚があった。
なのに、追いつけない。
湊は全力で走っている様子は無い。まるでスキップでもするみたいな、軽やかな足取りだ。
なのに、追いついても気がつけば引き離される。
まずい、このままじゃ──。
「……ん、」
迫ってくる二つの足音に、素直の意識が浮上する。
なんとか起き上がるが、身体の倦怠感は未だ消えず、高熱を出した時のように、視界が朦朧としていた。
その視界に、二つの影が見える。素直は目を凝らした。
(あれは要と……湊さん?)
こちらへ向かってくる要の表情は、見たことがないほど切羽詰まっていた。
そこでようやく、自分たちが湊と戦っていたことを思い出す。
「素直! 逃げろっ!!!」
「かな……め?」
ゆるい笑みを浮かべた湊が、すぐそこまで迫っていた。
「っ!」
素直は何とか立ち上がろうとする。だけど、足に力が入らなかった。
そうしている間に、綺麗に磨かれた革靴が視界に映る。
顔を上げると、湊が素直を見下ろしていた。
「やあ素直くん。よく眠れた?」
「みなと……さん」
「あはは、まだ寝ぼけてるみたいだね。可愛い……じゃあ、いいこいいこしてあげよっか?」
湊の手が素直へと伸びる。素直は成すすべもなく、ぎゅっと目を瞑った。
そして──。
「素直っ!」
滑り込む影、触れる手のひら。
湊の手が触れたのは、要の胸だった。
がくんと要の身体から力が抜け、その場に倒れ込む。
何が起きたのか理解できないまま、決着がついてしまった。
地に倒れて動かなくなった要を、素直は呆然と見下ろすしかなかった。




