第34話 夕日と背中
湊さんは目を糸のように細めて笑みを浮かべている。
だけどその笑顔には、有無を言わせぬ圧力のようなものを感じた。
問いかけられた要は一度目を伏せ、少し間を置いてから答えた。
「貴方の言う通り、俺は能力者だ。能力は治す能力。それ以上は言えない」
「……なるほどね」
湊さんはアイスコーヒーを一口飲み、口元の笑みを崩さないまま続けた。
「じゃあ、今日素直くんをつけてた理由は?」
「素直が一人で出かけるのが、心配だったから」
「あははっ、友達が一人で出掛けるだけで、普通そこまで心配する? まるで保護者みたいだね」
「……幼なじみですから」
「幼なじみ、ねぇ」
湊さんは意味深に言葉を繰り返す。
「素直くんからも聞いてたよ。一緒に住んでるんでしょ? 事情はよく分からないけどさ」
「……そんなことまで」
要が横目で俺を見る。ぎくりとして、俺は俯いた。
「あっごめんごめん。これは僕と素直くんだけの秘密の話だった。素直くんの事、責めないであげてね?」
湊さんはわざとらしく両手を合わせて首を傾げる。要の視線が、再び湊さんを睨みつけた。
「俺は自分の情報を話しました。次は貴方の番だ。どうして素直に近づいたか、話してください」
湊さんは顎の下で手を組み、要の前に置いた名刺へと視線をやる。すると要も名刺に視線を落とした。
「その名刺に書いてある通り、僕は中高生向けの教材の営業をしてるんだ。だから、普段から中高生を見かけたら気にするようにしてる。ビジネスのチャンスに繋がる可能性があるからね。あの日、スーパーのベンチで体調を崩してる素直くんを見かけた時も、つい放っておけなくて声を掛けたんだ」
「スーパーのベンチ? ……素直、そんな事があったの?」
顔を上げられないまま、俺は小さく頷いた。
「だとしたら二人で出掛ける必要なんか無いはずだ。今の貴方の行動は、矛盾してる」
「矛盾、かぁ」
カラカラ。
ストローで氷をかき回す涼し気な音が響く。
アイスコーヒーに落ちていた視線が、要を見る。湊さんはゆるい笑みを口元に浮かべ、答えた。
「じゃあさ、一目惚れって言ったら……信じる?」
どき、と鼓動が大きく跳ねる。
要は眉間に皺を寄せ、低い声で言った。
「馬鹿にしてるんですか? ふざけないでください」
「あはは、そんな怒んないでよ。冗談じょーだん。でも色々話してみて、素直くんと仲良くなりたいと思ったのは確かだよ」
湊さんは俺の方に目を向け、「素直くんも、そう思ってくれてるといいんだけどなぁ」と付け加えた。
顔に熱が集まって、俺はたまらず目を逸らした。
その瞬間──。
ガシャン。
テーブルの上の食器が鳴る音が、ラウンジに響く。
突然のことに、周囲のテーブルも静まり返る。
驚いて見ると、要がテーブルに手を突き、席を立ち上がっていた。
前髪で顔が隠れて、表情はよく見えなかった。
「……帰ろう素直。話にならない」
要はぼそりと言って財布から紙幣を数枚取り出し、テーブルに叩きつけた。
「ここは僕が出すよ。だって要くん、まだ高校生でしょ?」
「結構です。行こう、素直」
「え、あ……」
俺も戸惑いながら立ち上がり、歩き出した要についていく。
「要くんって、本当に素直くんのこと好きなんだね?」
湊さんの言葉に、要の足が止まる。要は背を向けたまま答えた。
「……だったら何だって言うんですか」
「いいんじゃないかな? 素敵だと思うよ、僕は」
要は答えず、歩き出してしまった。
「素直くん」
声を掛けられて振り返る。
湊さんは余裕のある笑みを浮かべ、鞄から何かを取り出してこちらに見せてくる。
それは、サービスエリアに行った日に俺がヒビを入れてしまったボールペンだった。
「また今度デートしようね。今度こそは、ちゃんと二人きりで」
「……行こう。素直」
要は俺の手を取り、そのまま歩き出す。
握られた手が痛くて、でも俺は何も言えず、要の後をついていった。
それから家につくまで、俺達は何も話さなかった。
相変わらず握られた手が痛くて、要が何を考えてるかも分からなかった。
きっと怒ってるはずだ。だって、命を狙われてるなんてこんな状況で、知らない人と黙って会ってたんだから。
玄関の前につき、要が立ち止まる。
「ごめん」
背を向けたまま、ぽつりと呟く声。
俺の言葉じゃない。要の言葉だった。
「手、痛かったよね」
そう言って、要の手が離れていく。ずっと握られていた俺の手は、真っ赤になっていた。
「……いや、別に」
謝らなきゃいけないのは俺の方だ。
なのに、どう切り出せばいいか、分からなかった。
「素直」
名前を呼ばれて顔を上げる。色素の薄い髪と白いTシャツを、夕日が赤く照らす。
要の広い背中が、少し項垂れたように見えた。
「俺ってさ……頼りない?」
小さな声だった。
問いかけの意図は掴めなかったけど、妙に胸が締め付けられて、だから俺は、声を絞り出す。
「違うよ要。頼りないのは……俺の方だって」
要は何も答えてくれなかった。
ポケットから合鍵を取り出し、一人で玄関に入っていく。
俺はただ、その背中を見つめることしかできなかった。
バタンと閉じた扉が、俺と要を隔てたような、そんな気がした。




