第10話 ファーストキス
要の顔が、一気に近づいてくる。
次の瞬間には、唇が重なる。
そっと触れるだけの、軽いキス。
唇が離れて、視線が絡み合う。
要が真剣な顔で俺を見つめていた。
「素直、次、もっと深いのするよ」
もう一度顔が近づいて、唇が重なる。
今度は唇をこじ開けるように、舌が入り込んできた。体がびくりと跳ね、そのまま硬直する。
逃げようとした瞬間、頭を押さえつけられた。血の味がする舌が、俺の口の中を動き回る。
「んっ……ふっ……!?」
何がなんだか分からない。なんで要、こんな時にキスなんか──。
パニック状態で目を白黒させていると、じゅっと舌を唾液ごと吸われる。
触れた唇から、俺の中の何かが要に吸い取られていくのが分かる。
頭がぼーっとして、身体の力が抜けていく。
幼馴染、しかも男同士でキスしてるってのに。
嫌じゃない。むしろ──。
それがなんか、ちょっと嫌だ。
「っはぁ……」
やっと唇が離れる。
要は俺の頬に手を添えて、至近距離でじっと見つめてきた。
魂を吸い取られたような疲労感が全身を襲う。
焦点がぼやけて、強烈な眠気がきていた。
そんな俺を見て、要は息を吐くように微かに笑った。
「こんな時に、何笑ってんだよ……」
「だって素直、顔まっかだし」
「しょーがねえだろ。キスの仕方なんか……知らねぇし」
「ありがと、素直。これで俺──万全の状態で戦える」
至近距離で笑って、要は立ち上がる。
ボロボロだったはずの身体が、すでに元通りになっている。腹の傷も完治していた。
「じゃあ、行ってきます」
「……かな、め」
追いかける力もなくその場にへたり込む。視界がぼやけて、意識が濁った。
落ちきる刹那、さっきと同じ力が、身体を覆うのが分かった。
◆
コツ、コツ、と男の足音が近づいてくる。
「待たせちゃったね。こっちはもう準備万端だよ……ほら、出てこいよ」
呼びかけに応じるように、柱の影から神宮寺要が姿を現した。
血の気は戻り、呼吸も乱れていない。
それどころか──先ほどまでとは、纏う気配がまるで違った。
「そっちも回復したってわけか」
「ええ。問題はすべて解決しましたよ──愛の力でね」
要はわずかに首を傾け、柔らかい笑みを男に見せつけた。
「愛の力?」
男は一瞬だけ目を細め、すぐに理解したように言った。
「ああ、あの子の体液をもらったのか。そうか。なら──さっきよりずっと楽しめそうだ」
男の身体もまた、既に再生を終えている。
万全同士での対峙──静寂。
だが──次の瞬間、その均衡は崩れた。
踏み込んだのは、要だった。
たった一歩で距離がゼロになる。
「──っ!」
至近距離で振り抜かれた拳。
腕でガードした。
パァン!
凄まじい打撃の音が高架下に響く。
防ぎきったはずだった。
直後、腕の内側に鈍い感覚が到達する。
「な……っ!?」
何かが砕ける音とともに、腕に激痛が走る。
打拳による衝撃ではない。もっと深い後遺症。
ボギッ!
強化してあったはずの腕が、呆気なく砕けた。
それはまさに──『破壊』。
ズバン!
がら空きになった足元を、要の長い脚が払う。
自らの腕に気を取られていた男は、いとも容易くバランスを崩した。
「くっ!」
体勢を整えるべく、手を地につこうとしたその瞬間──ネクタイを掴まれる。
ぐんと勢いよく男の身体が要に引き寄せられた。
「あははっ油断しすぎですよ……おにーさん?」
男の耳へ愉悦の声が囁き、次の瞬間、視界が目まぐるしく反転する。
ネクタイを支点にして、男の身体が宙を舞い、そして投げつけられた。
ドォン!
男の身体は受け身も取れぬままコンクリの壁へと叩きつけられ、ずるずるとその場に落ちた。
凄まじい衝撃で起こった粉塵が舞い、視界を奪う。
まずい。
男が顔を上げた瞬間、すでに要の姿は目の前にあった。
ギラリと光る瞳が──男の姿を捉える。
「がはっ!」
腹部にめり込む拳。
鈍い音とともに、肉が潰れる感触が身体の内で響く。
内臓への直接的なダメージ。
がはっ、と口から血が溢れ出した。
「ガードを、貫通してくる……これが、あの子の能力か」
「あんた『ごとき』が──素直の話をするな」
ドゴォッ!
背後で爆ぜるような音が響いた。食らっていたらタダでは済まなかっただろう。
身を翻して何とか避けた男は、駆け出す。
なぜか要は追ってこなかった。
使えそうな武器を探して周囲を探す。
柱の影を出た瞬間──。
「おにごっこ──さっきの続きですか?」
声の方に振り返った瞬間、視界いっぱいに無機質な赤が迫る。
避ける間もなく、ガァンと音を立てて直撃した。
さっき自分が投げつけた自販機だと、ぶつかってから理解する。
「くっ!」
咄嗟に自販機に触れ、重みを『奪う』ことで衝撃を和らげようとする。
が、
ズガン!
重い衝撃が、追撃のように自販機越しに響く。
それは他でもない、要の膝蹴りだった。
その一発で自販機が全壊し、部品や缶や小銭が飛び散る。
「ぐっ!」
勢いを殺しきれず、男の身体が倒れ、地を滑った。
どうやらあばらが折れたようだ。
ズレた骨が臓器に突き刺さり、体内で凄惨な痛みを生む。
ダメージが大きすぎる。回復が追いつかない。
はやく、逃げないと──。
立ち上がろうとした、その瞬間だった。
目の前に影。
「──遅い」
飛躍の後、落下する身体。叩き込まれる膝。
鋼のように強化された膝が、ダメージを負った腹部に直撃し、視界が白く弾ける。
「がぁっ!」
断末魔のような悲鳴をあげ、男の身体は地へ押し戻された。
要はマウントを取る形で、その満身創痍の身体へと跨る。
「まっ待ってくれっ──」
「いやだ」
男を冷静に見据えたまま、要が拳を振り下ろす。
反撃の余地もない男は、それを腕でガードした。
ゴキン!
たった一発で、唯一無事だった右腕が砕ける。
要が再び拳を振り上げる。
次を食らったら終わりだと全身が警告を出していた。
「──っ!」
男は必死の思いで手を突き出した。
パンッと音を立て、その手のひらが要の顔を覆うようにヒットする。
要の拳が、ピタリと止まった。
今だ。能力で顔の皮膚を奪って、その隙に逃げ──。
ぞくり。
得も言えぬ恐怖が、男の背骨を震わせた。
見ていた。見つめていた。見下ろしていた。
いや──見下していた。
指の隙間から覗く──酷く静かな瞳。
だが、その奥には見て取れるほどの怒りが、今にも溢れ出さんばかりに渦巻き、男を捕らえていた。
「う、動くなっ! 少しでも動けば、ボクは、あんたの顔を剥い、で……」
くつくつと、堪えるような笑い声が降ってくる。
要は口元を歪ませ、肩を揺らしていた。
「へぇ……やれるもんなら、やってみろよ」
ほら。
言いながら、要は手助けでもするみたいに、男の手に自らの手を添える。
要の顔の上で、ガタガタと手が震えだした。
その恐怖を振り払うように、男は手のひらに力を込める。
──能力が、発動しない。
触れているのに、『奪えない』。
「なん、で」
バキボキ。
鈍い音がして、男の手が、指が、変形していく。
男の手が、力なく地に落ちた。
理解が追いつかないまま、要が拳を振り上げる。
「お前は素直を──危険な目に合わせた」
守るものの無くなった顔面に、鉄槌が下される。
骨が砕ける音がして、血が飛び散った。
「お前は素直を──怖がらせた」
もう一撃。
ゴキンと頬骨が鳴り、顔の形が歪む。
「だから――」
三度目を振り下ろそうとした、その瞬間。
「かなめっ!!!」
切実な叫び声。
ぴたり、と拳が止まる。
返り血のついた顔のまま、要が振り返る。
そこには──息を切らした素直が立っていた。
本作は【火・木・土】更新予定です。
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