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第10話 ファーストキス

要の顔が、一気に近づいてくる。

次の瞬間には、唇が重なる。


そっと触れるだけの、軽いキス。

唇が離れて、視線が絡み合う。

要が真剣な顔で俺を見つめていた。


「素直、次、もっと深いのするよ」


もう一度顔が近づいて、唇が重なる。

今度は唇をこじ開けるように、舌が入り込んできた。体がびくりと跳ね、そのまま硬直する。

逃げようとした瞬間、頭を押さえつけられた。血の味がする舌が、俺の口の中を動き回る。


「んっ……ふっ……!?」


何がなんだか分からない。なんで要、こんな時にキスなんか──。


パニック状態で目を白黒させていると、じゅっと舌を唾液ごと吸われる。

触れた唇から、俺の中の何かが要に吸い取られていくのが分かる。

頭がぼーっとして、身体の力が抜けていく。


幼馴染、しかも男同士でキスしてるってのに。

嫌じゃない。むしろ──。


それがなんか、ちょっと嫌だ。


「っはぁ……」


やっと唇が離れる。

要は俺の頬に手を添えて、至近距離でじっと見つめてきた。


魂を吸い取られたような疲労感が全身を襲う。

焦点がぼやけて、強烈な眠気がきていた。


そんな俺を見て、要は息を吐くように微かに笑った。


「こんな時に、何笑ってんだよ……」


「だって素直、顔まっかだし」


「しょーがねえだろ。キスの仕方なんか……知らねぇし」


「ありがと、素直。これで俺──万全の状態で戦える」


至近距離で笑って、要は立ち上がる。

ボロボロだったはずの身体が、すでに元通りになっている。腹の傷も完治していた。


「じゃあ、行ってきます」


「……かな、め」


追いかける力もなくその場にへたり込む。視界がぼやけて、意識が濁った。

落ちきる刹那、さっきと同じ力が、身体を覆うのが分かった。





コツ、コツ、と男の足音が近づいてくる。


「待たせちゃったね。こっちはもう準備万端だよ……ほら、出てこいよ」


呼びかけに応じるように、柱の影から神宮寺要が姿を現した。


血の気は戻り、呼吸も乱れていない。


それどころか──先ほどまでとは、纏う気配がまるで違った。


「そっちも回復したってわけか」


「ええ。問題はすべて解決しましたよ──愛の力でね」


要はわずかに首を傾け、柔らかい笑みを男に見せつけた。


「愛の力?」


男は一瞬だけ目を細め、すぐに理解したように言った。


「ああ、あの子の体液をもらったのか。そうか。なら──さっきよりずっと楽しめそうだ」


男の身体もまた、既に再生を終えている。


万全同士での対峙──静寂。


だが──次の瞬間、その均衡は崩れた。


踏み込んだのは、要だった。


たった一歩で距離がゼロになる。


「──っ!」


至近距離で振り抜かれた拳。


腕でガードした。


パァン!


凄まじい打撃の音が高架下に響く。


防ぎきったはずだった。

直後、腕の内側に鈍い感覚が到達する。


「な……っ!?」


何かが砕ける音とともに、腕に激痛が走る。


打拳による衝撃ではない。もっと深い後遺症。


ボギッ!


強化してあったはずの腕が、呆気なく砕けた。


それはまさに──『破壊』。


ズバン!


がら空きになった足元を、要の長い脚が払う。


自らの腕に気を取られていた男は、いとも容易くバランスを崩した。


「くっ!」


体勢を整えるべく、手を地につこうとしたその瞬間──ネクタイを掴まれる。

ぐんと勢いよく男の身体が要に引き寄せられた。


「あははっ油断しすぎですよ……おにーさん?」


男の耳へ愉悦の声が囁き、次の瞬間、視界が目まぐるしく反転する。


ネクタイを支点にして、男の身体が宙を舞い、そして投げつけられた。


ドォン!


男の身体は受け身も取れぬままコンクリの壁へと叩きつけられ、ずるずるとその場に落ちた。


凄まじい衝撃で起こった粉塵が舞い、視界を奪う。


まずい。


男が顔を上げた瞬間、すでに要の姿は目の前にあった。


ギラリと光る瞳が──男の姿を捉える。


「がはっ!」


腹部にめり込む拳。


鈍い音とともに、肉が潰れる感触が身体の内で響く。


内臓への直接的なダメージ。


がはっ、と口から血が溢れ出した。


「ガードを、貫通してくる……これが、あの子の能力か」


「あんた『ごとき』が──素直の話をするな」


ドゴォッ!


背後で爆ぜるような音が響いた。食らっていたらタダでは済まなかっただろう。


身を翻して何とか避けた男は、駆け出す。


なぜか要は追ってこなかった。


使えそうな武器を探して周囲を探す。


柱の影を出た瞬間──。


「おにごっこ──さっきの続きですか?」


声の方に振り返った瞬間、視界いっぱいに無機質な赤が迫る。


避ける間もなく、ガァンと音を立てて直撃した。


さっき自分が投げつけた自販機だと、ぶつかってから理解する。


「くっ!」


咄嗟に自販機に触れ、重みを『奪う』ことで衝撃を和らげようとする。


が、


ズガン!


重い衝撃が、追撃のように自販機越しに響く。


それは他でもない、要の膝蹴りだった。


その一発で自販機が全壊し、部品や缶や小銭が飛び散る。


「ぐっ!」


勢いを殺しきれず、男の身体が倒れ、地を滑った。


どうやらあばらが折れたようだ。

ズレた骨が臓器に突き刺さり、体内で凄惨な痛みを生む。


ダメージが大きすぎる。回復が追いつかない。

はやく、逃げないと──。


立ち上がろうとした、その瞬間だった。


目の前に影。


「──遅い」


飛躍の後、落下する身体。叩き込まれる膝。


鋼のように強化された膝が、ダメージを負った腹部に直撃し、視界が白く弾ける。


「がぁっ!」


断末魔のような悲鳴をあげ、男の身体は地へ押し戻された。


要はマウントを取る形で、その満身創痍の身体へと跨る。


「まっ待ってくれっ──」


「いやだ」


男を冷静に見据えたまま、要が拳を振り下ろす。


反撃の余地もない男は、それを腕でガードした。


ゴキン!


たった一発で、唯一無事だった右腕が砕ける。


要が再び拳を振り上げる。

次を食らったら終わりだと全身が警告を出していた。


「──っ!」


男は必死の思いで手を突き出した。


パンッと音を立て、その手のひらが要の顔を覆うようにヒットする。


要の拳が、ピタリと止まった。


今だ。能力で顔の皮膚を奪って、その隙に逃げ──。


ぞくり。


得も言えぬ恐怖が、男の背骨を震わせた。


見ていた。見つめていた。見下ろしていた。

いや──見下していた。


指の隙間から覗く──酷く静かな瞳。

だが、その奥には見て取れるほどの怒りが、今にも溢れ出さんばかりに渦巻き、男を捕らえていた。


「う、動くなっ! 少しでも動けば、ボクは、あんたの顔を剥い、で……」


くつくつと、堪えるような笑い声が降ってくる。

要は口元を歪ませ、肩を揺らしていた。


「へぇ……やれるもんなら、やってみろよ」


ほら。


言いながら、要は手助けでもするみたいに、男の手に自らの手を添える。


要の顔の上で、ガタガタと手が震えだした。

その恐怖を振り払うように、男は手のひらに力を込める。


──能力が、発動しない。


触れているのに、『奪えない』。


「なん、で」


バキボキ。


鈍い音がして、男の手が、指が、変形していく。

男の手が、力なく地に落ちた。


理解が追いつかないまま、要が拳を振り上げる。


「お前は素直を──危険な目に合わせた」


守るものの無くなった顔面に、鉄槌が下される。


骨が砕ける音がして、血が飛び散った。


「お前は素直を──怖がらせた」


もう一撃。


ゴキンと頬骨が鳴り、顔の形が歪む。


「だから――」


三度目を振り下ろそうとした、その瞬間。


「かなめっ!!!」


切実な叫び声。


ぴたり、と拳が止まる。


返り血のついた顔のまま、要が振り返る。


そこには──息を切らした素直が立っていた。



本作は【火・木・土】更新予定です。


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