第五十八話 自分だけに響く言葉
放課後。
教室はもう半分空いている。
窓から風。
敦は前の席で、普通にノートをまとめている。
いつもの光景。
本当に、いつも通り。
琴葉はノートを開いたまま
ぼんやりそれを見ている。
特に理由はない。
……はずだった。
ふと。
笑い声が聞こえる。
別のグループ。
女子「えーそれ可愛いじゃん」
その単語。
――可愛い。
頭の中で、昨日の昼休みがぱっと蘇る。
敦の声。
「めっっちゃ可愛いよ」
琴葉「……」
手が止まる。
シャーペンの芯が、ぽきっと折れる。
琴葉
急に思い出した。
いや、
思い出してしまった。
――あのとき、
皆の前で敦に“可愛い”って言わせた。
昨日の敦。
笑ってた。
でも。
からかう顔じゃなかった。
ツッコミでもなかった。
妙に落ち着いた声。
逃げ道のない言い方。
琴葉(……待て)
心臓が一拍遅れる。
琴葉(あれ……
俺に言ってたよな?)
一瞬。
教室の音が遠くなる。
視線が勝手に敦へ向く。
敦は何も知らず、消しゴムを探している。
机の上を軽く探る。
ノートの下を覗く。
見つからない。
その瞬間。
敦が、ふと振り向きかける。
琴葉、反射でノートを見る。
……結局、振り向かなかった。
琴葉、そっと目だけ上げる。
チラッと見る。
いつもの敦。
……のはずなのに。
琴葉
敦から視線を外す。
手元のノートを意味もなく見る。
落ち着け。
整理だ。
・煽ったのは自分
・反撃だった
・皆いた
……問題なし。
琴葉(いや待て)
問題しかない。
耳の奥が、じわっと熱い。
胸も少し、ぎゅっとなる。
琴葉(……皆の前で?)
ここで初めて気づく。
外に向かって言った。
琴葉(……敦って、
ああいう事、言うやつだっけ)
……俺相手に。
思い出そうとしても、
前例が出てこない。
ゼロ。
完全初。
背中がぞわっとする。
理由は分からない。
ただ。
少しだけ、怖い。
その瞬間。
敦「おい琴葉、消しゴム知らね?」
いつもの声。
いつもの距離。
琴葉「っ!? し、知らん!」
声が一瞬裏返る。
敦「なんでキレてんだよ」
琴葉「キレてねぇ!!」
沈黙。
敦はまたノートに戻る。
何も気づいていない。
琴葉は小さく息を吐く。
そして。
無意識に椅子を少しだけ動かす。
ほんの数センチ。
敦から離れる方向に。
……でも。
数秒後。
気づかないまま、また元の位置に戻っている。
琴葉
理由が分からない。
ただ一つだけ分かる。
――昨日の帰り道。
敦「……別に形で見てねぇよ」
琴葉「……」
あの時から。
敦を見るときだけ、
少し意識が引っかかる。
琴葉「……最悪だ」
小さく。
琴葉、ノートに視線を落とす。
琴葉「……俺が……」
小声で独り言。
敦「?」
琴葉「……なんでもねぇ!!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
昨日の一言が、今日の自分を少し乱します。




