第十八話 それはもう始まっている
その日、桜は幼稚園の迎えに少し早く着いた。
砂場に琴葉。
笑い声。
いつも通りの光景。
……の、はずだった。
数人の男の子が走り抜ける。
その瞬間。
琴葉が、止まった。
スコップを握ったまま。
視線だけが、す……と一人を追う。
桜(……今の、何)
琴葉の顔。
いつものやんちゃな笑顔じゃない。
ぼんやり。
ゆるく。
どこか、ふわっと。
男の子が気づいて、笑った。
琴葉、
前髪を触って、
俯いて、
つま先で、地面をこつん。
——その瞬間。
輪郭が、わずかに柔らぐ。
桜(……女の子?)
光の加減じゃない。
見間違いでもない。
桜(……前に、文献で見た兆し)
琴葉はその子と楽しそうに笑ってる。
桜「……あの子」
小さく、呟く。
桜「……ただの友達じゃ、ないわね」
夜・書庫
文献を広げる音。
紙の擦れる音。
雅人が横から覗き込む。
桜「……まだ、早いと思ってたんだけど」
桜は文献を手に、動きを止めた。
桜「……あ、先に言っておくわね」
雅人「嫌な前置きだな」
桜「この文献」
桜「物語の理解には必須じゃない」
雅人「身も蓋もないな」
桜「世界観に興味を持った人向けの補遺」
桜「先代が代々、“分かったこと”を書き足してきただけ」
雅人「分からなかったことは?」
桜「書かれてない」
雅人「正直だな」
桜「初稿は先祖の覚え書き」
桜「だから——」
ページを指でとん、と叩く。
桜「次のページに“記録”としてまとめてあるけど」
桜「読まなくてもいい」
雅人「公式注意書きか」
桜「……さて……これだわ」
雅人「……女型?」
桜「ええ。敦くんを見る時だけ」
雅人「ピンポイントすぎない?」
桜「恋って、そういうものよ」
間。
雅人「……重くない?」
桜「まだ兆し。芽」
指が古文書で止まる。
桜「ほら」
【恋慕影とは——】
雅人「……未練の集合体」
桜「集合してるけど、誰のものでもない」
雅人「厄介だな」
桜「だから“流す”」
間。
雅人「……浄化?」
桜「清水の血は、出口を貸すだけ」
雅人「背負うわけじゃない」
桜「そう」
また間。
雅人「祝福って」
雅人「奇跡じゃないんだな」
桜「遅れてくる帳尻合わせ」
雅人「雑」
桜「世界は思ってるより単純よ?」
少し笑って、すぐ真顔。
雅人「……成就したら?」
桜「前例はまだ一回だけど⋯戻らない」
雅人「不可逆」
桜「固定される」
雅人「……まだ子どもだぞ」
桜「だから、よ」
文献を閉じる。
桜「来るなら」
桜「ちゃんと恋の先で」
雅人「条件?」
桜「きっかけ」
雅人「……オマケか」
桜「ええ」
寝室前
布団から顔だけ出して眠る琴葉。
雅人、頭を撫でる。
雅人「……まだ兆し……か」
桜「……えぇ」
灯りが消える。
桜
桜(手を、伸ばしてくれる子がいますように)
その後・帰り道
桜「今日、楽しかった?」
琴葉「……うん」
一拍。
琴葉「敦、やさしい」
また一拍。
琴葉「……ぽかぽかする」
桜(……はい……恋)
✦ おまけー現在ー
夜。
湯飲み。
桜「琴葉、高校生よ」
雅人「早いな」
桜「でね?」
ズイッ。
雅人「近い」
桜「琴葉、敦くんのこと」
一拍。
桜「“十年以上”想ってる」
雅人「……長いな」
桜「無自覚で」
雅人「最悪」
桜「本人は“親友”って言うのよ?」
雅人「それ一番ややこしいやつ」
桜「恋愛だけド鈍感」
雅人「いや全部鈍感」
桜「そこはフォローして?」
苦笑。
雅人「でもさ」
雅人「十年以上想えるって、すごいな」
桜「……ええ」
静かになる。
雅人「……祝福の本番、来るな」
桜「覚悟案件ね」
湯飲み、静かに置く音。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
はじまりは、思っているよりずっと前にあります。




