第十四話 それでも、同じ名前で呼ぶ
ーー琴葉の部屋ーー
落ち着くために浴びたシャワー。
雫まだ落ちる。
肩に掛けてあったタオルが乱暴に動く。
濡れた髪を拭きながら、琴葉は俯いていた。
さっきまでの、不安定な揺れはもうない。
静かで、固い顔。
敦はそれを見て、ほんの一瞬だけ思う。
敦(……覚悟、か)
胸の奥が、きゅっと縮む。
琴葉「……敦に、話す」
小さく息を吸う音。
琴葉「俺、この“型”……ずっと男のままでいたい」
敦は、返事をしない。
できない。
琴葉「今日さ……急に胸がザワついて」
無理に、口角だけ上げる。
琴葉「こんな風に女型になったの……初めてで」
言葉が詰まる。
唇を噛んでから、ほとんど息みたいな声。
琴葉「……敦が俺のこと、覚えてなかったらって」
一拍。
琴葉「正直、潰れそうだった」
顔を上げる。
琴葉「でも……“琴葉、大丈夫か”って言われた時」
声が、揺れた。
琴葉「……救われた」
沈黙。
窓を、雨が叩き始める。
敦「……なんで、そこまで怖ぇんだよ」
琴葉は迷わない。
琴葉「敦には……忘れられたくない」
その一言で、敦は無意識に近づいた。
触れない距離。
敦「忘れねぇよ」
低く、即答。
琴葉「……どうして」
敦は少しだけ間を置く。
敦「理由、欲しいか?」
一拍。
敦「性別なんかでさ」
敦「人の大事なとこ、変わんねぇだろ」
視線を逸らす。
敦「……俺は、ずっと」
敦「琴葉を“琴葉”として覚えてる」
琴葉の目が見開かれる 。
胸の前でこぶしをぎゅっと握った。
言葉を、逃がさないみたいに。
敦「……怖ぇなら」
落ち着いた声。
敦「女型になったら、そのたび来い」
敦「俺が言う。“琴葉だ”って」
敦「何回でもな」
琴葉は視線を逸らす。
泣きそうで、照れた顔。
琴葉「……ほんと、そういうとこ変わんねぇな」
距離は近い。
触れない。
それが、やけに甘い。
琴葉は長く息を吐いた。
琴葉「……ホッとした」
やっと部屋の空気が柔らかくなった気がした。
敦も息を吐く。
無意識に琴葉の緊張が伝わっていたようだ。
敦は琴葉をチラッと見る。
少し微笑んでいるようだ。
いつもの琴葉が戻ってきたようだ。
敦はにやっとする。
敦「そういやさ」
敦「元気ねぇ時の“魔法”あったよな」
琴葉「? 敦にタチ悪いって言われたやつ?」
敦「仕返しだ」
わざと、優しく。
敦「……元気ないね?」
敦「背中、貸すけど?」
琴葉キョトン顔。
琴葉「……俺にはタチの悪さが分からん」
敦「場所も考慮必須項目だ」
琴葉は少し考えて――
ぱっと顔を上げる。
琴葉「……借りる!」
敦「マジで!?」
次の瞬間、背後から抱きつかれる。
琴葉「……敦の……おっぱい……ない」
敦「当たり前だろ!!」
琴葉の手がワサワサする
敦「くすぐってぇ!!」
琴葉「確認作業」
敦「何の!!」
琴葉「敦が敦かどうか」
敦「どこで確認してる!!」
琴葉「……よし。敦だった」
敦「なんで納得!?」
笑いながらもみ合っているとーー
琴葉の動きが、止まる。
敦「……琴葉?」
返事がない。
背中から、震える声。
琴葉「……グス……」
敦「……泣いてんの?」
琴葉「わりぃ……」
琴葉「泣くつもりじゃ……でも……安心したら……」
ポロポロと流れる涙の気配。
敦
ガッチリと抱きつく腕が、離れない。
敦(……振り向けねぇだろ、これ)
敦は、そっと手を添える。
敦「……全部、吐き出せ」
クズっ……クズっ……
琴葉「……敦の中でだけでも」
琴葉「俺、消えてないって思ってていいか?」
敦「……消えるわけねぇだろ」
言い切り。
それだけで、震えが少し緩む。
静かな雨音。
しばらくして、呼吸が落ち着く。
敦「……琴葉。力、抜け」
琴葉「……ん?」
隙。
敦は体を向き直す。
敦「……抱きしめ返してぇんだけど」
そう言って、腕を伸ばす
琴葉「……ん……」
その声は、泣き声よりも静かで
でも、確かに“受け取る”音だった。
指先が、シャツに触れ――
バーンッ!!
琴葉母「待ってーー!!敦くん!!」
敦「まだ触ってねぇ!!」
勢いよく扉が開き、
なぜかモザイク物体を持った母が突入。
琴葉母「これより先は準備が必要よ!」
琴葉「え? なにそれ」
敦「ちょっ……!!」
無理やり手に握らされる。
琴葉母「初めてだし、1個でいいわよね?」
琴葉「……え?……え?えええーーー!?」
琴葉理解が追いつく。
琴葉「なに持たせてんのぉぉぉーーー!!?」
ドゴォン!!
琴葉、怒りと羞恥の波動。
圧縮された空気が琴葉から一気にはじける!
衝撃にはね飛ばされた敦と琴葉母。
二人まとめてごろごろと転がったあと、
敦は廊下の壁に背中を預けて止まった。
バタン!!
静寂。
敦、床に座り込み、モザイク物体を見る。
敦「……いや、俺、まだ何もしてねぇんだけど」
隣で、琴葉母がぱちぱちと瞬きをする。
琴葉母「あら?」
敦「“あら?”じゃないです」
部屋の向こうから――
琴葉「うわあああああああ!!
なんで今!!このタイミング!!!
記憶ごと消火させてぇぇぇ!!」
敦は、思わず天井を仰いだ。
敦(……元気、出たな)
琴葉母「声、戻ったわね」
敦「戻りすぎです」
そのとき。
ガチャッ、と扉の音。
ほんの少しだけ、ドアが開く。
赤い顔の琴葉が、半分だけ覗いた。
琴葉「……敦」
敦「……ん」
琴葉「……さっきの」
一拍、間。
琴葉「……ありがとう」
それだけ言って、
バタン、と今度はちゃんと静かに閉まった。
敦「……ぷっ……あはは」
何だが安心の笑みがこぼれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
守ると決めた瞬間から、意味は変わります。




