第百一話 来た後にしか分からない距離
夕方の帰り道。
あの一瞬の距離。
追いかけた自分。
触れた腕。
全部、もう終わった話。
言うことは言った。
なのに。
布団に入っても、落ち着かない。
琴葉
目を閉じる。
敦の顔が浮かぶ。
目を開ける。
胸の奥が、じっとしてない。
琴葉(……会いたい)
思った瞬間、体が起きていた。
男型に戻ろうとする。
いつもみたいに。
でも——
うまくいかない。
琴葉
胸の奥が、ざわついてる。
落ち着かない。
まとまらない。
琴葉
考えるのをやめる。
上着を掴む。
スマホを持つ。
静かに家を出る。
夜風が冷たい。
でも足は止まらない。
理由はない。
ただ、会いたい。
ーーーー
敦の家の前。
二階の明かり。
何度も来た場所。
でも今は、違う。
インターホンは押さない。
メッセージを送る。
『今、外』
既読。
すぐ着信。
敦「……琴葉?外って何」
琴葉「……外」
敦「は?」
玄関が開く。
敦「…………」
止まる。
視線が、ゆっくり落ちる。
夜の女型。
上着一枚。
少しだけ速い呼吸。
敦「……ちょっと待て」
琴葉「何」
敦「なんで来た」
少しだけ間。
琴葉「……止まらなかった」
敦「夜だぞ」
琴葉「うん」
敦「……女型だぞ」
琴葉「うん」
沈黙。
敦が額を押さえる。
敦「……やばい」
琴葉「何が」
敦「情報量」
少しだけ笑う。
でも目は笑ってない。
琴葉、距離を詰める。
自然に。
敦の服を掴む。
敦「おい」
琴葉「会いたかった」
それだけ。
袖を握る手が少しだけ強くなる。
敦、止まる。
目を逸らす。
しばらく沈黙。
敦「……俺も」
静かな夜に、二人だけの時間が流れる。
引き寄せる。
敦の手が、腰へまわる。
逃げられる強さ。
でも逃げない。
敦「来るなよ」
琴葉「来る」
敦「困る」
琴葉「困れ」
敦、笑う。
敦「横暴か」
近づいた敦の額が、少しだけ琴葉に触れる。
ほんの一瞬。
琴葉の呼吸が止まる。
敦、目を落とす。
敦の指が、少しだけ強くなる。
敦「……ほんとにするぞ」
琴葉「……」
逃げない。
むしろ、ほんの少しだけ近づく。
敦(……無理だ……)
あと、数センチ。
その瞬間——
ガタンッ!!!
敦「!?」
琴葉「ひっ!?」
隣の窓。
「猫ちゃーん、おうちにお入り〜♪」
二人、硬直。
至近距離すぎる。
敦、小声。
「……離れろ」
琴葉「……やだ」
敦「近所」
琴葉「知らん」
敦「知らんじゃない」
小声の攻防。
でもどっちも笑いを堪えている。
敦、周囲確認。
敦「……一回離れる」
琴葉、しぶしぶ半歩下がる。
でも、服は掴んだまま。
敦「……初だぞ」
琴葉「何が」
敦「女型で、夜に、会いに来られたの」
琴葉、赤くなる。
琴葉「……忘れろ」
敦「無理」
敦「容量オーバーで一生保存」
琴葉「消去しろ」
敦「バックアップ取る」
琴葉「最悪だなお前」
でも、指が絡む。
敦「……帰るか」
琴葉「……うん」
敦「送る」
動かない。
敦「離せ」
琴葉「やだ」
敦「お前さ」
琴葉、小さく。
琴葉「……キス……まだ」
敦、崩れる。
敦「言うな!!!!」
琴葉「言ってねぇ」
敦「言った!!」
敦、ため息。
そして。
もう一度手を握る。
今度は少し長めに。
それが、少しだけ残った。
歩き始める二人。
夜は、まだ静か。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
会いたいだけで、十分な夜もあります。




