悪に引きずりこまれた喜之助
生まれてきたのを後悔するぐらい、生きていかのが辛かった。
死にたい、と毎日思い続けてきた。
だから死を目の前にしても、何も怖くない。
こっちも丁度死にたい、そう思っていた所だ。
ならば、相手になろう。
「どうした、どうした、この腰抜けめ。
余りの怖さに、動けなくなっちまったのか?!」
後ろにいた浪人の一人が、はやし立ててきた。
喜之助は、頭に血が昇った。
こいつら一人残らず、血祭りに上げてやる。
喜之助は後ろを振り向きもせずに、背後にいた男に裏拳を振り上げた。
手の甲で打つ裏拳は見事に男の鼻に命中し、男は鼻から血を吹き出してひっくり返った。
「拙者は謝った経験がござらん。
どういう作法かも不明でな」
喜之助はドスの効いた声で、威嚇した。
「大口叩きやがって!」
チンピラ浪人たちは、ひるまずに喜之助に向かってきた。
もちろん、こんな昼時の人通りの多い路上で刃傷沙汰を起こしては、たちまち奉行所の役人が飛んできて御用となるだろう。
喜之助もそんな事は分かりきっていたので、刀は抜かなかった。
こんな素人相手には、素手で十分だ。
二人、三人、と刃をかわして急所を殴り付けた。
四人目の奴には、みぞおちを殴った。
重蔵一人だけが、残った。
四人の男たちは路上にひっくり返って、苦しんでいる。
重蔵は刀を喜之助に向けたまま、動けないでいる。
「てめえ~、よくもやりやがったな!」
重蔵がほざいたが、今一歩喜之助に踏み込めないでいる。
そんな重蔵を、群衆の中からかき分けてきた一人の初老の男が制止した。
「よせ、お前ではその男に勝てん!」
初老の男は、興奮気味の重蔵を落ち着かせようとした。
どうやらケンカの仲裁に、入ってくれたようだ。
「ですが、刑部様・・・」
刑部様だと?
こいつらは、知り合いか?
ならば、この場はあの男に任せるとしよう。
「この苦しんでる者たちを見て、あのお方の力量が分からんか?
お前もああなりたくなければ、刀を納めよ」
刑部と呼ばれた男は重蔵を説得し、重蔵はしぶしぶ刀を鞘に戻した。
「このバカどもを連れて帰るのじゃ。
わしはこの武芸の達人と、色々と話し合う事がある」
重蔵は刑部に言われた通り、仲間を起こすと、その場から
連れ去った。
「どうやら、あんただけはあいつらと違って、物分かりがいいようだな」
喜之助は刑部に感心した。
「いやはや、手前の子分たちがとんだ無礼を致しました」
刑部は深く、頭を下げた。
「鬼神にも勝る戦いぶり。
手前、さぞかし御高名を馳せた武士とお見受けいたしました」
刑部は丁寧に聞いてきた。
「名だたる武士に見えまするか・・・。
残念ながら拙者、大した武功はしておりませぬ」
喜之助も、ここまで誉められると上機嫌になった。
「よろしければ、お名前をお聞かせ願いますか」
「魚住喜之助と申しまする」
「はて・・・、とんと聞かぬ名じゃが」
「拙者は急ぎの身ゆえ、用が無ければここら辺でお暇願いたい」
喜之助は急ぎ足で、その場から立ち去ろうとした。
だが刑部が、前の道を立ちふさがった。
「お待ち下さい。
これだけの武人に会えたのも、何かの縁。
もしよければさらに深く、物語など伺えませんでしょうか。
近くの茶屋で、ゆっくりと・・・」
去り行く喜之助の足が、ピタリと止まった。
そう言えば、腹が減っている。
この刑部について行っても、何も損はないだろう。
今日は昼飯にありつけたようだ。
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刑部と喜之助は、近くの茶屋で並んで座っていた。
喜之助は団子をほおばり、抹茶を飲みながら刑部に今まどの事を話して聞かせた。
数えられない程殺人を犯して来た事、京都では伝説の辻斬り魔として名を馳せた事、佐渡島の金山で命からがら逃げてきた事など。
喜之助が話し終わると、刑部は高らかに大笑いした。
こんな豪傑に会ったのは、初めてだからだ。
「ふはははは、はっはっは」
刑部は関心して、喜之助を見た。
「魚住喜之助と申したな。
そなたの生きざま、このわしと深く通ずる所がある。
実に感服つかまつった」
刑部は喜之助を、大いに気に入ったのだろう。
次は、誘い水をかけてきた。
「どうじゃ、喜之助とやら。
よければ、わしの徒党に加わらぬか?
お主の拠り所のない身、わしが面倒見てやってもよいぞ」
このわしに、仲間になれと言うのか?
冗談ではない。
あんなイカれ集団の仲間など、なってたまるものか。
「せっかくのお誘い、お受け致しかねる。
拙者は常に、一人で行動してきた。
今後ともそのつもりであるし、どこのどの集団にも属さず、己一人で成す事が、わしの信条なのじゃ」
喜之助は別にウソはついていない。
他人と行動を共にするという事自体、馴染めなかったのである。
「山の中で一人で孤独に生活してきたから、群れるのはイヤだと言うのじゃな。
しかし一人で出来る事にも、限界がある。
今は頭を切り替えるべき時じゃ。
今後からは仲間と一緒に、もっと大きな仕事を成就しようではないか」
刑部は喜之助を、説得しにかかった。
これほどの逸材、手放すものか。
「もう何も話す事はない。
ご免」
喜之助は刑部に背を向けて去ろうとした。
当てのない旅、どこへ向かおうが構わない。
数歩進んだ所で、刑部に呼び止められた。
「金に糸目はつけぬぞ。好きなだけやろう!」
刑部は財布から、大判を十枚ぐらい出し、喜之助の足元に投げつけた。
大判が地面に落ちる音を聞いて、喜之助の足が止まった。
クルリと振り向くと、足元の金に目線がいった。
「これで足りぬならば、わしの住みかに行けばもっと、たんとある。
わしの手足となって働くならば、高い賃金でそなたの腕を買う事を保証しよう」
喜之助はしばらく動かず、じっと刑部を見つめていた。




