浜辺のクジラ
それを見て喜之助は両手で水をかき分け、水面へと浮上して行った。
どんどん近づいていってるが、そこまで息がもつだろうか。
ここまで逃げてきて、死んでしまってはもったいない。
喜之助は、大きく息を吸い込む準備をした。
ついに喜之助は水面から顔を出し、思い切り新鮮な空気を吸い込んだ。
太陽の光が目に入って、思わず目を細める。
辺りを見回してみると、自分は滝壺の中にいた。
滝の水がごうごうと音を立てて、滝壺へ落下している。
滝は岸壁の穴から水しぶきを立てて、噴出していた。
地下水は地下から滝となって、出ていたのだ。
なるほど一瞬、宙に浮いたような感覚になったのは、滝壺に落ちた時のものだったのか。
何はともあれ、とにかく地獄から脱出出来たのだ。
これで自分は、自由の身だ。
佐渡奉行所の奴ら、全員死んだと思っているだろう。
これからどうすればいいのか、水につかりながらじっくりと思案した。
まずは、この地獄島から逃げる事。
その後が問題だ。
父の形見、正国を取り戻さなければならん。
京都まで戻り、小笠原元定の手から正国を取り戻す。
地ベタを這いずり回っても、必ず戻ってやる。
―――――――――――――――――――――――――――
相川の港から佐渡島を出よう、と考えたがやめた。
相川鉱脈や佐渡奉行所に近過ぎるからだ。
ほんのわずかな時間で行ける距離だったが、そこから出るのは危険過ぎる。
相川の次に近い港は、島の南端に位置する小木だ。
喜之助は道に迷わぬよう、海沿いに歩いて行った。
海沿いには三匹の巨大なクジラが、浜辺に打ち上げられているのを見た。
生まれて初めてクジラを見た喜之助は、動物ではなく怪獣かと思った。
浜辺から順に、三匹ずつ並んでいる。
浜から近い二匹は黒色、浜から離れているのは体が白色だった。
三匹とも、体中に銛を刺されて死んでいた。
捕鯨船団に近海を泳いでいる所を捕獲され、浜辺まで引っ張られて息絶えたのだ。
周辺にはその三匹のクジラを陸へ引っ張り上げるべく、多数の日雇い労働者が溢れていた。
クジラは太い鎖で、体中を縛られている。
奉行所は百人ぐらいの無宿人たちの力で鎖を引っ張らせ、
国を陸に引っ張り上げた後は解体して、捨てるつもりだった。
喜之助は船賃を稼げると思い、無宿人たちに混じって一列に並んで待った。
クジラを引っ張るための詰所では、奉行所の役人が無宿人たちから書状を受け取り、参加させていた。
喜之助は列に並んで、順番を待っていれば鎖を引っ張らせてくれると思っていたが、甘かった。
先に並んでいた無宿人たちはここの噂を聞きつけ、町の寺社や有力商人に頼んで紹介された書状を持って並んでいたのだ。
奉行所の役人は紹介状を吟味して風体を観察しつつ、問題無ければ鎖を引かせていた。
喜之助がそれに気づいたのは、前から二人目の男になってからである。
喜之助の番になると、わざと紹介状を忘れたと受付に言って、失礼を詫びて列から脱した。
このまま紹介状を、誰かから腕ずくで奪おうかとも考えたがやめた。
記載されている風体と、完全に一致してる分けではないのだ。
まだ喜之助は、完全には諦めていなかった。
―――――――――――――――――――――――
一日何も食べておらず、腹が減って死にそうだった。
夜になると喜之助は泳いで、一番沖にいる白クジラの所に行った。
クジラは体の半分は、海中に埋まっていた。
銛を撃ち込まれた場所から、肉がはみ出している。
喜之助はクジラの体を這い上がると、その部分から肉を食いちぎった。
固い。
死んでから、数日経っているのが分かる。
まずい肉だが、今はそんな贅沢は言ってられない。
何が何でも食べて、生きねば。
我慢してクジラ肉を食べている内に、腹は満腹になった。
浜辺では奉行所の役人が数人、篝火を焚いて夜通し見張りをしている。
沖の方でクジラの肉を食らっているとは、思いもしないだろう。
腹ごしらえが済むと、喜之助は静かに泳ぎ、見つからぬよう浜辺に戻った。




