地獄の佐渡金山
佐渡金山は東西約3000メートル、南北約600メートル、
深さ約800メートルに分布していた。
決して、ひと塊だったのではない。
喜之助はその中でも、ひときわ生産量が多かった相川鉱山で働かされていた。
毎日の作業は、薄暗い敷(採掘鉱道)で行われた。
喜之助はノミと槌を持たされ、岩盤を砕く作業をされられた。
掘削した岩石はそのまま台車に積まれ、その台車は敷の出入口である敷口にいる労働者が綱を使って、台車を敷口から出す。
粉塵が蔓延する中、誰も手を休める事は出来ない。
敷の中には見張りがいて、絶えず掘り子たちを監視している。
その中でも特に喜之助は、見張りの目が離れる事は無かった。
喜之助は見張りの隙をついて、ノミで岩を砕くふりをして足枷の鎖を砕こうとした。
しかし足枷の鎖は思いの他頑丈で、簡単には砕けない。
喜之助の他にも囚人が働いていたが、彼らの多くは粉塵を吸いすぎて硅肺になり、半分近くが死んでいった。
そんな中、喜之助は辛抱強く待った。
いつか必ず生きてここを出て、自由の身になる。
その希望が、喜之助を奮い立たせていた。
佐渡島に送り込まれて、三年。
喜之助の野望は思いがけず、訪れようとしていた。
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幕府は直山(幕府直轄坑)を、廃止する事に決めた。
その重要機密事項は、佐渡奉行所に伝えられた。
先月に山師、三浦次兵衛の調査で金銀の埋蔵量は、ごくわずかだと判明したからである。
直山は廃止になっても、山師が請け負い請山は存続する事になった。
直山を廃止する理由は、もう一つあった。
坑道内に湧き出る湧水を海に送るための坑道堀り、水没した坑に横坑(水貫き)を切って水を出す作業部品に設備投資をし過ぎたため、採算が合わなくなってしまったのである。
早々に設備を取り払い、直山は閉鎖になるのだが、一つ問題があった。
全国から集めた囚人、浪人、無宿人たち二百人の始末である。
佐渡奉行所筆頭、鎮目市兵衛は金山の場所は、秘密裏に葬るつもりだった。
それで全員に場所が洩れぬよう、殺す事に決定した。
二百人を越える坑夫の殺し方を考えた挙げ句、生き埋めにする案に決めた。
坑内に全員を入らせ、出られぬようにし、岩盤を破壊するための爆薬を釜ノ口(坑口)をふさぐ事になった。
早急に囚人たちに一人一人、列を作らせ、坑内に入らせた。
喜之助も、その中にいた。
今日は何か、おかしい。
普通坑内に入るには、敷口荷改番所で持っている道具を検査するのだが、それがない。
手枷、足枷の鎖を外してくれたし、全員を狭い坑内に入れるとは。
坑内の作業は交代でするために、半分しか入らないはずだ。
喜之助もうすうす、坑内の金の産出量は減っているのは分かっていた。
もしかすると、全員を坑内で生き埋めにするつもりか。
そうだとしても見張り番が多数いる中、逃げ出す事は不可能だ。
ここは、黙って従うしかない。
案の定、坑内には坑夫たちだけで満杯になっている。
坑口は閉じられた。
内側から人別帳から消された無宿人たちが、しきりに扉を叩いているが、外からは全く反応がない。
嫌な予感が、次々と現実になっていく。
このまま閉じ込めて、餓死させるつもりか?
否、そうではない。
佐渡奉行所の奴ら、一体何を考えてやがる。
それはこのわしが、突き止めてやる。
喜之助は板切れに布を巻き、それに蝋燭の火をつけて照明代わりにした。
一人進む、喜之助。
喜之助らが入らされた間歩(敷を含む坑区全体)は、相川鉱山の中でも一番大きかなものだった。
徐々に、下に降りて行った。
一番下の敷に着いた喜之助、そこで信じられないものを見た。
そこには、洞穴の天井まで積み上げられた大量の爆薬の木箱があった。
火薬の匂いがする。
外からは導火線に、火がつけられたのだ。
喜之助は急いで、その場から脱出した。
大爆発まで、すぐであろう。
逃げながら安全な場所はどこか、考えてみた。
固い岩盤の下でなければ、すぐ落盤してしまう。
そうなれば、生き埋めだ。
必死になって一番固い岩盤がどこにあるか、思い出そうと躍起になった。
そうだ、その岩盤を掘削していた時を思い出した。
余りにも固すぎたので立合追(東西に堀り進む)から、横貫(南北に堀る)に変更した所だ。
喜之助は人が一人分入れるぐらいの穴に入ると、突き進んだ。
この穴を通るのが、最短距離だ。
もうじき、爆発する。
穴から出ると、その一番頑丈な岩盤の下にたどり着いた。
後はこの岩盤が、爆発に耐えられるだけの力があるかどうか祈るだけだ。
喜之助は天井からの落下物を避けるために、小さな窪みに入った。




