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最弱神の代理戦争  作者: 悠暉


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第5話 草薙

イツルギは、礼から始めた。


聖域の中央で深く一礼して、それから抜いた。飾り気のない直刀。刃には曇りひとつなく、ただ、周囲の風だけが不自然に凪いでいた。


草薙剣。風を薙ぎ、野火を返した、物語の背骨。


「胸を貸すつもりはない」


静かな声だった。「全力で行く。それが礼儀だ」


銅鑼が鳴って、風が死んだ。


結人は最初の一歩で悟った。速さならラフィのほうが上だ。だがラフィの速さは読めた。イツルギの歩みは、読める要素がそもそもない。無駄が、一切ないのだ。癖も、迷いも、飾りもない。観察が引っかかる取っ手が、どこにもない。


剣風が来た。触れてもいないのに、結人の体は横薙ぎに三間飛ばされた。砂の上を二度跳ねて、聖域の縁が背中のすぐ後ろに迫る。


場外まで、あと半歩。


「まだ立つか」


イツルギは追ってこなかった。中央に立ったまま、こちらを見ている。それが手加減ではなく、間合いの支配なのだと、結人の肌が理解した。この聖域全部が、もう彼の剣の内側だった。


それでも結人は、見ることをやめなかった。


草薙剣。ヤマタノオロチの尾から出た剣。天叢雲——雲を呼ぶ名を持ち、のちに草を薙いで火難を返した。逸話は諳んじられる。だから試した。


「その剣の真名は——《雲呼び》。風ではなく雨の神器のはず!」


外れ。承認の光は灯らず、剣風だけが返ってきた。


「真名は《蛇の尾》。剣ではなく、鱗!」


外れ。今度は膝が砂についた。口の中に血の味が広がる。観客席の笑いは、もう聞こえなかった。皆、静かに見ている。処刑を見る静けさだった。


「……名鑑の逸話、異本、地方の伝承。ぜんぶ、当たってみました」


結人は立ち上がった。膝が笑っている。


「ぜんぶ、綺麗に揃ってるんです。あなたの剣の物語は。千年かけて、誰かが雑草を抜き続けた庭みたいに」


「褒め言葉として受け取る」


イツルギが、初めて間合いを詰めた。世界が横に流れ——結人の意識が白く飛ぶ寸前、


「そこまでじゃ!」


幼い声が、聖域を裂いた。チギリが縁の上に立って、両腕を広げていた。


「降参する! 妾の代理の負けじゃ!」


銅鑼が三度鳴った。決着の音だった。結人の身体は、砂の上に膝から崩れて、それきり動かなかった。イツルギの剣は、結人の首の三寸手前で、止まっていた。


医務室の天井を、結人は長いこと見ていた。


骨は無事。打ち身と、軽い脳震盪。三日も休めば治る、と治療師は言った。治らないものが胸の奥にあることは、言わなかった。


初めての敗北ではない。選ばれなかった三年間、負けにも似た日は何度もあった。でも、これは違った。全部出して、届かなかった。観察も、看破も、あの静かな剣の前では子供の遊びだった。


扉が開いて、入ってきたのはイツルギだった。


見舞いの言葉はなかった。彼は椅子にも座らず、立ったまま結人を見下ろして、一つだけ言った。


「二つ外して、二つとも急所だった。俺の相棒の真名に、半歩まで寄った人間はお前が初めてだ」


「……負けました」


「負けた。だが、お前の目は嫌いじゃない」


それだけ言って、出て行った。入れ替わりにチギリが、駄菓子の袋を抱えて滑り込んでくる。小さな神は寝台の縁に座って、しばらく何も言わなかった。


「勝手に降参して、怒っておるか」


「……いえ。約束は『隣で勝つ』でしたから。死んだら、隣に立てません」


「うむ」


チギリは頷いて、それから懐から一枚の札を出した。敗者復活戦の通知だった。三日後。場所は地下の計量室。相手はエジプト枠——アヌビスの秤の代理。


「まだ、終わっておらぬぞ」


窓の外はもう夜で、万神殿の灯りが遠く見えた。結人は札を受け取って、枕元に置いた。悔しさはまだ喉の奥にある。でもそれは、明日からの燃料にできる種類のものだった。

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