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最弱神の代理戦争  作者: 悠暉


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第16話 栄光に送られた人

夜半、扉を叩く音は三回だった。


シグネは外套の下に、油紙の包みを抱えていた。卓の上でそれを開くと、書き写しの紙束が現れる。几帳面な、少し力の入りすぎた字。夜の書庫で、灯り一つで写した字だと、見ればわかった。


「歴代優勝者の記録だ。正本は書庫の奥——閲覧禁止の棚にあった」


「盗み見たのですか」


「写しただけだ。……順序が逆になったが、お前たちには見せると決めていた」


結人は紙束を繰った。第九十七回優勝、槌の代理オルヴァル。第九十八回、弓の代理メリト。名前と戦績が丁寧に続き、そして最後の行で、全員が同じ言葉で終わっていた。


《勝者は、栄光に送られた》


送られた。賜った、ではなく。


「妾から言うことが、ひとつある」


チギリが静かに口を開いた。「シグネとやら。おぬしが夜の書庫に入るのを、妾は見ておった。あの幕間の夜——屋根の上からな」


シグネの肩が、わずかに強張った。それから、観念したように息を吐いた。


「……見られていたか。告げ口をしなかった理由を聞いても?」


「おぬしの目が、盗人の目ではなかったからじゃ」


チギリは飴の袋を、卓の真ん中に置いた。誰でも取れる場所に。それがこの小さな神の、座卓の作法だった。


「探し物の目じゃった。——誰を、探しておる」


長い沈黙のあと、シグネは椅子に腰を下ろした。初めて見る、鎧を下ろした座り方だった。


「ラグナル。私の兄だ」


シグネは紙束の一枚を抜き出して、卓に置いた。第百一回優勝、槍の代理ラグナル。戦績、十一戦無敗。人柄を偲ばせる記述はどこにもなく、ただ最後に、あの一行。


「三年前、兄はこのリーグで優勝した。故郷の村は宴の支度をして待った。……帰ってこなかった。手紙も、遺品も、骨も。何もだ」


「王国や神殿に、問い合わせは」


「した。父が、村の長が、何度もした。答えはいつも同じだ。『勝者は栄光に送られた。誉れである』——それ以上を問うた者は、神殿への不敬を咎められた」


シグネの指が、写しの上をなぞる。兄の名の上を。


「兄は強かった。強くて、優しくて、村では誰も敵わなくて、だから神器を預かった。私が槍を始めたのは兄の真似だ。グングニルが私を選んだのは、兄と同じ癖で投げるからだと思っている」


「……接収の噂は、知っていたのですか」


「リーグに入ってから掴んだ。勝ち残った代理は『次の神戦の兵』として神々に接収される——お前が盗み聞いたという、あの囁きと同じものだ。だから私は勝ち続けるしかなかった。優勝者だけが、神々に一つだけ問いを許される。そういう古い定めがある」


優勝して、問う。兄はどこへ行ったのかと。


「だが、その道は今日、閉じた」


シグネは顔を上げた。負けた悔しさは、そこにはもうなかった。もっと硬い、削り出したような何かがあった。


「決勝に立つのは、お前だ。約束の代理」


「借りを、作らせてくれ」


シグネは立ち上がり、頭を下げた。銀の髪が卓の灯りに揺れて、彼女の表情を隠した。


「頼む、という言葉を、私は使ったことがない。使い方を知らん。だから——借りだ。一生かけて返す。決勝で、勝っても負けてもいい。ただ、機会があるなら」


「顔を上げてください、シグネさん」


結人は、自分でも驚くほど静かな声が出た。恐い話のはずだった。勝てば接収、その先に兄と同じ「栄光」。それでも、腹の底は冷えていなかった。


「約束します。決勝で、あなたのお兄さんの行き先を問う機会を、必ず作ります」


「結人」


チギリの声に、珍しく鋭さがあった。「それは、破れぬ約束になるぞ。妾の糸は、情では緩まん」


「知っています」


結人は左手を差し出した。小指を、立てて。


「でも、糸は結ぶものなんでしょう。縛るものじゃなくて」


チギリは長いこと結人を見ていた。それから、しかたのない子じゃ、と言うように目を細めて、小さな小指を絡めた。しゅる、と七本目の糸が生まれる。破れない約束が、また一本。


シグネは、その一部始終を見ていた。指切りという東方の作法を知らないはずの彼女が、なぜか目を逸らさずに最後まで見て、それから小さく言った。


「……いい神器だな、それは。今は、本気でそう思う」


夜が更けて、シグネが帰ったあと、チギリは縁側で一人、月を見ていた。結人が茶を持っていくと、小さな神は受け取って、ぽつりと言った。


「栄光に送られた者たちが、どこにおるか。……妾は、見当がついておる」


湯呑みの湯気の向こうで、その横顔は三百年ぶんの何かを覚悟した顔をしていた。


「明日は休め。明後日、万神殿に連れて行く。——夜のな」

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