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旅する先生と、世界の教室  作者: 最後に残った形


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第16章 第3話:災害後の授業――黒板に残った日付


 黒板の日付は、あの日のままだった。


 凪は、教室の入口で足を止めた。


 朝の光が、割れたまま交換されたばかりの窓ガラスに反射している。校舎の壁には、まだ新しい補修の跡が残っていた。廊下の隅には、片づけきれない段ボール箱が積まれ、そこから雑巾と消毒液の匂いがかすかに漂っている。


 三年二組の教室。


 机は並び直されている。


 椅子もある。


 教科書も配られた。


 チャイムも鳴る。


 学校は再開した。


 けれど、黒板の右上だけが、時間を止めたままだった。


『六月十日』


 災害が起きた日。


 その朝、有村先生が書いた日付。


 午後の授業で消すはずだった文字。


 でも、午後は来なかった。


 突然の揺れと、鳴り響く警報。


 廊下を走る音。


 体育館へ避難する声。


 泣き出す一年生。


 外で聞こえたサイレン。


 降り続いた雨。


 水の匂い。


 泥の匂い。


 暗い夜。


 凪の家も一部が被害を受けた。


 部屋の棚は倒れ、窓のそばに置いていた本は濡れた。


 友人の美緒は、親戚のいる町へ転校した。


 体育館は、今も避難所の一部として使われている。


 学校に戻ってきたのに、元通りではない。


 それなのに、教室の黒板には、あの日の日付だけが残っている。


 凪は、それを見るたび、喉の奥が固くなった。


「凪」


 後ろから声がした。


 同じクラスの蒼太だった。


「入らないの?」


「入る」


 凪は、そう答えた。


 でも、足はすぐには動かなかった。


 蒼太は黒板を見て、少し黙った。


「あれ、まだ残ってるんだな」


「うん」


「消せばいいのに」


 凪は何も言えなかった。


 消してほしい。


 でも、消されたら消されたで怖い。


 あの日がなかったことになるような気がする。


 だからといって、残っていると胸が苦しい。


 どうしてほしいのか、自分でもわからなかった。


 チャイムが鳴った。


 凪の体が、びくっと小さく跳ねた。


 あの日の警報音と重なった。


 ただの朝のチャイムなのに、音が少し鋭く聞こえる。


 蒼太が気づいて、声を落とした。


「大丈夫?」


 凪は、反射のように言った。


「大丈夫」


 大丈夫ではなかった。


 でも、それ以外に言葉がなかった。


 担任の有村先生が教室に入ってきた。


「おはようございます」


「おはようございます」


 声は揃っていた。


 けれど、以前のような勢いはない。


 欠席の席がいくつかある。


 転校した美緒の席は、今は空いたままになっている。


 机の上には、誰かがそっと置いた小さな折り紙の花があった。


 有村先生は、出席簿を開いた。


 目の下には疲れがある。


 先生自身も被災していると聞いた。


 それでも、有村先生はできるだけ普段通りに振る舞っていた。


「今日から、少しずつ授業の時間を通常に戻していきます」


 教室が静かになる。


「まだ落ち着かないこともあると思います。でも、学校でいつもの生活を取り戻していきましょう」


 いつもの生活。


 凪は、その言葉を聞いて黒板を見てしまった。


 六月十日。


 いつもは、そこで切れている。


 有村先生は、できるだけ日常を戻したいと思っていた。


 学校が再開したのだから、授業を進める。


 時間割を戻す。


 提出物を確認する。


 行事の予定も組み直す。


 子どもたちに安心してほしい。


 元通りの学校生活が戻ってきたと思ってほしい。


 だから、先生は「いつも通り」を大切にしていた。


 けれど、凪には、その「いつも通り」が少し遠かった。


 一時間目は数学だった。


 教科書を開く。


 先生の声を聞く。


 ノートに式を書く。


 でも、窓の外でトラックの大きな音がすると、凪の手は止まった。


 廊下を誰かが走る音がすると、心臓が速くなる。


 チャイムが鳴るたび、肩が固くなる。


 授業は再開している。


 でも、凪の中の時間は、黒板の日付のところで引っかかっていた。


 昼休み、凪は教室の自分の席に座っていた。


 友人たちは、少しずつ会話を戻し始めている。


 給食の味が前と同じだと言って笑う子。


 体育館がまだ使えないから部活が外だけになると話す子。


 家の片づけがまだ終わらないと呟く子。


 美緒からメッセージが来たと見せ合う子。


 凪は、弁当箱の蓋を閉じた。


 食欲はあまりなかった。


「凪」


 有村先生が声をかけた。


「少し、いいですか」


 凪は頷いた。


 廊下の隅へ出る。


 有村先生は、黒板の方を一度見てから、凪に向き直った。


「最近、チャイムの時や、黒板を見る時に少し固まっているように見えます」


 凪は、何も言えなかった。


「無理に話さなくていいです」


 有村先生は、そう言った。


「でも、もし困っていることがあれば、先生に教えてください」


 凪は、廊下の床を見た。


 新しいワックスの匂いがする。


 前より少しきれいになった廊下。


 でも、壁の下の方には、まだ水の跡のような薄い線がある。


「先生」


「はい」


「学校が始まったのに、全然元に戻った気がしません」


 言った瞬間、胸の奥に溜まっていたものが少しこぼれた。


 有村先生は、すぐには答えなかった。


 その時、廊下の向こうから一人の先生が歩いてきた。


 黒い上着に、使い込まれた革の鞄。


 白瀬灯理。


 災害後の学校再開を支援するために、外部助言者として来ている先生だった。


 灯理は、凪の言葉を聞いていた。


 そして、静かに言った。


「うん。では、学校が再開することと、心が元通りになることは同じなのでしょうか」


 凪は顔を上げた。


 学校が再開すること。


 心が元通りになること。


 有村先生も、はっとしたように灯理を見た。


 同じだと思いたかった。


 学校が始まれば、子どもたちは安心する。


 授業が始まれば、日常が戻る。


 そう信じたかった。


 でも、凪の声は違うことを伝えていた。


 放課後、職員室の隣の小会議室で、有村先生と灯理は話した。


「私は、できるだけ通常に戻した方がいいと思っていました」


 有村先生は言った。


「子どもたちが不安を引きずらないように、授業を進めて、時間割を戻して、いつもの学校に近づけることが安心になると」


「大切な考えですね」


「でも、凪さんの言葉を聞いて……元に戻すことだけでは、今の気持ちを置いていくことになるのかもしれません」


 灯理は頷いた。


「学校を再開する時、失ったものや変わったことを言葉にする時間も必要かもしれません」


「でも、つらいことを話させるのは怖いです」


「はい。無理に話させる必要はありません」


 灯理は紙を広げた。


「言えることだけ、書けることだけ、選べる形にします。元通りにする授業ではなく、今の私たちの日常を作り直す授業です」


 翌日、三年二組の教室には、大きな模造紙が貼られていた。


 黒板の右上には、まだ六月十日の日付が残っている。


 凪は、それを見て少し息を詰めた。


 けれど、その下に新しい紙があることに気づいた。


 灯理が教室の前に立つ。


 有村先生は、その横にいた。


 黒板には、こう書かれている。


『変わったことと、続いていることを見つける』


 灯理は言った。


「今日は、災害のことを無理に話す時間ではありません。話したくないことは話さなくていいです。書けることだけ、選べることだけでかまいません」


 教室は静かだった。


 灯理は、模造紙に項目を貼った。


『災害前と今で変わったこと』

『まだ不安なこと』

『戻ってきて安心したこと』

『失ったもの』

『残っているもの』

『これから作り直したいこと』

『今日できた小さな日常』


 凪は、その文字を見た。


 失ったもの。


 残っているもの。


 今日できた小さな日常。


 何を書けばいいのかわからなかった。


 灯理は続けた。


「付箋に書いて貼ってもいいです。名前は書かなくていいです。言葉にしにくい人は、絵でもかまいません。貼らずに持っていてもいいです」


 子どもたちに付箋が配られた。


 黄色、青、緑、白。


 凪は、黄色の付箋を手にした。


 鉛筆を持つ。


 何も書けない。


 周りでは、少しずつ文字が生まれていた。


『体育館がまだ使えない』

『家の片づけが終わらない』

『夜の雨の音が怖い』

『給食の匂いが戻って安心した』

『友だちの声を聞けてほっとした』

『部活の朝練がまだない』

『転校した友だちがいる』

『チャイムが鳴るとびっくりする』

『机が並んでいて安心した』

『廊下の水の跡がまだある』

『朝、制服を着たら少し学校っぽかった』


 蒼太が付箋を貼った。


『給食のカレーの匂いが前と同じだった』


 それを見て、数人が小さく笑った。


「たしかに」


「昨日のカレー、前と同じ味だった」


 その笑いは大きくはなかった。


 でも、教室の空気が少しだけ緩んだ。


 凪は、蒼太の付箋を見た。


 給食の匂い。


 たしかに、昨日の給食の匂いは少し安心した。


 でも、自分が安心したのは何だっただろう。


 凪は、緑の付箋を取った。


 少し迷ってから書いた。


『友だちの声は安心する』


 書いた瞬間、胸が少し熱くなった。


 さらに、青い付箋を取る。


『チャイムが怖い』


 書いてから、周りを見た。


 同じような付箋があった。


『大きい音が苦手になった』

『放送が鳴ると体が固まる』

『雨が強いと眠れない』


 自分だけではなかった。


 凪は、青い付箋を模造紙に貼った。


 指が少し震えた。


 でも、貼れた。


 有村先生は、その付箋を見ていた。


 チャイムが怖い。


 凪だけではなく、何人もの子が音に反応している。


 自分は、チャイムをいつも通り鳴らすことが日常を戻すことだと思っていた。


 でも、その音が今は誰かの体を固めている。


 灯理は、模造紙の前に立った。


「いろいろな声が出ました」


 教室の全員が、貼られた付箋を見る。


 そこには、ばらばらの言葉が並んでいた。


 怖い。


 安心した。


 まだ戻らない。


 少し戻った。


 失った。


 残っている。


 作り直したい。


「学校が始まっても、すぐに全部が元通りになるわけではありません」


 灯理は言った。


「でも、何が変わったのか、何がまだ不安なのか、何が戻ってきて安心したのかを見えるようにすると、これから作り直すことが少し見えてきます」


 有村先生が前に出た。


 少し緊張した表情だった。


「先生は、早くいつも通りに戻そうとしていました」


 教室が静かになる。


「授業を進めること、時間割を戻すこと、チャイムを鳴らすこと。そうすれば、みんなが安心できると思っていました」


 有村先生は、模造紙の付箋を見た。


「でも、今のみんなにとっての『いつも』は、前と全く同じではないのですね」


 凪は先生を見た。


「これからは、前のいつもに戻すだけではなく、今の私たちのいつもを作っていきたいと思います」


 その言葉は、凪の胸にゆっくり入ってきた。


 前のいつも。


 今の私たちのいつも。


 同じではない。


 でも、新しく作れるのかもしれない。


 次の時間、クラスは「今日できる小さな日常」を考えた。


 大きなことではない。


 すぐに学校を完全に元通りにすることはできない。


 体育館もまだ使えない。


 家の片づけも続いている。


 転校した友人も戻ってこない。


 でも、今日できることならある。


『朝の挨拶をする』

『給食を一緒に食べる』

『チャイムの音を少し小さくする』

『怖くなった時に廊下へ出てもよい合図を作る』

『転校した友人へクラスで手紙を書く』

『体育館が使えない間、校庭でできる活動を考える』

『雨の日の過ごし方を話し合う』

『黒板の日付をどうするか決める』


 最後の項目で、教室が少し静かになった。


 黒板の日付。


 六月十日。


 凪は、そこを見た。


 有村先生も見た。


 蒼太が言った。


「消す?」


 誰もすぐには答えなかった。


「消したら、なんか……なかったことみたい」


 女子の一人が小さく言った。


「でも、残ってるとしんどい」


 別の子が言う。


「ずっと止まってる感じがする」


 凪は、自分の手を見た。


 心臓が少し速くなる。


 灯理は、ゆっくり問いを置いた。


「消すか残すかだけでなく、その横に何かを加える方法もあります」


「横に?」


 蒼太が聞く。


「はい。あの日を消さずに、今日を置くこともできます」


 凪は、黒板を見た。


 六月十日。


 その横は空いている。


 そこに、今日の日付を書く。


 あの日を消さない。


 でも、そこだけで止めない。


 有村先生が尋ねた。


「みんなは、どうしたいですか」


 話し合いは、すぐには決まらなかった。


 消したい子。


 残したい子。


 見たくない子。


 忘れたくない子。


 意見は分かれた。


 でも、初めてその日付について話した。


 ただ黒板に残されていたものを、クラスの中に置き直した。


 最終的に、クラスは決めた。


 六月十日の日付は、少し小さく囲む。


 その横に、今日の日付を書く。


 そして、その下に短い言葉を添える。


『ここから、今日も書く』


 誰が今日の日付を書くか。


 教室は少し静かになった。


 凪は、自分の胸が強く鳴るのを感じた。


 怖い。


 黒板の前に立つのは怖い。


 六月十日の隣に立つのは怖い。


 でも、そこに今日を書きたいと思った。


 凪は、ゆっくり手を挙げた。


 有村先生が驚いたように見る。


「凪さん」


「書きます」


 声は震えていた。


 それでも、言えた。


 凪は席を立った。


 足元が少し頼りない。


 黒板の前に立つと、六月十日の文字が近くなる。


 あの日の音が、少し戻ってくる。


 警報。


 サイレン。


 雨。


 泣き声。


 でも、背中には今の教室の気配があった。


 蒼太の息遣い。


 誰かが椅子を少し動かす音。


 有村先生の静かな声。


 灯理の見守る気配。


 凪はチョークを持った。


 白い粉が指につく。


 六月十日の横に、今日の日付を書く。


『七月三日』


 線が少し揺れた。


 でも、書けた。


 その下に、クラスで決めた言葉を書く。


『ここから、今日も書く』


 書き終えると、凪はしばらく黒板を見た。


 六月十日は、消えていない。


 でも、その横に七月三日がある。


 あの日だけではない。


 時間は続いている。


 怖いままでも、今日がある。


 凪は、チョークを置いた。


 教室の誰かが小さく拍手した。


 それが少しずつ広がった。


 大きな拍手ではない。


 でも、静かに温かかった。


 凪は席へ戻る途中、蒼太が小さく言うのを聞いた。


「今日、書けたな」


 凪は頷いた。


「うん」


 その日の帰りの会。


 有村先生は、黒板の日付を見て言った。


「これから毎朝、今日の日付を書きます」


 生徒たちは前を見る。


「でも、六月十日をすぐに消すかどうかは、またみんなで考えましょう」


 凪は黒板を見た。


 怖さはまだある。


 でも、今朝ほど息が詰まらなかった。


 横に今日があるからかもしれない。


 帰り道、凪は校庭を歩いた。


 体育館の一部には、まだ避難所の仕切りが見える。


 校門の近くには、支援物資の箱を運ぶ大人たちがいる。


 学校は、まだ完全には学校だけに戻っていない。


 でも、昇降口からは友だちの声が聞こえる。


 校庭の隅では、使える場所だけで部活動の準備をしている。


 給食室からは、明日の仕込みの匂いがわずかに流れてくる。


 元通りではない。


 でも、全部が止まっているわけでもない。


 翌日から、三年二組の朝は少し変わった。


 日直が今日の日付を書く前に、黒板の右上を見て、一呼吸置く。


 六月十日。


 その横に、今日の日付。


 日付は少しずつ増えていく。


 七月四日。


 七月五日。


 七月六日。


 チャイムの音は、しばらく少し小さくされた。


 怖くなった時に廊下へ出てもよい合図も決まった。


 美緒へ送る手紙も、クラスで書いた。


 給食のカレーの日には、蒼太がまた「前と同じ味」と言い、何人かが笑った。


 凪は、まだ雨の強い夜には眠れないことがある。


 大きな音で体が固まる日もある。


 黒板の日付を見るのがつらい朝もある。


 でも、模造紙の「今日できた小さな日常」の欄には、少しずつ付箋が増えていた。


『朝、友だちにおはようと言えた』

『チャイムでびっくりしたけど、戻れた』

『美緒に手紙を書いた』

『給食を全部食べた』

『雨の音を先生に言えた』

『黒板に今日の日付を書いた』


 凪も、ある日、白い付箋に書いた。


『まだ怖い。でも、今日もここにいる』


 それを貼る時、指は少し震えた。


 でも、貼れた。


 放課後、有村先生は教室に残っていた。


 黒板には、六月十日と今日の日付が並んでいる。


 模造紙には、子どもたちの付箋が増えている。


 灯理が教室に入ってきた。


「有村先生」


「白瀬先生」


 有村先生は、黒板を見たまま言った。


「私は、いつも通りに戻すことが一番の支援だと思っていました」


「はい」


「でも、いつも通りという言葉の中に、子どもたちの今の不安を入れる場所がありませんでした」


 灯理は静かに聞いていた。


「授業を進めることも、時間割を戻すことも必要です。でも、その前に、何が変わったのか、何が怖いのか、何が安心なのかを言葉にする時間が必要だったんですね」


「はい」


「凪さんが、今日の日付を書いた時……」


 有村先生は、少し声を詰まらせた。


「あの日を消さなくても、今日を書けるのだと思いました」


 灯理は頷いた。


「失った日をなかったことにせず、その横に続く時間を置くことができました」


 有村先生は、黒板の下に置かれたチョークを見た。


「これからも、元通りではなく、今の私たちのいつもを作ります」


 夜、灯理は中学校を出た。


 校舎の窓には、まだいくつか明かりが残っている。体育館の一部には避難所の灯りがともり、校庭の隅には修理用の資材が積まれていた。


 校門まで、有村先生が見送りに来た。


「白瀬先生、ありがとうございました」


「こちらこそ、今日の日付を書き足す時間に立ち会わせていただきました」


 有村先生は、校舎を振り返った。


「学校が再開したと言っても、すぐに心が戻るわけではない。そのことを、忘れないようにします」


「はい」


「進度も、行事も、生活も大切です。でも、子どもたちの中に残っている日付を見ないまま進めてはいけないのですね」


 夜風が、校門の横の木を揺らした。


 灯理は鞄を肩にかけ直した。


 中には、遠隔授業を導入した高校から届いた依頼状が入っている。


 けれど、まだ開かなかった。


 災害後に学校を再開することは、元通りに戻ることだけではない。


 机を並べる。


 授業を始める。


 チャイムを鳴らす。


 給食を出す。


 それらは、日常を支える大切な形だ。


 けれど、子どもたちの中で止まっている時間は、形だけでは動き出さないことがある。


 変わったこと。


 失ったもの。


 まだ不安なこと。


 戻ってきて安心したこと。


 残っているもの。


 今日できた小さな日常。


 それらを少しずつ言葉にしながら、学校は新しい日常を作り直していく。


 灯理は、夜の教室の窓を見上げた。


 黒板の右上には、二つの日付が並んでいる。


 消されなかった日。


 その横に書き足された今日。


 そして、その下に、凪の揺れた文字が残っている。


 まだ怖い。でも、今日もここにいる。


 その言葉を胸に、灯理は静かな道をゆっくり歩いていった。

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