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旅する先生と、世界の教室  作者: 最後に残った形


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第14章 第4話:不登校支援の授業――教室に戻ることだけがゴールですか


 教室の前まで来ると、足が止まった。


 蒼依は、三年一組の扉の横に立っていた。


 廊下には、朝のざわめきが広がっている。上履きが床を擦る音、友だち同士の笑い声、椅子を引く音、誰かが提出物を忘れたと叫ぶ声。教室の中では、黒板の前で日直が予定を書いていた。


 何も特別なことは起きていない。


 ただの朝。


 ただの教室。


 けれど蒼依には、そのすべてが少し大きすぎた。


 声が重なる。


 視線がある。


 席がある。


 自分の机が、まだそこにある。


 そこへ戻らなければならないのだと思うと、胸の奥が固まった。


 手のひらが汗ばむ。


 足の裏が床に貼りついたように動かない。


 扉の向こうで、誰かが笑った。


 それが自分のことではないとわかっていても、体が小さく縮む。


「蒼依さん」


 後ろから、宮園先生の声がした。


 蒼依は振り返った。


 宮園先生は、無理に近づかず、少し離れた場所に立っていた。別室登校の担当もしている先生で、蒼依が学校に来られる日は、いつも玄関か廊下で待ってくれている。


「ここまで来られましたね」


 その言い方は優しかった。


 けれど、蒼依の胸には別の言葉が浮かんだ。


 ここまでしか来られなかった。


 教室の扉は、すぐそこにある。


 あと数歩。


 それなのに、入れない。


「今日は、どうしましょうか」


 宮園先生が尋ねた。


 蒼依は扉を見る。


 中へ入れば、みんなが見るかもしれない。


 誰かが「久しぶり」と言うかもしれない。


 誰かが何も言わないかもしれない。


 先生が席を示し、授業が始まり、自分は遅れた分の教科書を開く。


 想像するだけで、喉が詰まった。


「……別室に行きます」


 声は小さかった。


 宮園先生は頷いた。


「わかりました」


 蒼依は、教室の扉から離れた。


 背中に何かが刺さる気がした。


 誰も見ていないかもしれない。


 でも、自分だけが逃げているように感じた。


 別室は、校舎の二階の端にあった。


 元は資料室だった小さな部屋で、今は別室登校の生徒が使えるようになっている。窓際には小さな机が二つあり、本棚には参考書や絵本、理科の図鑑が並んでいた。壁には、オンライン授業を見るためのタブレットが置かれている。


 教室より静かだった。


 静かすぎるくらいだった。


 蒼依は、窓際の席に座った。


 鞄からノートを出す。


 開く。


 でも、文字はなかなか入ってこない。


 数か月前から、蒼依は教室に入れなくなっていた。


 最初は、休んだのは一日だけだった。


 朝、体が重くて起きられなかった。


 次の日も休んだ。


 その次の日、学校へ行こうとしたが、玄関で気分が悪くなった。


 そのうち、休んだ分の授業がわからなくなった。


 友だちからのメッセージに返せない日が増えた。


 教室へ戻るタイミングが、どんどんわからなくなった。


 理由は一つではない。


 人間関係に疲れていた。


 教室の音がつらかった。


 誰かの視線を意識しすぎていた。


 授業の遅れも怖かった。


 朝、起きられない日もあった。


 どれが本当の理由かと聞かれても、蒼依には答えられない。


 全部少しずつ本当で、全部だけでは説明できなかった。


 今は週に二回、別室に来ている。


 それだけでも、家族は少し安心してくれた。


 宮園先生も喜んでくれた。


 けれど、次に必ず聞かれる。


「そろそろ教室に戻れそう?」


 その言葉が出るたびに、別室へ来られたことまで失敗の途中のように感じてしまう。


 教室に戻る。


 戻れない。


 戻る。


 戻れない。


 選択肢が二つしかないように見える。


 そして自分は、いつも戻れない方に立っている。


 宮園先生は、別室の机にプリントを置いた。


「今日は数学のプリントと、理科の動画を用意しています。無理のないところからで大丈夫です」


「はい」


「午後、もし行けそうなら、五時間目の理科だけ教室で受けることもできます」


 蒼依の手が止まった。


 理科。


 好きな教科だった。


 実験を見るのが好きだった。


 家でも、理科の実験動画だけは時々見ている。


 でも、教室。


 みんなの中で受ける理科。


 遅れたノート。


 実験班。


 視線。


 蒼依は首を横に振った。


「無理です」


「そうですか」


 宮園先生は、少しだけ残念そうだった。


 すぐに隠したが、蒼依には見えた。


 先生は悪くない。


 心配してくれている。


 教室へ戻れるようにと思ってくれている。


 でも、その期待が蒼依には重かった。


 自分が教室に戻れない限り、先生をがっかりさせている気がした。


「先生」


 蒼依は、プリントの端を見つめながら言った。


「教室に戻れないなら、学校に来てる意味ありますか」


 宮園先生は、すぐには答えなかった。


 その沈黙が少し怖かった。


 その時、別室の扉が静かに開いた。


「失礼します」


 黒い上着に、使い込まれた革の鞄を持った先生が入ってきた。


 白瀬灯理。


 世界の学校を訪ね、さまざまな学びの場を見てきた先生だと、朝、宮園先生から紹介されていた。


 灯理は、蒼依の机の上に置かれた理科の動画プリントと、開きかけのノートを見た。


 それから、蒼依の言葉を受け取るように、静かに言った。


「うん。では、学校とつながる道は、教室の席に座ることだけでしょうか」


 蒼依は顔を上げた。


 教室の席に座ることだけ。


 ずっと、それしかないと思っていた。


 学校へ戻るとは、教室へ戻ること。


 教室へ戻れないなら、学校に来ている意味がない。


 そう思っていた。


 灯理は、机の上に大きな白い紙を広げた。


「今日は、教室に戻るか戻らないかを決める前に、蒼依さんが今、何とつながっているのかを見てみませんか」


「つながっているもの?」


「はい。人でも、場所でも、教科でも、時間でも、物でもかまいません」


 宮園先生がペンを用意した。


 白い紙の中央に、灯理は小さく書いた。


『蒼依』


 そこから、線を引けるように余白を残す。


「つながりの地図です」


 蒼依は、白い紙を見た。


 地図。


 自分には、つながりなんてあまりないと思っていた。


 教室には入れない。


 友だちにも返事ができない。


 授業にも遅れている。


 でも、灯理は急がなかった。


「今、少しでもつながっているものを、一つずつ置いてみましょう」


 最初に、宮園先生が尋ねた。


「この別室は、どうですか」


 蒼依は少し考えてから頷いた。


「ここは、来られます」


 灯理が紙に書く。


『別室』


 中央の蒼依から線を引く。


「他には?」


「理科の動画」


 蒼依は小さく言った。


「家で、時々見ます」


 灯理は書く。


『理科の実験動画』


「どんな動画ですか」


「結晶ができるやつとか、色が変わる実験とか」


 話しているうちに、声が少しだけ出やすくなった。


「猫」


「猫?」


「家で飼ってます。朝、起きられない日も、猫に餌はあげます」


 灯理は頷き、書いた。


『家の猫』


 蒼依は、少しずつ思い出した。


 たまにメッセージをくれる友人の美玖。


 返事は遅れるけれど、まだブロックしていない。


 オンラインで見られる授業動画。


 全部は見られないが、理科だけは最後まで見られることがある。


 学校の図書室。


 昼休みは怖いけれど、放課後なら行けそうな気がする。


 朝、起きられた日。


 週に二回だけでも、別室へ来られる日。


 まだ怖い教室。


 完全に切れているわけではない。


 怖いけれど、地図には置ける。


 紙の上に、線が増えていった。


『宮園先生』

『別室』

『理科の実験動画』

『家の猫』

『美玖からのメッセージ』

『オンライン授業』

『図書室』

『朝起きられた日』

『放課後の校舎』

『まだ怖い教室』

『理科室』


 理科室、と書いた時、蒼依の手が止まった。


 理科室。


 しばらく行っていない。


 でも、実験器具の匂い、ガスバーナーの青い火、ビーカーの透明な水、薬品棚のラベル。


 それらは嫌いではなかった。


 むしろ、少しだけ見たいと思った。


 宮園先生が、地図を見て言った。


「思っていたより、つながっているものがありますね」


 蒼依は、紙を見つめた。


 教室には入れない。


 でも、全部が切れているわけではなかった。


 灯理は言った。


「ここから、次に作れそうな小さな線を探してみましょう」


「小さな線」


「はい。いきなり教室へ戻る線でなくてもいいです」


 蒼依は、地図を見た。


 別室から、オンライン授業。


 オンライン授業から、理科の動画。


 理科の動画から、理科室。


 図書室。


 美玖のメッセージ。


 いくつかの線が見える。


 灯理は、項目を別の紙に書いた。


『授業動画を一本見る』

『図書室に十分だけ行く』

『放課後の空いた教室を見る』

『友人に一言メッセージを返す』

『好きな理科だけ別室で課題を進める』

『放課後の理科室へ行く』

『教室復帰ではなく、学校との接点を増やす』


 蒼依は、その中の一つをじっと見た。


『放課後の理科室へ行く』


 教室ではない。


 授業中でもない。


 人がたくさんいる時間でもない。


 放課後の理科室なら、行けるかもしれない。


「理科室」


 蒼依は言った。


「放課後なら、行けるかもしれません」


 宮園先生の顔が少し明るくなった。


 でも、すぐに言った。


「無理にではなく、見に行くだけでもいいです」


 その言い方に、蒼依は少し安心した。


 見に行くだけ。


 入れなければ戻ってもいい。


 それは、教室へ戻るか戻らないかの二択より、ずっと息がしやすかった。


 その日の放課後。


 校舎の中は、昼間より静かだった。


 部活動へ向かう生徒の声が遠くから聞こえ、廊下には夕方の光が斜めに差し込んでいる。


 蒼依は、宮園先生と灯理と一緒に理科室へ向かった。


 三階の角。


 理科室の扉には、小さなプレートがかかっている。


『理科室』


 蒼依は、扉の前で足を止めた。


 教室の前で止まった時とは少し違う。


 怖い。


 でも、見たい気持ちもある。


 宮園先生が鍵を開ける。


 扉を少しだけ開けた。


 理科室の匂いがした。


 少し古い木の机。


 水道の金属の匂い。


 ガラス器具をしまった棚。


 黒板の横には、前回の実験の図が少し残っている。


 蒼依は、ゆっくり中へ入った。


 一歩。


 もう一歩。


 理科室の中は空っぽだった。


 誰も見ていない。


 誰も「久しぶり」と言わない。


 誰も「大丈夫?」と聞かない。


 ただ、机が並んでいる。


 窓の外には、夕方の空が見える。


 宮園先生は、教卓の上に小さな実験セットを置いた。


「今日は見るだけでいいです。塩の結晶を作る準備です」


 ビーカーに水。


 食塩。


 ガラス棒。


 ろ紙。


 蒼依は、思わず近づいた。


「これ、動画で見たことあります」


「そうですか」


「飽和水溶液を作るやつ」


 言葉が自然に出た。


 久しぶりに、学校の中で教科の言葉を口にした気がした。


 宮園先生は、嬉しそうにしすぎないように、でも確かに頷いた。


「そうです。今日は温めません。まず水にどこまで溶けるか見て、次回、結晶を観察します」


 蒼依はビーカーを見た。


 白い粒が、水の中でゆっくり沈む。


 ガラス棒で混ぜると、少しずつ消えていく。


 その様子を見ている間、教室に戻れない自分のことを少しだけ忘れた。


 目の前の水。


 消えていく塩。


 光を反射するビーカー。


 理科室の静けさ。


 学ぶことは、教室の席に座ることだけではないのかもしれない。


 そう思った瞬間、胸の奥の固いものが少しだけゆるんだ。


「蒼依さん」


 灯理が静かに声をかけた。


「今、地図に新しい線を足すなら、何と書きますか」


 蒼依は、少し考えた。


 そして、宮園先生が持ってきたつながりの地図に、ペンで一本線を引いた。


『理科室』


 その横に書く。


『放課後なら行けた』


 短い一文だった。


 けれど、蒼依にとっては大きかった。


 教室へ戻ったわけではない。


 授業を一時間受けたわけでもない。


 友だちと話せたわけでもない。


 でも、理科室へ行けた。


 放課後なら。


 空いている時間なら。


 好きな教科なら。


 それは、学校とつながる小さな道だった。


 翌日、宮園先生は支援会議で、つながりの地図を広げた。


 校長、学年主任、養護教諭、スクールカウンセラー、そして灯理が同席している。


 これまでは、会議の中心にあった言葉は「教室復帰」だった。


 いつ戻れるか。


 何時間なら入れるか。


 どの教科から戻すか。


 クラスへの説明をどうするか。


 もちろん、それらは大切だ。


 けれど、宮園先生は昨日の蒼依の言葉を思い出していた。


『教室に戻れないなら、学校に来てる意味ありますか』


 その問いに、自分はすぐ答えられなかった。


 教室に戻ることをゴールにしすぎていたからだ。


 宮園先生は、つながりの地図を示した。


「蒼依さんは、今、別室、オンライン授業、理科の動画、家の猫、友人からのメッセージ、図書室、理科室とつながっています」


 学年主任が地図を見る。


「思ったより多いですね」


「はい」


「でも、教室にはまだ入れていない」


 その言葉に、宮園先生は少しだけ息を吸った。


「はい。教室はまだ怖い場所です」


 そして、続けた。


「ただ、支援のゴールを教室の席に座ることだけにすると、蒼依さんは今できている接点まで失敗の途中のように感じてしまいます」


 会議室が静かになる。


 灯理が言った。


「支援のゴールは、教室の席に座ることだけでしょうか。それとも、その子が学びとつながり直す道を一緒に探すことでしょうか」


 校長が、ゆっくり頷いた。


「教室復帰は大切な目標の一つです。しかし、唯一の道にしてしまうと苦しくなる子もいる」


 スクールカウンセラーが言った。


「つながりの地図を使えば、今ある力や接点も見えますね」


 養護教諭が続けた。


「体調の波も地図に入れられそうです。朝が難しい日、午後なら来られる日」


 宮園先生は、支援計画を書き直した。


『目標:教室復帰』とだけ書かれていた欄を消す。


 新しく書く。


『学校との接点を増やす』

『学びとつながる道を複数作る』

『本人が選べる小さな一歩を設定する』


 具体的な一歩。


 一、週二回の別室登校を継続する。


 二、理科のオンライン動画を一本見る。


 三、放課後の理科室で実験を観察する。


 四、図書室に十分行く日を作る。


 五、美玖へのメッセージは、一言だけでもよい。


 六、教室は「戻る場所」と決めつけず、まず放課後に空いた教室を見る。


 宮園先生は、ペンを置いた。


 支援計画は、以前より細かく、少し複雑になった。


 けれど、蒼依の呼吸に近づいた気がした。


 数日後。


 蒼依は別室で、理科の課題を進めていた。


 タブレットには、結晶の成長を早送りした動画が流れている。透明な液体の中に、少しずつ白い形が現れる。その小さな変化を、蒼依は何度も巻き戻して見た。


 机の端には、つながりの地図が置かれている。


 線は少し増えていた。


『理科室、放課後なら行けた』

『動画一本見た』

『美玖に「ありがとう」と返した』

『図書室の前まで行けた』


 図書室には、まだ入れなかった。


 でも、前まで行けた。


 それも、線として残した。


 宮園先生は、その地図を見ながら言った。


「蒼依さん、今日はどうしますか」


 以前なら、「教室に行けそう?」と聞いていた。


 今は違う。


「次は、どことつながってみますか」


 蒼依は、少し考えた。


 地図を見る。


 理科室。


 別室。


 オンライン。


 図書室。


 まだ怖い教室。


 教室の線は、細く、点線で書いてある。


「放課後の教室を、外から見るだけなら」


 蒼依は言った。


「できるかもしれません」


 宮園先生は頷いた。


「外から見るだけにしましょう」


「入らなくてもいいですか」


「いいです」


「見て無理だったら戻っていいですか」


「もちろん」


 蒼依は、少しだけ息を吐いた。


 入らなくてもいい。


 戻ってもいい。


 そう言われると、逆に少し近づける気がした。


 放課後、蒼依は三年一組の前に立った。


 朝とは違って、教室は空だった。


 机と椅子が並び、黒板には今日の授業の跡が残っている。


 窓から夕方の光が入り、机の上に長い影を落としていた。


 蒼依は、扉の外から中を見た。


 自分の席が見える。


 机の横には、誰かがまとめてくれたプリントの封筒が置かれている。


 胸は少し苦しい。


 でも、朝のように足が動かなくなるほどではなかった。


「今日は、ここまででいいです」


 蒼依は言った。


「はい」


 宮園先生は頷いた。


 蒼依は、つながりの地図に新しい線を書いた。


『放課後の教室、外から見た』


 それは、教室復帰ではない。


 でも、教室との線が完全に切れていないことを示す小さな印だった。


 帰り際、蒼依はスマートフォンを取り出した。


 美玖からのメッセージが来ていた。


『今日、理科で結晶の話出たよ。蒼依好きそうだった』


 蒼依は、しばらく画面を見つめた。


 返事を打つ。


『動画で見た。放課後、理科室にも行った』


 送信するまでに少し時間がかかった。


 指が止まったり、戻ったりした。


 でも、最後に送った。


 すぐに返信が来た。


『すごい。今度、結晶の写真撮れたら見せて』


 蒼依は、小さく笑った。


 教室の中に入れなくても、少しだけ友だちとつながった。


 理科を通して。


 結晶を通して。


 自分がまだ好きなものを通して。


 夜、灯理は学校を出た。


 校舎の窓には、別室の明かりがまだ残っている。宮園先生は机に向かい、蒼依のつながりの地図を支援記録に写していた。


 校門まで、宮園先生が見送りに来た。


「白瀬先生、ありがとうございました」


「こちらこそ、蒼依さんの地図を一緒に見せていただきました」


 宮園先生は、手にしたファイルを見た。


「私は、教室に戻すことを急ぎすぎていたのかもしれません」


「心配だったのですね」


「はい。教室に戻れなければ、どんどん遅れてしまう。友だちとも離れてしまう。そう思うと、戻れるかどうかばかり聞いていました」


「はい」


「でも、その問い方が、蒼依さんには二択のように聞こえていたのですね。戻れるか、戻れないか。成功か、失敗か」


 宮園先生は、校舎を振り返った。


「理科室へ行けたこと。動画を見たこと。友だちに一言返したこと。放課後の教室を外から見たこと。どれも、教室復帰ではありません。でも、学校とつながる大切な線でした」


 灯理は頷いた。


「蒼依さんの学びは、その線の上で少しずつ動いていました」


「これからも、戻すことだけを急がずに、次はどことつながるかを一緒に考えます」


 夜風が、校門の横の木を揺らした。


 灯理は鞄を肩にかけ直した。


 中には、学校改革プロジェクトを始めた公立校から届いた依頼状が入っている。


 けれど、まだ開かなかった。


 学校へ来ることは、教室の席に座ることだけではない。


 もちろん、教室が安心できる場所になることは大切だ。


 そこで友だちと学び、先生の声を聞き、同じ時間を過ごせるなら、それは大事なつながりになる。


 けれど、そこへ向かう道は一つではない。


 別室。


 オンライン。


 図書室。


 理科室。


 友だちへの一言。


 好きな教科。


 朝起きられた日。


 放課後の空いた教室を外から見ること。


 それらもまた、学びとつながり直すための小さな線になる。


 灯理は夜の校舎を振り返った。


 理科室の窓の奥で、ビーカーの中の結晶が、明日には少し形を変えているかもしれない。


 見えないところで、ゆっくり育つものがある。


 その小さな変化を思いながら、灯理は静かな道をゆっくり歩いていった。

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