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旅する先生と、世界の教室  作者: 最後に残った形


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第7章 第1話:環境の授業――ゴミ箱の先を知らない子どもたち


 都市部の小学校では、朝からゴミ箱が忙しい。


 昇降口の近くでは、誰かが飲み終えた紙パックを捨てる音がした。教室では、配られたプリントの端が破られ、工作で余った色紙が丸められ、鉛筆を削った木くずが小さな山になっていく。


 給食室からは、温かいスープの匂いが廊下に流れていた。


 校庭では、朝の光を受けたビニール袋が一枚、フェンスに引っかかって揺れている。


 ルカは教室の後ろにあるゴミ箱の前で、短くなった鉛筆を見ていた。


 まだ芯は残っている。


 けれど、持ちにくい。


 新しい鉛筆は筆箱に三本ある。


 ルカは迷わず、その短い鉛筆をゴミ箱へ落とした。


 かたり、と乾いた音がした。


 その上には、丸められたプリント、使い終わったティッシュ、工作で切り落とした色紙、給食の献立表の古いものが入っている。


 ゴミ箱に入れば、終わり。


 ルカはそう思っていた。


 ゴミは邪魔なものだ。


 机の上にあると汚い。


 床に落ちていると叱られる。


 でも、ゴミ箱に入れれば片付く。


 あとは誰かが持っていってくれる。


「ルカ、今日の片付け当番、お願いね」


 真帆先生が言った。


 担任の真帆先生は、いつも教室をきれいに保とうとしている。壁には、児童たちが作った環境ポスターが貼られていた。


『地球を大切にしよう』


『リサイクルしよう』


『ゴミを減らそう』


 ルカも、そういう標語なら言える。


 環境は大事。


 ゴミは分別。


 リサイクル。


 でも、それはポスターの中の言葉だった。


 毎日のゴミ箱とは、あまりつながっていなかった。


「先生、燃えるゴミと燃えないゴミ、どっちですか」


 同級生のミオが、汚れたプラスチック容器を持って聞いた。


「それは洗ってからプラスチックへ」


 真帆先生が答える。


「えー、面倒くさい」


 ミオが顔をしかめる。


 ルカは横から言った。


「もう燃えるゴミでいいじゃん」


「だめです」


 真帆先生の声が少し強くなる。


「分別しましょう」


「でも、どうせ持っていかれるんでしょ」


 ルカは肩をすくめた。


「ゴミ箱に入れたら終わりじゃないんですか」


 真帆先生は何か言おうとして、言葉を探した。


 その時、教室の扉が開いた。


「失礼します」


 入ってきたのは、黒い上着に使い込まれた革の鞄を持った先生だった。


 都市の朝の埃っぽい風をまとってきたのか、その人は教室に入る前に、廊下の分別ボックスを一度見ていた。


「白瀬先生」


 真帆先生が迎える。


「お待ちしていました」


「こちらこそ、呼んでいただきありがとうございます」


 その人――白瀬灯理は、軽く頭を下げた。


「今日は皆さんの授業に少し混ぜてもらいます」


 児童たちは興味深そうに灯理を見た。


 旅する先生。


 世界のいろいろな学校を訪ねて授業をしている先生。


 昨日、真帆先生から紹介されていた。


 灯理は教室の後ろにあるゴミ箱を見た。


 紙とプラスチックと鉛筆とティッシュが、同じ袋の中に混ざっている。


「今日の教室のゴミですね」


「はい」


 真帆先生は少し恥ずかしそうに言った。


「分別を教えてはいるのですが、なかなか」


 ルカは小さく口を尖らせた。


「分別って、面倒くさいです」


 灯理はルカを見る。


「そう感じるんですね」


「はい。だって、ゴミはゴミだし」


「うん」


「捨てたら終わりじゃないんですか」


 灯理はすぐには答えなかった。


 それから、静かに言った。


「では、その終わりの続きを、誰が引き受けているんだろう」


 ルカは眉を寄せた。


 終わりの続き。


 ゴミに続きなんてあるのだろうか。


 真帆先生が黒板の前に立った。


「今日は、白瀬先生と一緒に環境の授業をします」


 またポスターを書くのかな、とルカは思った。


 地球を守ろう。


 ゴミを減らそう。


 きれいな街にしよう。


 そういう言葉なら、もう何度も書いた。


 だが、灯理は黒板に別の言葉を書いた。


『ゴミ箱の先を追いかける』


 教室がざわついた。


「ゴミ箱の先?」


「どこに行くの?」


「収集車?」


「焼却場?」


「知らない」


 灯理は頷いた。


「今日は、ゴミ箱を終点ではなく、入口として見てみましょう」


「入口?」


 ルカが聞き返す。


「はい。どこかへ渡す入口です」


 最初の活動は、教室の一日分のゴミを集めることだった。


 朝から昼過ぎまで、教室で出たゴミを全部別の透明袋に入れておく。


 給食の時間が終わる頃には、袋は思ったより大きく膨らんでいた。


 紙。


 プラスチック包装。


 割り箸の袋。


 使い終わったティッシュ。


 折れたクレヨン。


 食べ残しのパンの欠片。


 汚れた紙ナプキン。


 工作の端材。


 まだ白い部分が多く残った紙。


 ルカは袋を見て、少し驚いた。


「一日でこんなに?」


 ミオも目を丸くした。


「うちの教室だけで?」


 灯理は袋を教室の中央に置いた。


「では、これを分類してみましょう」


「え、開けるんですか」


 誰かが嫌そうな声を出した。


「臭そう」


「汚い」


「自分たちが出したものです」


 真帆先生が言った。


 児童たちは手袋をつけ、新聞紙を広げた上にゴミを少しずつ出した。


 最初はみんな、鼻をつまんだり、顔をしかめたりしていた。


 ルカもそうだった。


 ゴミ箱の中身は、ゴミ箱に入っている時よりずっと現実的だった。


 紙の隙間に、食べ残しがくっついている。


 プラスチックの容器には、ソースが残っている。


 濡れたティッシュが、まだ使える紙に貼りついている。


「これ、紙でいいの?」


 ミオが聞いた。


「汚れている紙は、リサイクルしにくいです」


 真帆先生が答える。


「じゃあ、こっちは?」


「それはプラスチックだけど、食べ物がついていますね」


「洗わないとだめ?」


「そうです」


 ルカは、ゴミの山の中から、自分が捨てた短い鉛筆を見つけた。


 黒い鉛筆。


 端に、自分で貼った小さなシールがついている。


 まだ書ける。


 灯理がそばに来た。


「それは、もう使えませんか」


 ルカは鉛筆を見た。


「短いです」


「はい」


「でも、まだ書けます」


「では、ゴミになった理由は何でしょう」


 ルカは答えに困った。


「新しいのがあるから」


「うん」


「持ちにくいから」


「はい」


「でも……まだ、終わってなかったかもしれない」


 灯理は頷いた。


 分類を進めると、ゴミはいくつもの山に分かれた。


 紙。


 汚れた紙。


 きれいなプラスチック。


 汚れたプラスチック。


 食べ残し。


 まだ使えるもの。


 分け方がわからないもの。


 最後の山が、一番大きかった。


「これ、結局どこに行くの?」


 ルカが聞いた。


「今日は、それを聞きに行きます」


 灯理が言った。


 午後、児童たちは校内の用務員室を訪ねた。


 用務員の佐々木さんは、毎日学校中のゴミを集めている人だった。


 児童たちは、普段ほとんど話したことがなかった。


 佐々木さんは、集積所の扉を開けてくれた。


 そこには、クラスごとに集められたゴミ袋が積まれていた。


 教室一つ分とは比べものにならない量だった。


「これ、全部今日のですか?」


 ミオが驚いて聞いた。


「今日は少ない方だよ」


 佐々木さんは笑った。


「工作の日や行事の後は、もっと出る」


 ルカは袋の山を見た。


 ゴミ箱に入れた時は小さなことだった。


 でも、それが集まると、こんな量になる。


「分別されていないと、困りますか」


 真帆先生が尋ねた。


「困るね」


 佐々木さんは、透明袋の一つを指した。


「紙の中に食べ物が入っていると、臭いも出るし、虫も来る。プラスチックに汁が残っていると、袋の中で広がる。収集の人も大変だ」


 ルカは少し俯いた。


「誰かが、後で分けるんですか」


「分けられるものはね。でも、汚れてしまったら、もう分けられないこともある」


 佐々木さんの手は、少し荒れていた。


 毎日、ゴミ袋を運び、こぼれたものを拭き、分別を直している手だった。


 ルカは、自分が捨てた汚れた容器や紙を思い出した。


 ゴミ箱に入れて終わりだと思っていたものを、誰かが後で触っていた。


 次に、児童たちは近くのリサイクル施設を見学した。


 大きな機械の音が響き、ベルトコンベアの上をプラスチックや缶、紙が流れていく。


 施設の担当者が説明した。


「きちんと分けられているものは、次の材料にしやすいです。でも、汚れたものや違う素材が混ざると、再利用できなくなる場合があります」


 児童たちは透明な見学通路から、作業の様子を見た。


 機械だけではない。


 人の手もあった。


 流れてくるものを確認し、取り除き、分けている人たち。


「あれ、人がやってる」


 ルカが呟いた。


「はい」


 担当者が頷いた。


「最後は人の目と手が必要なことも多いです」


「僕たちがちゃんと分けなかったら」


「ここで誰かが分けることになります。分けられないほど汚れていたら、そのまま処理されます」


 ルカは、朝の自分の言葉を思い出した。


 どうせ持っていかれる。


 その「持っていかれる」の先に、こんな場所があった。


 こんな音があり、こんな人たちがいた。


 灯理が尋ねた。


「ゴミ箱に入れた時、本当にその物語は終わっていましたか」


 ルカは首を横に振った。


「終わってなかったです」


「どこへ続いていましたか」


「佐々木さんのところ。収集の人のところ。ここで働く人のところ。機械のところ。あと、たぶん、もっと先」


「はい」


「僕、終わったと思って、見ないふりしてただけかもしれません」


 施設を出る頃、ルカは少し静かになっていた。


 学校へ戻るバスの中で、彼は短い鉛筆をポケットから取り出した。


 ゴミの山から拾った鉛筆だ。


 先を削れば、まだ書ける。


 持ちにくければ、補助軸をつければいい。


 真帆先生が隣の席からそれを見た。


「持って帰るの?」


「教室で使います」


「そう」


「あと、短い鉛筆を入れる箱を作ってもいいですか」


 真帆先生は少し驚き、それから笑った。


「いいですね」


 翌日、教室には大きな模造紙が貼られた。


 題名は、ルカが書いた。


『ゴミ箱の先マップ』


 中央に教室のゴミ箱を描く。


 そこから矢印を伸ばす。


 紙は、分別されれば資源回収へ。


 汚れた紙は別の処理へ。


 プラスチックは、洗えばリサイクルへ。


 汚れたものは再利用が難しくなる。


 食べ残しは、学校の処理方法を調べる。


 まだ使えるものは、ゴミ箱へ行く前に「もう一度使う箱」へ。


 矢印は一つではなかった。


 ゴミ箱は終点ではなく、いくつもの場所へ分かれる入口だった。


 ミオが空き箱を持ってきた。


「これ、まだ使えるもの箱にしよう」


「いいね」


 ルカは箱に紙を貼った。


『まだ使えるもの』


 その中に、短い鉛筆、片面が白い紙、余った色紙、小さくなった消しゴムを入れる。


 同級生たちも少しずつ持ってきた。


「これ、工作に使えるかな」


「この紙、裏は白い」


「このリボン、捨てようと思ったけど使えるかも」


 真帆先生はその様子を見て、黒板に書いた。


『環境を大切にしましょう』


 それから、少し考えて、その下に書き足した。


『どこへ行くかを見よう』


 灯理は教室の後ろで、その文字を見ていた。


 ルカはゴミ箱の前に立った。


 手には、給食で使ったプラスチックの容器がある。


 少しソースが残っている。


 いつもなら、そのまま捨てていた。


 でも今日は、水道へ行って軽くすすいだ。


 水を使いすぎないように気をつけながら、汚れを落とす。


 それから、プラスチックの分別箱へ入れた。


「面倒くさい?」


 ミオが聞いた。


「少し」


 ルカは正直に答えた。


「でも、後で誰かがもっと面倒くさいことになるよりはいいかな」


 ミオは少し笑った。


「ルカ、急にまじめ」


「急にじゃない」


「昨日まで燃えるゴミでいいって言ってた」


「昨日は、先を知らなかった」


 ルカはゴミ箱の先マップを見た。


 そこには、佐々木さんの名前も、リサイクル施設の絵も描いてある。


 自分たちのゴミが、誰かの手に渡ることを忘れないために。


 放課後、ルカは教室に残っていた。


 ゴミ箱の前で、片手に小さな紙くずを持っている。


 捨てようとして、一度手を止める。


 裏を見る。


 まだ白い。


 ルカはそれを「まだ使えるもの箱」に入れた。


「これは、どこへ行くんだろう」


 小さく呟く。


 灯理がそばに来た。


「いい問いですね」


 ルカは少し照れた。


「先生」


「はい」


「全部をちゃんとするのは、難しいです」


「はい」


「急いでいる時もあるし、わからないものもあります」


「うん」


「でも、捨てた後のことを知らないままにするのは、もうちょっと嫌です」


 灯理は頷いた。


「知ったことで、手が止まりましたね」


「はい」


「その一瞬が、次の場所を変えることがあります」


 ルカはゴミ箱を見た。


 昨日までただの箱だった。


 でも今は、どこかへ続く入口に見える。


 夕方、灯理は小学校を出た。


 校庭のフェンスに引っかかっていたビニール袋は、もうなかった。誰かが拾い、分別箱へ入れたのだろう。


 真帆先生が校門まで見送りに来た。


「白瀬先生、今日はありがとうございました」


「こちらこそ、皆さんとゴミの続きを追わせていただきました」


 真帆先生は少し苦笑した。


「私は、環境を大切にしましょう、分別しましょう、と何度も言ってきました」


「大切な言葉ですね」


「ええ。でも、子どもたちには言葉だけが先に届いて、実感が追いついていませんでした」


 彼女は校舎の窓を見た。


 教室では、ルカたちがまだゴミ箱の先マップに矢印を書き足している。


「明日から、学校全体で一週間分のゴミを記録してみます。どこから出て、どこへ行くのか」


「きっと、いい学びになります」


「ゴミ箱は、終点ではないのですね」


 真帆先生は静かに言った。


「どこかの誰かへ渡す入口。そう思うと、子どもたちの手も変わる気がします」


 灯理は頷いた。


 鞄の中には、郊外の学校に併設されたふれあい牧場から届いた依頼状が入っている。


 けれど、まだ開かなかった。


 都市の夕方には、収集車の音が遠くで響いていた。


 店先のゴミ袋。


 駅前の分別ボックス。


 公園のベンチ横に置かれた空き缶。


 それらは、捨てられた瞬間に消えるわけではない。


 どこかへ運ばれ、誰かの手を通り、また別の場所へ向かう。


 灯理はその行方を思いながら、ゆっくりと夕暮れの道を歩いていった。

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