#2 交渉と決別と
「家の中でやればいいだろ」
「男の部屋なんて、危なくて入れない」
何度目かの俺の同じ問いかけに、九十九輪廻が何度目かの同じ返答を繰り返す。
冷たい言い方で、俺と目を合わせようともしない。
「ごめんねー……私も輪廻ちゃんも中学が女子校で、久々の男子なんだよ」
輪廻の隣で、セリカは床に広げた書類を眺めながら俺に謝った。
桜城第二ハイツの三階。このやり取りが始まってからもう十分は経つ。
マンションの外廊下に三人で座り込んで書類を見ているのは、傍から見ればかなり間抜けな絵面だ。できれば俺の部屋の前から移動してほしいけど、二人は動こうとしない。
俺も輪廻に言われて、マンションの契約書類を持ってきていた。内容に間違いはない。306号室が九十九輪廻。305号室が俺。
となると、304号室の入居者、犀川聖理河がセリカということだ。
角ばって圧がある名前だ。でも、ピンク色の髪には合ってる気がする。
そう思いながらセリカを見ると、視線に気づいたのかこちらを向いて笑顔を見せた。
「何かな?りっくん」
「その髪で入学式に出るのか?」
さっそく安直なあだ名で呼ばれたことをスルーして尋ねると、セリカはむうっと頬を膨らませた。
「ちゃんと式までに黒くするよ!セリカちゃんはTOPをわきまえて……あれ?てーぴーてぃー?合ってる?」
「合ってない」
「ティーピーテー?トップオブザワールドだから、TOT?」
アルファベットの迷宮に入り込んだセリカを他所に、九十九輪廻は契約書に書かれた番号に電話を掛けていた。そして、冷静に交渉を開始する。
「学生寮について、お尋ねしたいことがあります。このマンションが女子生徒限定と聞いて入居を決めたんですけど、ええ」
小柄な見た目にそぐわない大人びた口調だ。先程、セリカの後ろに隠れて叫び声を上げていたのが嘘のようだ。
対してセリカは、床に広げたパンフレットを眺めて首を傾げていた。
「女子だけって、ここには書いてあったんだけどねー?」
セリカが見ているのは、桜城学院の学校名の入ったパンフレットだった。
表紙には『寮・周辺住居のご案内』と書かれて、確かにこのマンションが女子限定物件として紹介されている。
「これ見て引っ越してきたんだよ!あれだね、虚偽広告だよ!」
「作成が3年前」
俺はパンフレットの片隅に入っている日付を指差した。
「ありゃ?本当だ」
「桜城学院は、一昨年、統合されて共学になっている」
「なるほどー!これ、古いやつだ。輪廻ちゃん、ごめん!昔のを見てた!」
セリカがばさばさとパンフレットを振る。
冷たい口調で相手を追い詰めていた輪廻は、間違っているのはこちらだと理解して、途端に勢いがなくなった。
「……いえ、こちらの勘違いでした。申し訳ございません……」
輪廻は力なく謝罪して、電話を切る。
「輪廻ちゃん、そしたら仕方ないよ!いいじゃん!久々の男子!楽しい新生活が始まるよ!」
セリカが明るく言うほどに、輪廻はどんどん表情が暗くなっていった。楽しい新生活という言葉が、輪廻には全く響いていない。
「部屋を交換してほしいって話は?」
セリカの勢いに押されている輪廻が哀れになり、俺は話を戻した。
セリカは少し迷った様子で三つ並んだ俺たちの部屋のドアを見る。
「あー……あのね、同じ建物なんだから隣同士だったら面白いよねーって話してたの。ダメ元だし、無理なら全然いいんだけど」
「そうか……」
俺はもう荷ほどきをしてしまった。ただ、女子に挟まれるのも何かと面倒な気はする。引っ越しの費用とか変更の手続きとか、全部そちらがやってくれるなら、悪くないかもしれない。
そう答えようとしたところで、輪廻がすっと顔を上げた。
「男が住んでた部屋なんて、絶対にイヤ」
「……」
「輪廻ちゃん、ワガママすぎるよぉ!りっくんが、せっかくいいよって言ってくれたのに」
「俺はまだ何も言ってない」
この二人に付き合っているのが嫌になって、俺は自分の契約書を回収して立ち上がった。
「そっちが嫌なら、交換は無しだな」
近所付き合いなんてするつもりはないし、偶然顔を合わせたら軽く挨拶する程度で十分だ。
部屋のドアを閉めようとしたが、セリカが隙間に手を突っ込んでドアを開ける。
「あーりっくん、待って待って!」
「まだ何かあるのか?」
「ご挨拶だよ!これからお隣同士、同じ学校!よろしくね!」
セリカは俺の右手を両手で握って、弾けるような笑顔を見せた。
「……よろしく」
毒気を抜かれて、俺は返事をしてしまった。
セリカの後ろでは輪廻が俺を睨み付けていた。セリカに聞こえないように何か呟いているが、おそらく俺の悪口とか呪いの言葉だろう。
「明日から楽しみだね!」
セリカは輪廻の様子に気付いていない。
呪いの言葉を吐いている輪廻と、屈託のない笑顔のセリカ。あまりに対照的で寒気がした。




